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第10話 制度ざまぁ会議・決算編——“焦げそう”を削って落とす

 パンは裏切らないが、人はうっかり裏切る。

 朝、兄からの付箋はトースターの脇に貼ってあった。

《“焦げそうにする人”が出る。——焼き直し手順を貼って、先に見せろ》


 冷蔵庫の中央、KPIの右隣に大きめの付箋を一枚。

《焼き直し手順》


認める(焦げを言葉に)


削る(撤回・削除・訂正)


焼き直す(正しい手順で再発表)


換気(台所の音と匂いで状況を共有)


保存(冷蔵庫下段ファイルへ)


「予告しておけば、座敷も“事故じゃない”と学びますね」

「焦げは事故じゃない、運用です」

 味噌汁は二番だしにじゃがいもを薄く。澄んだ旨みの底で、でんぷんが優しくとろける。


 午前九時。銀行のオンライン通知がぴろんと鳴った。

《返還請求:審査開始》

 受付番号#A-071が、黒の芯のように画面に座る。

 窓口七番からメッセージ。

『本日中に“審査中”へ。入金は“未了”で構いません、議事に残してください』


 同じ頃、スマホが別方向から震えた。

 SNSに見慣れた苗字の“新規投稿”。伯母だ。

〈契約婚の虚偽にご注意。特定の人物が“家の体面”を毀損しており——〉

 スクショが回る速度で台所の空気が乾く。

「焦げそう」

「焼き直し手順、実演します」

 僕は冷蔵庫の付箋を指差し、音読して呼吸を整える。

 認める——「いま、焦げが出ました」

 削る——SNS管理画面で“訂正要求”を紙で提出、併せて“名誉毀損の恐れ”を理由に削除申請。

 焼き直す——置換表に従い、座敷語→台所語で事実のみを掲示板に掲出。

 換気——“生活の音”を添えた短い録音(味噌汁のふつふつ、冷蔵庫の開閉、箸の澄音)に「契約は書面、干渉は拒否条項」の一言を重ねる。

 保存——紙に落として下段ファイルへ。

 会長が頷く。「焦げ臭は、匂いを足すと薄まる」


 午前十一時、親族会の連絡網から“訂正文(暫定)”が回った。

〈“虚偽”の表現は不適切でした。関係者各位にお詫びします〉

 “私は”は、ない。

 姪が眉を寄せる。「主語不足です」

 台所マイクを入れる。読み上げ稽古を一回。

 「私は、虚偽と断じました。撤回し、謝罪します」

 箸が軽く鳴って、ケトルが小さく息をする。

 番台のおばあちゃんが湯呑みを置いて言った。

 「“焦げ”は削ってから、パンは出し直す。言葉もそうだよ」


 昼。商店街会議室。決算編のための机上が整う。

 中央に《台所タワー》、その二段目に返還請求(審査中)の小札。

 右に《突合シート v2》。×が七、○が一、△が二になっている。

 左に《焼き直し手順》。

 入口の小机には、透明のピッチャーに昆布水、皿に薄い焼き目のトースト。

 会長がにやり。「決算の軽食」


 そこへ、伯母が現れた。背筋は固いが、目の端に疲れがある。後ろから配達員、さらに穂積。

 会長が議長席から告げる。

 「本日は“制度ざまぁ会議・決算編”。議題は三本。

  一、返還請求の進捗確認。

  二、“体面費”の再突合。

  三、“焦げそう”案件の焼き直し。——粛々」


 まず、一。

 窓口七番からの照会回答書を姪が読み上げる。

 〈自動振替停止:実行済み。返還:審査中。履歴照会:次回提出〉

 伯母の視線が落ち着かない。

 僕は未了の旗を指さす。

 「“未了”は宿題の透明化です。焼き直しは、この透明の上でやります」


 二。

 体面費の再突合。

 穂積が〈広報用花代〉の伝票を置き、置換表に沿って読む。

 「台所に関係しない支出は、×」

 伯母が反射で言う。「体面には必要です」

 会長が指で置換表の二行目を軽く叩く。

 体面→台所のやりくり。

 「“花”が暮らしをどう温めたか、生活記録で示せるかい?」

 答えが出ない。

 ×が一つ、また一つ。

 ○は引っ越し費用、△は謝罪文のコピー代と表札の保管資材。

 姪が“突合シート”の末尾に一行足す。

 〈×合計=返還対象候補。○=支援費。△=検討〉

 配達員が黒インクで立会署名。

 黒字が、会議の空気を締める。


 三。

 焼き直し。

 伯母は最初、椅子の背にしがみつくように硬かったが、録音の“生活の音”が流れると肩が一段落ちた。

 僕は冷静に手順を並べる。

 「認める——伯母さん、“虚偽”と断じたのはあなたです」

 伯母は小さく頷き、言葉が喉に引っかかる。

 番台のおばあちゃんが湯を一口渡す。

 「削る——投稿を削除し、訂正文を撤回に置き換える」

 配達員が端末で操作を進め、画面に“削除済み”が出る。

「焼き直す——私はから始まる謝罪文。台所で読み、録音し、保存する」

 伯母の目がこちらを見た。

 「……私は、軽い言葉を投げました。生活に触れないまま、虚偽と断じました。撤回し、謝罪します」

 箸が澄んだ音を一回。ケトルが小さく息。冷蔵庫を一秒。

 姪が録音停止を押し、保存。

 「換気完了」

 会長が頷く。「保存」

 ファイル名:《謝罪_伯母_台所読み_年月日.wav》

 黒い小札がタワーの三段目に増える。


 ここで、座敷の空気が“沸騰”しかけた。

