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魔王の娘と、怠惰な勇者志望と、菌バカと八百屋それぞれの戦い

 リグラードの地上通りは、今日も「それなり」に人がいた。

 その「それなり」という言葉が、ベックにはどうにも気に入らない。

「……ほら見な、アル」

 通りの端、「ローデン青物店」の看板の下で、ベックが腕を組んだ。

 店先には山盛りのキャベツ、土のついた人参、少ししなびた芋。

 だが、店の前を行き交う客は、誰一人として足を止めない。

 視線の先――通りの真ん中にぽっかり開いた、大きな階段口。

 地下への入口にだけ、人の列ができていた。

 案内板には、でかでかと。

《第一層 地下市 名物:迷宮きのこ料理》

「昔はな……」

 ベックが、吐き出すように言う。

「迷宮帰りの英雄様ご用達って看板出してたんだ。ここで野菜買って、下で肉と酒――それが当たり前の流れだった」

 ガラガラ、と荷車を押す若い冒険者たちが、迷いなく階段へ吸い込まれていく。

「今じゃ、キノコ屋のついでに寄られる店だ。……寄られりゃ、まだマシな方だがな」

「ベックさんの店、俺の中では胃袋守護神なんですけどねぇ」

 アルは申し訳なさそうに頭をかいた。

「お前の中での位階がどれだけ高くてもな。銅貨持ってる客が階段に消えちまったら、どうにもならんのよ」

 ライネルが店先の箱を一つ持ち上げ、重さを確かめる。

「……この量、昔なら昼までに捌けてたんだろ?」

「そうだともよ」

「だったら今は、どこで詰まってるかを、戦の兵站みたいに洗い直すしかねぇな」

 横で控えていたルクシアは、黙って通りを眺めていた。

 地上通りの客の流れ。足の向き。視線の高さ。

 そして、通りのど真ん中に開いた「穴」。

(……地上の通りが、完全に前座にされている)

 心の中で、一本線を引く。

 これは売上の問題ではない。入口の設計の問題だ。

「価格の問題に見えますが、本質は入口ですね」

 ぽつりと言うと、ベックが眉をひそめて振り向いた。

「入口、だぁ?」

「地上で買うか、地下へ直行するか。お客の動線が、最初の一歩で完全に分断されています」

 ルクシアは、階段口を指さす。

「今の作りだと、『とりあえず下まで行ってから考えよう』が自然な流れになる。地上を見てから降りるではなく――降りてから、ついでに上がる。ベックさんの店は、そのついでの位置に置かれている状態ですね」

「……言い方が容赦ねぇな、王都の嬢ちゃん」

 ベックは苦笑し、頭をぼりぼり掻いた。

「でも、当たってるから余計ムカつく」

「すみません。基本的に正直者なので」

 隣でアルがのんきに頷く。

「お腹空いてる人は、階段を下りたくなるようにできてますからねぇ」

「お前が言うと、全部わざとに聞こえるんだが」

 ライネルのぼそっとしたツッコミを背に、一行は地下へ降りていった。

      ◇

 第一層・地下市。

 階段を降りた瞬間、空気が変わる。

 湿り気を含んだ涼しさ。魔導灯の柔らかい光。そして――

「はい、迷宮マッシュのクリーム煮一丁! こっち、迷宮まいたけと地上野菜の串焼き~!」

 キノコの香りと、行列のざわめき。

 リュシエルが、くん、と鼻を鳴らした。

「……戦場の匂いは嫌いだけど、兵站の匂いは悪くないわね」

「きのこ臭を兵站って言うのやめてくださいません?」

 ライネルが顔をしかめる。

「だって、完全に食料庫の匂いよ。昔はここ、血と煙の匂いしかしなかったのに。今は腹の鳴る匂いになった。あたしは、そっちの方が好き」

 軽く笑うリュシエルの横で、ルクシアの視線は自然と一カ所に引き寄せられた。

 大鍋の前、湯気の向こうで威勢よく声を張り上げる若い男。

 その横には、籠いっぱいの丸いマッシュルームと、ひだの詰まった巨大なまいたけ。

「いらっしゃい! あ、アルさん。今日も試食チェックですか?」

「違います。今日は王都からの監査官さんのお供ですよ」

 アルが軽く手を振ると、キノコ屋の若い組合員は、ぱっと顔を輝かせてルクシアを見た。

「うわ、本当に来たんだ、王都の人! 俺ら、サボってないですよ!?毎日、湿気とカビと戦って――」

「そこです」

 ルクシアは、すっと手帳を開いた。

「さきほどから何度かお聞きしていますが、その湿気とカビと戦うという表現。具体的には、一日どれくらいの頻度・時間を費やしているのですか?」

「え、えーっと……」

 若い組合員は、慌てて指を折り始めた。

「空調魔法の調整が一日四回。排水路の点検が朝晩二回。菌床の入れ替えと消毒が――」

「おい嬢ちゃん、そんな細かく――」

 後ろから、鼻にかかった声。

 白衣を羽織ったハルドが、ゴーグルを頭にずらしながら近づいてきた。

「現場の若いのを締め上げるのはやめたまえ。うちがどれだけ湿気とカビと戦っているかは、このグラフを見れば一目瞭然だ」

 懐から取り出された紙を広げると、びっしりと線と数字。

「ここが、空調魔法の稼働時間と菌糸の伸長速度の相関。こっちが湿度とカビのコロニー数。で、この曲線が――」

「先生、せめて一文くらいにまとめてください」

 アルが苦笑しつつ、そっと紙を押さえた。

「つまりですね、ルクさん。キノコ組合は毎日、命がけで湿気と戦ってるんですよ。

 それくらいコストかけて育ててるんだから、値段くらい好きにさせろ、って話です」

「そうだそうだ!」

 周りの組合員たちが、口々に頷く。

「でなきゃ、地下までわざわざ降りてきてくれる客に、顔向けできねぇ」

「地上の八百屋さんと同じ値段で売るなんて、割に合わないっすよ!」

 ルクシアは、喧噪の中心で目を細めた。

(こちらは、見えないコストから価格を決めている)

