寝て強くなる秘法、起きればドラゴンついてくる
「――勇者になる」
その一言で、アルノルトは実家を追い出された。
王国軍幹部である父は、額を押さえて短く告げた。
「出ていけ」
それで話は終わり。めでたく勘当。財産ゼロ。将来性も、たぶんゼロ。
当の本人はというと――屋敷に出入りしていた怪しい行商人から買った古書を抱え、ひとりご満悦だった。
「見て見て、ライネル。『努力しないで勇者になる方法』。ちゃんと古書。ちゃんと秘伝って書いてある」
「まず出所と値段を言え」
「心配してくれてる!」
「監視だ。……で、いくら」
「金貨五枚!」
「詐欺だ」
真面目戦士ライネルは、空を仰いで深い溜息をつく。
剣術は優等生。人格も折り紙つき。
問題は――監視対象が、よりにもよってこの男だということだった。
アルノルト。通称アル。
魔法も剣も中途半端。努力は嫌い。お人好しは世界記録レベル。
信条は「寝ればだいたい何とかなる」。
将来の夢は勇者。それが父親に勘当された理由のほぼ全部だ。
「さて、第一章……『寝て強くなる秘法』。よし、修行開始!」
アルはそう言うなり、草むらにごろりと転がった。三秒で寝息が聞こえはじめる。
ライネルは周囲を警戒しながら、手際よく夕餉の支度に移った。
火を熾し、川で魚を捕って捌く。お目付け役は、たいてい雑用も込みだ。
「まずは腹ごしらえだろうが……寝る前に働けという格言を贈りたい」
そのときだった。
地鳴り。影。ふっと、空が翳る。
黒い翼が、太陽を横切った。
「……竜、だと」
山脈一帯で名を知られる暴れ竜が、村はずれめがけて滑空していく。
ライネルは即座に剣を抜き、駆け出した。
「アル! 起きろ!! 非常事態――」
「むにゃ……勇者はまず寝る……」
「寝るな!」
竜のブレスを盾で受け流し、転がり、斬り込んでは退く。
教本どおりの動き。しかし相手は、そもそも教本の想定外だ。
じりじりと押されるライネルの横で、アルが寝ぼけ眼をこすりながら上体を起こす。
そして、竜を見て一言。
「わぁ~、かっこいい」
きらきらした目で、ただそれだけを感想として漏らした。
竜は、その視線に息を呑む。
自分に向けられてきたのは、恐怖か敵意だけだった。
敬意と憧れは、初めてだった。
次の瞬間、そこに立っていたのは――黒髪と黄金の瞳を持つ美女だった。
さっきまで空を覆っていた暴れ竜の、人の姿。
形のいい唇が、怒りとも戸惑いともつかない震えを帯びる。
「……おまえ、わたしが恐ろしくないのか?」
ライネルは息を呑んだ。
「人化個体……厄介だな」
アルは寝癖を揺らしながら、ぽかんと見上げる。
「わあ、髪、きれい」
黄金の瞳が、かすかに揺れた。
この世界で竜に向けられる言葉は二つ。
恐怖か、敵意。
きれいという選択肢は、用意されていない。
「な、なにを……その……」
「僕はアル。君は?」
「……リュシエル。古き谷の守護竜だ」
「いい名前。似合うね」
頬が、ぱちんと色づく。
「褒めてる場合か、アルノルト!」
ライネルが怒鳴る。
「事実を言っただけだよ?」
「タイミングを選べ!」
リュシエルは、胸の奥を押さえるように一瞬だけ眉を寄せた。
「……恐れられるのは慣れた。だから飽きた。……わたしは、ずっとそれしか与えられない役目だった」
そして彼女は、まっすぐにアルを指さして宣言した。
「決めた。わたしはお前の相棒になる」
「え」×2。
ライネルは剣を取り落としかける。
「国を滅ぼせる竜が、よりによって監視対象の相棒? 混ぜるな危険だろうが!」
「うるさい。お前の常識はつまらない。……それに」
リュシエルはちらりとアルを見る。黄金の瞳に、かすかな弱さが浮かんでいた。
「きれいと言った人間は、初めてだ。気分がいい。もっと聞きたい」
「任せて。毎日――」
「毎日はやめろ。依存する」
「もうしてるくせに」
