表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/27

魔王の娘と努力しない勇者志望は、マッシュルームを食べた

 かつて「大迷宮の都」と呼ばれたリグラードは、今や別の意味で賑わいを取り戻していた。

 昼下がりの第一層。

 天井から吊られた魔導灯がやわらかく光り、石の柱のあいだを人の波が流れていく。

 焼きたてのパンの匂い、串焼きの煙、冷やした果実水の甘い香り。

 そして――

「しいたけ串三本!」「こっちは迷宮まいたけのバター炒めだよ!」

 キノコの香りが、通路一帯を支配していた。

「……あたし、キノコってあんまり好きじゃなかったんだけどな」

 屋台の端っこ。

 リュシエルがマッシュルーム串を一本くわえたまま、もぐもぐと唸った。

「火山地帯に生えるやつって、だいたい毒か薬か一発勝負って感じだったし」

「竜基準のキノコエピソード、スケールおかしいんですよねぇ」

 アルは隣で笑いながら、自分の串を半分リュシエルの皿に乗せる。

「でも、これは好きです? 味つけゆるめにしてもらったやつ」

「……まあ、これくらいなら悪くない。歯ごたえもいいし」

 そう言いながら、リュシエルはもう一本をあっさり消した。

「それにしても、迷宮の中がキノコ臭って、昔のボスが聞いたら泣くわよ」

「泣いてもらって大丈夫です。いまは胃袋の方が強いですから」

 アルが肩をすくめると、リュシエルはふっと口元を緩めた。

「……ま、戦場が飯の匂いになるのは、嫌いじゃないけどね」

 きっかけは、一人の細菌学者だった。

 名をハルド・メイスン。

 王都では「地下水を見るとすぐ培地にしたがる男」「パン屋の酵母にも話しかける変人」として知られ、だいたいの商人ギルドから出入り禁止を食らっていた。

「この世界は、目に見えない小さな連中が支配しているのだ!」

 という持論をどこでも大声で展開しすぎて、ついには王都を追い出され――

 「暗くて、湿っていて、人の出入りがほどほどで、実験を止めに来ない土地」を求めて各地を放浪していたところ、リグラードに流れ着いたのである。

 アルは話を聞くなり、目を輝かせた。

「そんな菌たちにとっての楽園みたいな条件、いっぱい余ってますよ。第三層、丸ごとどうぞ」

 こうしてハルド・メイスンは、人生で初めて「好きなだけ実験していい」と言われる土地を得た。

 一定の温度、一定の湿度、直射日光なし。

 彼は第三層の一角を丸ごと実験農園に変え、菌類のための寝床と給食場を、本気で設計しはじめた。

 結果――リグラード産の高級キノコが、今や王都の貴族の食卓にまで出回る一大ブランドとなりつつあった。

 地下市の入口横、白黒連絡板には今日も数字が並ぶ。

 来客数:五百二十一

 事故件数:ゼロ(継続二十一日)

 白石:百三/黒石:六

 黒石内訳:

 ・キノコの匂いが強すぎる(二)

 ・迷宮まいたけの名前が怖い(一)

 ・寝転がって食べる客がいる(三)

「……最後のは、完全に兄さま案件ですわね」

 板の前でセリアがため息をついた。

 少し離れた席では、アルが湯気の立つカップを片手に、ギルド長と商人たちの話を聞いている。

(中略:商人会議パートはそのまま)

 カラン、と鈴の音。

 会議室の扉が静かに開いた。

 入ってきたのは、一人の少女だった。

 漆黒に近い濃い紺の髪をきっちりとまとめ、深い葡萄色の瞳を持つ。

 黒地に、落ち着いた灰色の縁取りをしたジャケット。

 腰には剣ではなく、革表紙の分厚い帳簿。

 ――人間のふりをした、魔王の娘。

 ルクシア・ノクト=ヴァルグレイス。

 この場では、ただの「ルク・アーベント」。

(ここが……怠け者の勇者志望の作った街)