 ベックの店が守ろうとしているのは、「昔からの客との信頼」と「通りの流れ」。

 キノコ組合が守ろうとしているのは、「自分たちが払っている労力とリスク」。

(そして、王都のギルド規約は――

 『同等の衛生基準を満たした食品は、同水準の価格帯で扱うこと』と謳っている)

 頭の中で、三本の線が交差する。

(このまま放置すれば、いずれ制度の方で爆発する)

 税率。衛生規程。ブランド認定。

 そのどこかで、必ず誰かが「不公平だ」と叫ぶ。

「ルクさん?」

 横からアルが覗き込む。

「メモ帳が恐ろしい勢いで埋まってるんですけど、嫌な予感しかしません」

「安心してください。まだ爆発はさせませんから」

 ルクシアはさらりと言った。

「ただ――このままだと、地上と地下が、それぞれ自分だけ損していると感じ続ける構造です。制度として、非常に不安定」

「じゃあ、どうすりゃいい」

 階段を降りてきたベックが、腕を組んだまま唸る。

「キノコのやつらに『値段下げろ』って言うのか?それとも、俺たちに『黙って潰れろ』って言うのか?」

「どちらでもありません」

 ルクシアは顔を上げた。

「――得意分野を、はっきり分けるべきです」

 一同、きょとんとする。

「得意分野?」と、ベック。

「はい」

 ルクシアは、キノコ屋の鍋と、地上の通りの方向を順に指した。

「キノコ組合は製造の専門。迷宮第三層での栽培と、品質管理。

 地上商人は販売の専門。通りの客との信頼関係と、日々の食卓の顔」

 そこで、リュシエルが肩をすくめた。

「前線でもそうだったわよ。武器鍛えるやつ、運ぶやつ、振り回すやつ。全部一人でやろうとした軍から、先に潰れてった」

「さらっと物騒な補足入れないでくださいません?」

 ライネルが即ツッコミを入れる。

 だがルクシアは、その一言に小さく頷いた。

「……その通りです。戦でも市場でも、役目の分離は安定の基本です」

(あ、それ――)

 アルの目が、すっと細くなる。

「地下で育てて、地上で売る。栽培はキノコ組合の責任、販売は地上通りの責任。

 税の取り方も、衛生基準の責任の取り方も、その線に沿って整理すれば――」

「――どっちも、自分が一番やりたいところに集中できるってわけですね」

 アルが、ルクシアの言葉をさらりと拾う。

「キノコを育てることに命かけたい人と、客と顔合わせて商売したい人。同じ場所を取り合うんじゃなくて、役目を分ける」

「つまり、地下のキノコはうちの店を通して売るって話か?」

 ベックが鼻を鳴らした。

「正確には、地上販売分については、ですわね」

 セリアが口を挟む。

「地下市で食べる分は、今まで通りキノコ組合さんの屋台。地上のお客さん向けのキノコは、ローデンさんをはじめとした通りの八百屋さん経由に限定する」

「そうすれば――」

 ルクシアが続ける。

「キノコ組合は確実な販路を得る。地上商人は新しい目玉商品を得る。王都としては、衛生基準を一本の線で管理できる」

 ハルドが腕を組み、唸り声を漏らした。

「……ふむ。つまり我々は、育てることに集中できる。地上の面倒な客相手は、君らがやる」

「言い方!」

 ベックが即座に噛みつくが、どこか楽しそうでもある。

「でも、そうだな……。うちの看板に迷宮直送きのこありますって書けるなら――」

「英雄様ご用達も、嘘じゃなくなりますわね」

 セリアの一言に、ベックの口元がわずかに緩んだ。

 アルは、いつもの調子で肩をすくめる。

「努力する場所を、みんなでずらすだけですよ。ベックさんは売る努力、ハルド先生は育てる努力。

 そのかわり、お客さんが何も考えずに『今日はキノコでいいか』って言えるようにしとくのが、僕の仕事です」

(……やっぱり、この男の線引きは分からない)

 ルクシアは、内心で小さく息を吐いた。

(楽をするために、努力の場所を組み替えている。誰かを切り捨てる方向じゃなく、線の向きを変えることで、全体の負担を減らそうとしている)

 それは、魔王城で散々見てきた「綺麗に終わらせて、恨みを見えなくする」類の知恵に似ているようで――少し違っていた。

(……この構造は、王都の規約と真正面からぶつかる。けれど、うまく調整すれば――新しい標準にもなり得る)

 メモ帳に、さらりと一行。

《地上=販売専門/地下=製造専門 → 税・衛生責任の分離案》

 そして、小さく括弧を添える。

《爆発させる前に、必ず形にすること》

 魔王の娘と、怠惰な勇者志望と、菌バカと八百屋。

 それぞれが守りたいものを抱えたまま、同じ通路に立っていた。

 制度が正面衝突する「本番」の、ほんの少し手前で。

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