第19話 名の配膳——“片側名”の名刺を町に敷く日
ところてんは、押し出すと形になる。
兄からの朝いち付箋は冷蔵庫の角に貼られていた。
《ところてん=透明の論理。——押す手順があれば、形は勝手に整う。名刺も同じ。》
名を配る日は、料理の配膳に似ている。
僕らは《台所》の板の下で、片側名の名刺を束ねた。
表は大きく片側名——真白/栞/澄(澄のは“未了・代読”の小さな注)。
裏は《台所》の文字と、回覧板座標(「〇丁目△番・回覧板の家」)。
住所を小さく、現在地を大きく。これが台所流。
「配る順は?」
「ところてん手順で行きます」
僕はブロックメモに手順を書いた。
《ところてん手順(名の配膳)》
型を置く(名刺の束=透明)
手順で押す(訪問順路・挨拶文)
形を受ける(受け取り側の運用を聴く)
冷やす(一晩寝かせて、明朝の“返事”で調整)
器に盛る(回覧板・レシート・貸出カードへ)
味噌汁は、とうがんとしょうが。
透明に近い汁に、薄い白がすべる。透明の論理は、朝の喉にやさしい。
九時、配膳の行列を作った。
会長(議長/前菜)、番台のおばあちゃん(汁物)、姪(小鉢)、窓口七番(会計/伝票)、穂積(若手営業)、総代(座敷からの使節)。
入口に《本日の献立:名の配膳》の小札。
澄はベビーカーで“未了・見学”。
一皿目:パン屋
カウンターに名刺を三枚、ところてんの棒で押し出すみたいに揃えて置く。
「片側名でレシートに載せたいんです。名→真白、名→栞みたいに」
奥さんはレジの設定画面を出し、指で欄を指す。
〈お客様名:任意入力〉
「片側名、歓迎。**“未了返却割”**って割引、作っていい?」
「未了が返って来たら——」
「ラスク一個」
ところてんは甘い。透明の論理は、甘味と相性がいい。
二皿目:金物屋
棚の端に《名刺受け》を設置。
番台のおばあちゃんが名刺の器を置く。
店主は無言で針金を曲げ、名刺立てを二つ追加してくれた。
「台所タワーのネジ、細いの入ったよ」
名と道具は、同じ棚に並んでよい。
三皿目:銀行・七番
カウンターではなく、私服の相談ブース。
窓口七番が「レシート=領収書に片側名欄」を試験導入する案を出す。
〈受領者:___(片側名可)/立会:__(黒)〉
「立会がある金融書類は、争いが減ります」
総代がうなずく。「王様は手順。名は料理」
四皿目:コピーサービス
兄が直してくれた“白地強調・弱”の複合機に、名刺テンプレを読み込む。
穂積がポスターを一枚貼る。
《青は写らない、黒は残る。——名刺は黒で》
店主は短く「冷やしとく」と言い、プリントトレイを空にする。
冷蔵庫じゃないプリンタでも、冷やすは効く。時間の余白の動詞だ。
五皿目:自治会詰所
《回覧板 新欄:片側名》が正式採択。
蔵書印と同じ要領で、**「私は——。ここで——を受け取った」**の欄が増える。
会長がぽつり。「受け取る声が町を軽くする」
受け取るの反対は、押しつける。台所は前者の味方だ。
午後、《台所》に戻ると、名刺の束が半分になっていた。
澄はベビーカーで小さく手を広げる。配膳の手。
栞さんが息を整えて、挨拶文のテンプレを読み上げる。
《私は栞。名字は未了。片側名で暮らしを合わせています。——台所まで》
短い。透明。押せば形になる文。
夕刻、商店街レシートの更新が始まった。
パン屋のレシートには、
〈名:栞/名:真白〉
の行が増え、下に**《未了返却割:ラスク(1)》**。
金物屋の控えには、
〈受領:真白/立会:番台〉
銀行の領収書は、
〈受領:風(片側名)/識別:戸籍姓(小)〉
透明の論理は、紙に馴染むのが早い。
そのタイミングで、SNSに一本の“焦げ”。
〈片側名は不便。誰だか分からない〉
焦げ直し・保育版の夜明けボタンがうずくが、夕方だ。
僕はところてん手順の④「冷やす」を選ぶ。
一晩置く。
——代わりに、回覧板の“相談の声”欄に投書した。
《片側名で分からない時→回覧板の座標で合流》**
地図で会う。名前が未了なら、座標で会えばいい。
場所は名の代わりになる。兄の式の変形だ。
夜、図書室は名刺交換会に変わった。
貸出カードの片側名欄に、近所の名前が並ぶ。
陽、風、総、七、番、会、穂。
苗字の壁がない見た目は、合唱の楽譜に似ている。
僕らはところてん器の押し棒を借り、名刺をすこしずつ押し出して配る。
押す力は弱くていい。手順が器の代わりをする。
会が終わるころ、SNSの“焦げ”に夜明けが来た。
同じ投稿者から、短い続き。
〈**片側名、回覧板の座標で分かった。——私は□□。ここでラスクを返す〉〉
**“私は”**が、押し出されて出てきた。
ところてんは、形に抗わない。押すだけで、出る。
片付けの途中で、総代が持ち込んだ座敷版・名刺を見せてくれた。
金の縁取り、家紋、苗字が中央にドン。
僕らは赤鉛筆で置換を書き込む。
- 家紋→台所の印(蔵書印)
苗字中央→片側名+“私は”の文
金の縁→白の余白
総代は笑いながら、ポケットから自分の片側名名刺を出す。
《総》
裏に、《私は総。ここで“看板の章”を読んだ》
座敷の名刺が、台所で二度目の誕生をした。
夜食は、ところてん。
黒蜜も酢醤油も試し、結局、昆布水+少しの塩がいちばん台所に合った。
透明の論理は、だしに寄る。
澄が指でところてんをつつき、すべる音に笑う。
滑りの音は、議事の摩擦を下げる音だ。
KPIの締め(名の配膳・初日)。
・味噌汁率:+1(とうがん+しょうが)
・親族アラート:+0(レシート移行)
・紙進捗:片側名名刺配布/レシート欄稼働/回覧板座標周知
・声進捗:“私は”名刺交換/SNS“焦げ→夜明け”1件
・生活音:ところてん“ずるり”、レシート“ピッ”、判“ポン”
・猫KPI:しるこ、名刺箱睡眠“0”(指導の成果)
「黒字、継続」
「黒字は、透明でも読める」
「透明は、だいたい、押せば形になる」
眠る前、玄関脇の“想定問答”に一枚。
《Q:片側名で混乱したら? → A:回覧板座標を示す/“私は——”で名乗る/一晩冷やす(夜明けボタン)》
扉を閉める音は、今日も家の音。
《台所》の表紙の前で、名刺の束が透明なまま落ち着いている。
――――
【次回予告】
第20話「名刺がレシートになる日——“現在地”で払う、支援の小計」
・POSレジの“片側名”常設化/支援費の現在地小計/兄の付箋は“冷やし茶漬け”——熱くしないで通す、夏の決裁。