 内心で小さく息を吐き、少女は一歩前へ出た。

「王都ギルド監査局より派遣されました、ルク・アーベントと申します。

 地下市および迷宮再利用事業の、制度監査と帳簿整理の補助に参りました」

 落ち着いた声。

 頭を下げる角度も完璧。

 その直後――アルの後ろで、椅子がきゅっと鳴った。

 リュシエルがすっと立ち上がり、音もなくルクシアの方へ歩み寄る。

 至近距離まで行く前にぴたりと足を止め、くん、と鼻を鳴らした。

 もう一度、くんくん。

「……アル」

 小声で呼ばれ、アルが身を寄せる。

「なに?」

「こいつ、人間の臭いがしねえぞ」

「ちょっ、待ってリュシエルさん今それ大声で言うやつじゃ――」

 慌てて口を押さえようとするアルの手を、リュシエルはひらりとかわした。

「小声だろ。……でも、これはあっち側の匂いだ」

「あっちって言い方もやめてくださいません!?」

 ライネルが青ざめた顔で二人の肩を引き戻す。

「お前らな、初対面の監査官に向かって人間じゃない宣言するな。せめて会議が終わるまで飲み込め」

「だって気になる匂いだったし」

「後でゆっくり嗅げ」

「表現が最低ですわライネル」セリアが即ツッコミ。

 ルクシアは、そんな小競り合いを一瞥だけして、何事もなかったかのように会議用の席へ進んだ。

(……竜。しかも、こちらを嗅ぎ分ける程度には古い血。さすがに人間のふりだけでごまかせるほど甘くはない、か)

 内心でだけ、わずかに眉を上げる。

 だが表情は、氷のように整ったままだった。

 本来なら、問い詰めるような視線を向けてきてもおかしくない場面なのに――

「おお、有能そう」

 最初に口を開いたアルが、満面の笑みで手を挙げた。

「採用です」

「兄さま、まだ何も見てませんわよね?」

 セリアが即座に突っ込む。

「いやだって、帳簿整理の補助ですよ? この世で一番尊い肩書きですよ?」

「兄さま基準がだいぶおかしいのですわ」

 ルクシアは一瞬だけ目を瞬かせた。

(……監査対象の竜に人間じゃないと嗅ぎつけられた直後に、このゆるさ。

 本当に、こんな調子で街を回しているの?)

 わずかな困惑を飲み込み、彼女は淡々と続けた。

「まずは、白黒連絡板と地下市の規約、王都への報告書の写しを拝見したいのですが」

「あ、はい。こちらですわ」

 セリアが布をめくるように、板の写しと書類の束を差し出す。

 ルクシアは席に着く前に、それらにざっと目を通した。

 視線が走る。

 白と黒の石の集計表。

 旅印の署名欄。

 税率の欄外に書かれた、アルの汚い丸文字。

《地上の税と地下の税は腹の空き具合が同じになるよう調整すること》

(……意味は分からないのに、直感だけ合っている)

 小さく舌打ちしたくなる衝動を、ルクシアは飲み込んだ。

「全体として、非常に――」

 彼女は一拍置き、言葉を選ぶ。

「――直感的な制度設計ですね」

「褒め言葉と受け取っていいですか?」

 アルがうれしそうに身を乗り出す。

「……半分は、そうです」

 ルクシアは書類を指で軽く叩いた。

「ただし、王都のギルド規約第十八条・衛生管理規程との間に齟齬が発生しています。

 地下での食品販売は、地上と同等以上の衛生基準が求められるはずですが、現状ではキノコ組合の自主基準のみ」

「自主基準と言っても、あれでもだいぶ厳しくしてるんだがな……」

 キノコ組合の代表が、ぼそりと抗議する。

「その努力は評価します」

 ルクシアはきっぱりと首を振った。

「だからこそ、努力した人ほどサボれるように、制度で守るべきです」

「……今、いいこと言いました?」

 アルがぱっと顔を上げる。

「私、今のフレーズすごく好きなんですけど。ねぇライネル、メモしません?」

「するな。お前が言うとろくでもない使われ方をする」

 笑い声が少しだけ漏れる。

 ルクシアは、ごくわずかに眉をひそめた。

(……努力した人ほどサボれるように守る。

 それを魔王城で口にしたら、即日説教なのだけれど)

