第六十六話 敬愛する貴方へ
「むり〜疲れたよ師匠〜」
ある日の昼前。エルデカ王国の辺境にある山の中に建てられた木造の一軒家の中、室内のテーブルに突っ伏しながら少年は言った。
彼の手には一冊の魔法書がある。それ以外にもテーブルには十冊ほどの魔法書に、魔法学や物理学について記された書物まで置かれている。
「色々見過ぎて頭痛くなってきた……もう休みたい」
唸るように言う少年。彼はまだ十二歳、当時はあらゆる能力が未熟だった。
この少年が後にエルデカ王国トップ5に数えられる程の規格外の聖装士にまで成り上がると言われても、誰も信じはしないだろう。
「何を言ってる。まだ始めてから二時間しか経ってないだろう」
対面の椅子に座る銀髪の女は厳しく言い放つ。
「このくらいで音を上げてるようでは、学園ではやっていけないぞ」
「そんな事言ってもさぁ。絶対無理だよ、『この世にある全ての魔法を覚える』なんて。魔法って人によって属性の適性とかあるんでしょ?全部どころか全属性の魔法を使えるようになるってだけでもハードル高いのに……」
「確かに向き不向きはある。魔法の発動の肝となる脳、その構造によって適性は変わるが、だからと言って適性が無い魔法を扱えないわけじゃ無い」
「『不向きな魔法も使い慣れれば適性なんて関係ない』って?」
「そうだ。証拠に私は七属性全部扱える。炎、水、氷、風、雷、土、そして無属性。全てが超一流だ」
「自分で言うあたり本当に自己評価高いよね、師匠って」
「当然だ。私は現存する唯一の大聖者にして、世界最強の聖装士だぞ?聖装能力はもちろん、魔法だって極めてきた。この世にある魔法は全て扱える。流石に生まれつきの適性が無ければ扱えないような特別な魔法は例外だがな」
女の態度は自信に満ちていた。自分が最強である事を一部たりとも疑っていない。
それは驕りであるようで、しかし事実として彼女は最強だった。如何なる厄災も強者も、彼女の足元にも及ばない。
「そんな私の指導を付きっきりで受けるんだ。必ずお前も全ての魔法を使えるようになる」
「いや師匠が優秀だからって弟子まで優秀とは限らないじゃん。特に俺は才能無いんだから」
「一般的に見ればお前も才能はある方だぞ?聖装具が使えずとも聖装士に匹敵する才能はある。魔法の才能だってその内の一つだ。普通の人間よりは断然見込みはある」
「けど魔法だけ使えたって意味は無い。俺以外の聖装士だって魔法は使えるし、そこに聖装具まで付いてくる。魔法だけの俺じゃ勝てっこないよ」
「そのための『魔法崩し』をお前に覚えさせるようとしているんだ」
「確かにそれがあったら多少は変わるだろうけどさぁ……それも現実的じゃ無いでしょ。『相手の魔法に対して反振動となる魔力を打ち込むことで術式を乱し、魔法を無力化する』だっけ?無理じゃんどう考えても。反振動を打ち込むどころか、何が反振動になるのかも分からないし、そもそもどうやって相手の魔法を見抜けって言うんだ」
「それは知識を付けて見抜けるようにするしかない。相手が使う魔法は発動前の魔力の起こりから読み取れる。反振動は元の魔法を覚えていれば簡単だ。逆のことをすれば良いだけだからな。そのために全ての魔法を習得し、見抜く力と反振動を作る技術を身につける必要がある。あと必要なのは、相手の魔法を見抜いてから行動に移す反射神経。それは実践を繰り返して鍛えさせる。これらを乗り越えれば十分実現可能だ」
「簡単に言いやがって……」
当たり前のように馬鹿げた事を言われた。おそらく彼女にとっては本当に簡単な事なのだろうが、少年にとっては無理難題の極みだった。
じゃんけんで言うなら、相手の行動から出そうとしている手を見抜き、それに勝てる手を出すのと同じだ。これにはかなりの反射神経や洞察力が求められるが、それさえあれば可能なズル技だ。
そう言われると『魔法崩し』も現実的な気がするが、しかし魔法とじゃんけんには明確な違いがある。それは『出せる手札の種類』だ。
じゃんけんはグー、チョキ、パーの三種しかない。だが魔法の種類は千を超える。
その中から相手が使おうとしている魔法を見抜き、対応する魔力の反振動を即座に生成し、相手の魔法にぶつけるなど、どう考えても現実的ではない。