 遅れて入ってきた遠縁の叔父が、机を小さく叩いて声を上げる。

 「契約婚自体が家の“焦げ”だ!」

 姪がすばやく休憩ボードを掲げる前に、栞さんが静かに立った。

 「焦げは削ります。——けれど、私の名前は焦げません」

 第1条が、座敷語よりも先に空気を握る。

 会長が拍子を取るように言う。

 「五分休憩。昆布水。焦げ臭は換気で落とす」

 昆布水の透明な音が、沸点を下げる。

 休憩明け、叔父の声は一段下がり、「……未了で」と言った。

 議事に一行。〈“契約婚の是非”——未了(生活優先で棚上げ)〉

 棚上げは逃げではない。手順の選択だ。


 午後三時。

 銀行からの二度目の通知。

《返還請求:入金予定のステータスに移行》

 窓口七番の追記。『明日午前、口座に反映見込み。未了→進捗を議事に』

 会場が小さく息をつく。

 穂積が言う。「数字が動くと、座敷の耳も動きます」


 “決算編”の締めに入る。

 姪が《決議案》を読み上げる。

 1. 返還請求は入金確認まで未了とし、旗#A-071で追跡する。

 2. 体面費のうち×項目は返還対象候補として別紙で確定作業を行う。

 3. 焼き直し手順を親族会内規に採択(暫定)。

 総代の書記が、静かに「異議なし」と言った。

 伯母は迷いながらも挙手し、小さく「賛成」と口にした。

 焦げは、削り落ちた。


 閉会後。

 会長が“軽食”のトーストを一切れずつ配る。

 薄い焼き目。焦げなし。

 配達員がふっと笑う。「色見本、正直、効いた」

 「パンで語彙を合わせるの、座敷には新鮮なんです」姪が言う。

 番台のおばあちゃんは、昆布水を花瓶に分けて胡蝶蘭に足した。

 「台所の水は、花にも効く」


 片付けの最中、兄から付箋が二枚。

《“焦げ直し”採択、お見事。——塔は倒さないで布を掛けろ》

《明朝、入金音が鳴る。——その瞬間、“看板口”の最終停止に入れ》

 入金音。

 黒の芯が、金の音に変わる瞬間。


 夜。台所。

 KPIの締め。

・味噌汁率(週):+1(じゃがいも)

・親族アラート:+1(焦げそう→焼き直し)

・紙進捗:返還入金予定/焼き直し採択/×→候補束化

・兄の手がかり:99%(入金音→最終停止)

「黒字、継続」

「黒字は、黒インクの字で」

 栞さんが笑って、冷蔵庫に新しい付箋を貼る。

《明朝:入金→“看板口”最終停止(実印・カード・照会)/“表札撤去 同意書”の最終版に総代の印影》

 しるこが付箋を鼻でつつき、くしゃみを一つ。

「猫KPI:くしゃみ“1”」

「許容」


 眠る前、玄関脇の“想定問答”に一枚。

《Q:焦げを見つけた人が出たら? → A:ほめて座らせ、削り方を一緒に読む》

 “焦げの共有”は、家を軽くする。


 翌朝のアラームより少し早く、スマホがやさしい音を鳴らした。

《入金:返還金(仮) 着金》

 画面の数字は大きくない。でも、生活に効く。

 昆布水を一口飲み、僕らは銀行へ向かう。


 窓口七番は微笑んで言う。

 「最終停止に入ります。——看板口は、本日で閉じ」

 印鑑の照合、カードの回収手続き、履歴の最終出力。

 プリンタが黒い筋を一行ずつ吐き出す。生活のBPMと同じ速度で。

 姪に送る、会長に送る、番台に送る。

 僕は最後の紙を受け取り、深く息をした。

 「看板口、停止。表札撤去は、すでに完了」

 窓口七番が、小さく拍手をしてくれた。


 その足で商店街の曲がり角。

 総代が待っていた。背中の棒はそのままだが、目に水気がある。

 彼は封筒を出し、短く言った。

 「内規の古条を削除した。——“破談関連”は廃止。

  それから……座敷語版の置換表、承認」

 封筒の中、朱の判がふつうの濃さで座っている。

 焼き目、ちょうどいい。


 家に戻り、冷蔵庫の前でタワーに最後の小札を差す。

 〈看板口:停止〉

 塔は高くない。けれど、まっすぐだ。

 兄から最後の付箋。

《“看板”は戸棚の奥のまま。——家は台所の真ん中》

 台所が、やっと家の主語になった。


 KPI・決算日締め。

・味噌汁率(週):+1(決算昆布)

・親族アラート:+0(運用化)

・紙進捗:返還入金/看板口停止/置換表(座敷語版)承認

・生活音:ピロン“1”、湯気“∞”

「黒字、確定」

「黒字は、食卓で使うね」

 栞さんが、湯気の向こうで微笑む。

 「**“私は”**で始まる暮らしを、続けます」

 僕は頷き、しるこの水を替える。

 家の音が、少し低く、やさしい。


 夜。

 玄関の扉に、小さな影。

 兄だ。

 「決算、おめでとう」

 彼は薄い箱を差し出した。中には表札サイズの木板。何も刻まれていない。

 「空白は、未了だ。——第11話は、ここに名前を刻む」

 僕らは笑って、木板を冷蔵庫の“外”、台所の壁に立てかけた。

 家は、台所の真ん中で、続きを待っている。


――――

【次回予告】

第11話「家の看板を外す夜・再演——“名前”を刻む場所」

・返還金の使い道=“支援”の実装/“未了”の空白に刻む名/兄は“旅を続ける自由”、僕らは“暮らしを守る自由”。

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