 彼女は書類をまとめ、端的に提案した。

「整理します。

 地上と地下で、税率と衛生基準の軸は揃える。

 ただし、地下市の開業条件に『この街に居を構え続けること』を明記する。

 これで安売りだけして逃げる商人は排除できます」

 セリアがすぐさまペンを走らせた。

「なるほど。兄さまの地下は新規・地上は専門の分け方と、王都規約を重ねる形ですわね」

「はい。さらに、キノコ農園については――」

 ルクシアは別の紙を引き寄せ、さらさらと書き込む。

「第三層を栽培指定階層として登録。

 ・空調魔法の使用時間

 ・排水の流れ

・雑菌管理の基準

 これらを王都の細菌学者協会と共有し、共同規格としておけば――」

「――リグラード産キノコが、王都公認ブランドになる」

 と、アルが続きを口にした。

 ルクシアの手が、一瞬止まる。

「……気づいておられましたか」

「市場が勝手にそう動くなら、最初からそうなるように道を整えておくだけですよ」

 アルはへらりと笑った。

「努力して育ててくれてる人たちが、努力しなくても売れる状態に持っていくのが、僕の仕事ですから」

(……やっぱり、分からない)

 ルクシアは内心で小さく唸った。

(努力をしろと言わないくせに、結果として努力が一番報われる形を引き寄せている。

 この人は、何を見て線を引いているの?)

 ギルド長が咳払いをした。

「ルク殿――でよろしいか? お主、王都の監査官にしては、現場の事情をずいぶん飲むのが早いの」

「……経験上、机から見た正しさと現場の正しさは、交わらないことが多いので」

 ルクシアは、かすかに目を伏せた。

「だからこそ、現場を見ながら本来の線に寄せていくのが、私の仕事です」

(そして、本当の任務は――その現場の中心にいる怠け者を、測ること)

 視線が、アルへ向く。

 アルは、ちょうど湯飲みを全員に配り終えたところだった。

「はい、お茶です。議論は喉が渇きますから」

「お前な、一回くらい会議前に配るって発想はないのか」

「喉が渇いてからの方が、お茶がおいしいですよ」

 ライネルのツッコミに、場が少しだけ和む。

 ルクシアは、その空気を冷静に観察していた。

(怒りが立ち上がりかける瞬間を、茶と冗談で逸らす。

 魔王城で見た、恐怖で抑える場とは真逆)

 アルがこちらを向いた。

「ルクさん」

「はい」

「もしよかったら、このまま現場チームにもついてきてもらえません? 書類だけじゃ見えないところも多いので」

「現場……チーム?」

「はい。明日からは、地上の八百屋さんとキノコ組合さんを連れて、価格と税率のすり合わせツアーです。

 ついでにキノコ農園も見学して、細菌学者さんのところで菌類講義も受けて――」

「待て、それはもうツアーじゃなくて拷問だ」

 ライネルが即座に止めた。

「一日でそんなに詰め込んだら、誰かの胃が死ぬ」

「胃薬はライネルが担当ですから」

「誰が担当だ。自分の胃を守れ」

 ルクシアの口元に、ほんのわずか笑みが浮かびそうになって、慌てて引っ込めた。

「……現場同行。監査官としても、悪くない選択です」

 これは任務だ。

 魔王の娘として、怠惰な勇者志望の実態を見極めるための最善手。

 そう自分に言い聞かせて、ルクシアは静かに頷いた。

「ルク・アーベント。王都ギルド監査局よりの派遣として――

 リグラード再利用事業の現場監査に、同行させていただきます」

「やった。これで僕、さらにサボれますね」

「兄さま、初対面の監査官に対して言う台詞ではありませんわ」

 セリアの冷静なツッコミが飛ぶ。

 ルクシアは、そのやり取りを見ながら、心のどこかで小さく呟いた。

(――本当にサボるためだけに、ここまで考えられるなら。

 それは、父上が一番嫌う怠惰の形かもしれない)

 魔王城から遥か遠い、キノコの香り立つ迷宮の街で。

 魔王の娘と努力しない勇者志望は、静かに同じ席についた。

 会議が終わる頃、屋台から差し入れが届いた。

 迷宮マッシュルームの串焼き。

 アルとルクシアは、ほとんど同時に一本ずつ手を伸ばした。

 ――ほんの少しだけ、距離が縮まった音がした気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