村では火消しが走り回っていたが、アルたちの周囲だけ、妙な安堵が漂っていた。
「と、とにかく、まずはこの場を収める。村への謝罪と補償を――」
「第三章、『敵を味方にする交渉術』によると、最初の印象が九割――」
「読むのをやめろ!!」
騒動のあと、村人たちは気前よく「勇者さま!」とアルを持ち上げ、いつの間にか宴になっていた。
アルは「いやぁ、優しいねぇ」とへらへら笑い、
ライネルは胃のあたりを押さえ、
リュシエルは耳元で「わたしのことも褒めろ」としつこい。
日が暮れ、宴も引け、三人は村を離れて野宿の準備をする。
ライネルは火を熾し、魚を焼いた。
うろこを落とし、串に刺し、香草を塩で揉み込む。
香ばしい匂いに釣られ、リュシエルがふわりと降り立つ。
「……わたしの晩飯は?」
「ほら」
ライネルは、生の川魚を無造作に差し出した。
こめかみが、ぴくりと跳ねる。
「焼けるだろ、自分で。ドラゴンなんだから」
「……あんたが晩飯になる」
「やめて!」
アルが慌ててポットを持ち上げた。
「はいはい、お茶。寝る前に飲むとぐっすり眠れるって、古書にも――」
「その古書は一度閉じろ」
湯気が、冷えた空気をやわらかく包む。
焚き火のぱちぱちという音、遠くの虫の声、頭上いっぱいの星。
アルがふいに立ち上がった。
「僕には秘密兵器がある」
「嫌な予感しかしない。どれだ」
「これ」
取り出したのは、妙に光沢のある黒革のカバン。金の刺繍で、
《整理整頓不要バッグ(付録)》
《※取り出しには睡眠を要す》
と書かれている。
「古書のオマケ!」
「付録で宇宙的収納力を持つな。値段の内訳を今すぐ説明しろ」
そのとき、夜空が赤く染まった。
リュシエルが再び舞い戻る。
山一つ分はありそうな金銀財宝を抱えて、楽しそうに着地した。
「持ってきた。旅支度完了だ」
「待て待て待て。それはもはや三国分の補正予算だ」
「大丈夫。ほら、全部入る」
アルがバッグをぱかっと開く。
金貨、宝石、王冠、意味不明な黄金の便器まで――
あらゆる財宝が、物理法則を裏切る勢いで吸い込まれていく。
すべて飲み込んだ瞬間、アルの膝ががくりと折れた。
「ねむ……」
「おい」
「あ、これデメリットあった。たくさん入れると、持ち主が強烈に眠くなるんだった……付録の小さい字に……」
「重大な仕様を小さい字に書くな!」
アルはその場に倒れ込み、そのまますやすやと寝息を立てはじめる。
ライネルは深いため息をつき、リュシエルは満足げに手を払った。
「軽い」
「軽くないのは私の頭だ……胃薬を三袋……」
「……ところで、その袋。取り出すときも眠くなるのか?」
リュシエルの一言に、ライネルの顔が引きつる。
「……書いてある。『出す分だけ眠れ』」
「最悪だ……」
「明日、ギルド行こうね……」
アルの寝言がこぼれる。
焚き火の炎が、少しだけ小さくなる。
リュシエルはふと二人を見おろし、くすりと笑った。炎が黄金の瞳を照らす。
「――アル。明日も褒めろ」
「……きれい……」
「今のは寝言か、本心か」
「本心だろうな」
「即答するな、真面目戦士」
そのとき。
アルの胸に抱えられた古書の余白で、墨がじわりとにじんだ。
《就寝直前に受けた善意の言葉は、目覚めまで幸運に重なる》
ライネルはそれを見て、顔色を変える。
(……本当にルールがあるのか。しかも、危なすぎる)
彼の脳裏に、勘当の朝に受け取った密命文書の末尾がよぎった。
――監視対象アルノルト:接触予定存在 古き谷の守護竜
追記の筆致は、確かに父のものだった。
(……勘当は罰じゃない。“隔離”だ。誰から、誰を守るための……?)
落ちこぼれの勇者志望。胃痛持ちの常識人。
国を滅ぼせる、褒められ慣れていない竜。
三人の旅が始まる。努力は、おそらくしない。
それでも世界は、少しだけ良くなっていく。
そしてアルは、今日もよく寝た。