加えて言えば、『魔法崩し』が使われるのは戦闘中だ。目まぐるしく変わる戦況の中、そこまで冷静に考える余裕があるだろうか。
「はぁ……ますます自信無くなってきた。そもそもの話、聖装具すらマトモに使えない奴が聖装士の学園を目指す事自体おかしいでしょ」
「それはそうだが、あの学園はお前にとっても悪くない環境のはずだ。あそこは聖装士を育てるための場所だ、お前の聖装具についても何か手がかりが掴めるかもしれないぞ?」
「三百年以上生きてる師匠ですら知らないような事が、学園なんかで知れるとは思えないけどなぁ……」
結局は己の才能が壁となった。何故か力を発揮してくれない聖装具。色々試してみたが、未だに変化はない。
学園に入学するのは十六歳になってから。師匠からは『経験を積むために』と入学を強いられたが、自分なんかが行って何が出来るのか。そもそも入学できるのか。
「……なぁ師匠」
「なんだ?」
「師匠はさ……もし俺が学園に入学できなかったり、学園で上手くいかなかったりしても……一緒にいてくれる?」
それは年相応の少年らしい言葉だった。もし上手くいかったら、この人はどんな反応をするのか。
不出来だと怒るのか、弟子を切り捨てるのか、失敗しても気にしないのか。
不安を内包した少年の問いに女は小さく笑うと、少年の頭に手を乗せて言った。
「…………ああ、もちろん。お前が死ぬまで、私が面倒みてやるさ。何があってもな」
***
「…………ん」
目を開く。そこにあったのは師範の姿でも、以前の住処でもない。
皇城の一室の天井があった。
「……ああ、夢か」
随分と懐かしい夢を見た。あれは確か十二歳の頃の事だったか。
あの頃は戦う力なんて全く無かった。体術も魔法もまだまだ戦闘で使える水準には満たしていない。
故に力を付けるために、毎日地獄のような日々を過ごしていた。
(朝起きたらまず山道でランニング……その後は勉強に次ぐ勉強……昼飯食べたら魔法の実践、師匠が飼ってる魔法生物相手の実戦を繰り返して体術を鍛えさせられて……それが夜まで続いたっけ。それでお風呂入ったらまた寝るまで勉強……思い出すだけでも嫌になるな)
当時の事を思い返すと、やはり今の生活が易しく感じる。それだけ当時の日々は辛かった。
しかし、だからと言ってシリノアを嫌いになったことは一度もなかった。彼女はいつだってアランにとって恩人であり、師範であり、母親のような存在だった。
アランが強さを求めた理由もシリノアだ。
大聖者の弟子に相応しく、そしてシリノアがいつかアラン・アートノルトという弟子を誇りに思ってくれるような、そんな強い聖装士に成りたかった。
故にどんな無理難題でも諦めずに挑み続けた。己のためでも、他の誰かのためでもない。
全ては敬愛する師範のために。
(……そう考えたら、俺って結構マザコンなのか?)
どうでも良い事を考えながらベッドを出る。手早く着替えると、手に取ったのは皇都の地図。
枚数は六枚。人通りの多い中心部だけでなく、人目の少ない皇都の郊外や裏路地区域の地図もある。最初の地図以外は全て情報屋から買った。
地図の各所にペンで印がついてる。それが敵の拠点候補。今日は可能な限りここを回る。
ポケットに地図をしまうと部屋の扉に足を向ける。
この後は朝食を食べて……後は外に出る前にあの皇女とも話しておこう。
多分今日は夜まで帰って来れないから、話せる内に話しておきたい。多分あの皇女は放置すると後々面倒なタイプだ。性格的にそんな気がする。
「…………」
扉のドアノブに手をかけたところで、ふと部屋の窓に目をやった。窓の外の晴れ空が目に映る。
(今頃何してるかな……あの人)
依頼で遠出でもしない限り、シリノアとはほぼ毎日のように会っていた。だからこうして離れ離れになると、どうしても彼女の様子が気になってしまう。
彼女のことだから心配するような事は起こっていないだろう。食事だって今では毎回外食しているという話だったし、持ち前の壊滅的な料理スキルで台所で大暴れ、なんて事にはなっていないはず。
「……いいや、行こ」
無駄な心配を捨て、アランは部屋を出た。




