表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/28

第16話 台所タワー・保育仕様——“支援”の時間割と、靴のまま入る絵本

 朝の台所は、学校の始業ベルみたいに規則正しい。

 澄の寝息は“ド”と“レ”の間、しるこの肉球は“スタンプ”の役。

 冷蔵庫の前に、新しい欄を増やした。時間版KPIだ。


《時間版KPI(保育・試行)》


6:00〜9:00 起床/授乳/味噌汁(朝)


9:00〜12:00 外気浴/回覧板/来客“相談の声”対応


12:00〜15:00 昼寝/支援費の仕分け(封筒)


15:00〜18:00 買い物/台所タワー保育仕様の整備


18:00〜21:00 夕食/入浴/記録(黒)


21:00〜6:00 夜泣きプロトコル(昆布水五分)


「授業のコマみたいですね」

「コマがあると“焦げ注意”のタイミングが見える」

 栞さんは“焦げタイマー”を冷蔵庫横に吸盤で固定し、五分のボタンだけ磨いた。緊急用は、磨いておくと押したくなる。


 味噌汁は、小松菜としめじ。

 湯気の向こうで、回覧板が二冊同時に届く。自治会からと、親族会の若手連絡網から。

 自治会の紙には、新しい見出し。

 《相談の声》——“命令の声→相談の声”に置換した例文の投書欄が生まれていた。

 ・「ベビーカー置かせて?」→置ける場所、一緒に探そうか

 ・「泣き声が響く」→響く時間、教えてもらえる?(対策考える)

 ・「ゴミの分別!」→分け方、今度台所で実演するね

 良い感染は紙から増える。声は置換で、町は軽くなる。


 一方、若手連絡網。

 穂積のメモが挟んである。

 《“焦げ直し手順”の保育版を作りたい。子ども絡みのSNS誤爆、増加中》

 つまり、夜中の勢いで書いた“育児論”を朝に削るやつだ。

 僕らは即席で、**焦げ直し・保育版(β)**を作って差し戻す。


《焦げ直し手順(保育版・β)》


認める:眠かった(状態)、焦ってた(感情)


削る:断定語・比較語・“うちが正しい”を削除


焼き直す:私はで始める体験記に置換(事実+手順)


換気:写真は台所か外気浴の空(匂いのない画)


保存:下段ファイルと“夜明けボタン”(朝まで公開保留)


 送信した直後、玄関が軽く鳴る。

 総代が、布袋を抱えて立っていた。

 「座敷の絵本を持ってきた。——靴のまま入る版に翻訳してくれ」

 布袋の中には、昔ながらの“家のしつけ絵本”。表紙には、畳と正座と巨大な家紋。

 会長が横から顔を出す。

 「図書館の寄贈棚に並べる前に“台所語訳”だな」


 翻訳作業は、靴のまま入る絵本を作ることだった。

 姪がページをスキャン(今日は“黒”多め)。僕は赤鉛筆で“座敷語”に斜線を引き、横に“台所語”を書き込む。

 - 「お家の人の言うことを聞きましょう」→ “相談の声”で決めよう


「女の子は台所、男の子は外」→ 誰でも台所、誰でも外


「名字を大切に」→ 名前を大切に/名字は手順で扱う


「家の看板を守れ」→ 表紙《台所》を育てよう

 番台のおばあちゃんが、ひとつだけ付け足した。

 - 「泣くのはわがまま」→ 泣くのは手順の合図

 総代はしばらく黙ってから、赤い斜線を見て小さく頷いた。

 「線は切るためじゃなく、置き換えるために引くんだな」


 午後のコマは、台所タワー・保育仕様の整備。

 従来の段に、保育の小札を差し込む。

 〈支援費:猫・断熱・板→+紙おむつまでの距離短縮〉

 〈置換表:母子版・祖父母編→+“保育園への声”〉

 〈生活記録:寝息・泣き声→+“昼夜のBPM”〉

 〈焼き直し:SNS版→+“夜明けボタン”〉

 小札が増えるたび、塔は高くならずに密度が出る。

 塔は高さではなく、隙間の少なさで立つ。


 合間に、澄の初・絵本。

 完成途中の“靴のまま入る絵本”のダミーを、ラミネートせず触れるままに。

 ページに、こう書き直してある。

 《台所に来たら、靴のままで「こんにちは」》

 澄の小さな指が、靴のままの絵をつつく。

 「靴」という語を、まだ知らない。けれど、ままの音は知っている。

 “まま”は、暮らしの許可の音だ。


 夕刻、“相談の声”が増えた回覧板が二巡目で戻る。

 欄外に手書きのやり取りが並んでいる。

 〈ベビーカー置くとき、玄関前すみません→置き場のテープ作ります(青)〉

 〈夜泣きの音、1時半と4時に聞こえる→その時間、うちの洗濯機止めます〉

 紙面の上で、合意語が育っている。

 合意は、判子より早く、湯気より静かに効く。


 その時、兄から付箋。

《時間は“味”になる。——“コマ”を詰めるな、“余白”に昆布水》

 了解。時間版KPIの各コマの境目に、五分の空白を入れる。

 空白は、焦げを寄せつけない防火帯だ。


 夜の前のコマ、穂積から返信。

 《焦げ直し・保育版、採択(社内)。夜明けボタン、みんな救われる》

 会長が親指を立てる。

 「投稿は夜明けの味だ」

 総代は“靴のまま入る絵本”のゲラに、朱で一行。

 《採択(暫定)——図書室配架可》

 座敷の本棚に、台所語の本が入る。

 言葉の引っ越しは、百科事典より絵本が速い。


 夕食は、豆腐と長ねぎ。

 時間版KPIに“入浴→記録(黒)”の矢印を描き足す。

 栞さんが黒で短く書く。

 《私は栞。19:40 入浴、20:10 眠い》

 黒字の現在形は、日記より軽く、レシートより温かい。


 ——夜。

 夜泣きプロトコルの発動は一度。

 タイマーは五分。昆布水は一口。

 “夜泣きクイック・置換表”どおり、言葉を事実→状況→手順に置換して、夜明けボタンを思い出す。

 澄は二巡目で眠り、台所の灯りは低く、長く。

 黒インクは今日も乾く。


 KPIの締め(保育・一日目)。

・味噌汁率:+1(小松菜としめじ→夕:豆腐と長ねぎ)

・親族アラート:+0(運用化)

・紙進捗:時間版KPI稼働/焦げ直し・保育版採択/靴のまま入る絵本翻訳完了(配架待ち)

・生活音:寝息“すう”、ページ“ぱら”、タイマー“ピッ”

・猫KPI:しるこ、見守り“良”


「黒字、継続」

「黒字は、余白にも滲みます」

「滲んだところに、名前が育つ」


 眠る前、玄関脇の“想定問答”に一枚。

《Q:時間割どおりにいかない日は? → A:余白を五分置く/“事実→状況→手順”に置換/夜明けボタン》

 扉を閉める音は、今日も家の音。

 《台所》の表紙は、保育仕様で少しだけ厚くなった。

 厚みは、“支援”の手触りだ。


――――

【次回予告】

第17話「台所の図書室——“靴のまま”で読む夜、座敷が借りに来る朝」

・絵本の配架と貸出カード(片側名)/“相談の声”が栞の母へ届く・祖父母編が本番に/兄の付箋は“水ようかん”——冷たいまま甘い、夏の黒字。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