第六十二話 矛盾の果てに選んだもの
皇城を出た後、アランは皇都を歩いていた。
これ以上この国に滞在する理由は無い。いつもの学生寮に帰って、学生らしく長期休暇を謳歌する。それしか今のアランの頭にはなかった。
(ったく、訳分かんねぇんだよ、あの阿呆ども。皇国が頑張ってもどうにもならない話に俺一人加わったところでどう変わるってんだよ。無駄に休日割かせやがって)
内心で毒吐きながら歩く。探しているのは適当な空き地だった。そこで転移魔法を行使してエルデカ王国に帰る。そうすれば一瞬だ。
一度転移魔法でここまで連れてこられた時に座標情報は掴めている。あとは転移魔法を行使するための場所さえ用意すればいい。
(今なら間に合うかな……一日目だし、リオたちもまだ決めかねてるって話だったし)
思い出すのは友人たちとの会話。一時は無理かと思ったが、これなら彼らとの予定にも間に合いそうだ。
アランには元々予定があった。それは他でもない、この長期休暇にリオたちと一緒に旅行に行くという予定だ。
長期休暇に入る二日くらい前に突然フィアラが言い出して、それから皆で色々相談して。楽しい長期休暇になるはずなのに、それがアリシアたちのせいで邪魔された。アランがずっと不機嫌だったのはそうした理由がある。
遊びに行く予定を邪魔され、挙句にどうでも良い事件の解決を命じられ、これで怒るなと言う方が無理があるだろう。
今回に限っては、アランは完全に被害者だった。直接事情を言い出さなかったのは、言っても無駄だと分かりきっていたから。
(ダメだ、思い出すだけでもイライラする。さっさと帰ろう)
適当に歩き続けるアラン。だがこういう時に限って、なかなか空き地が見つからない。
昼に案内所で貰った地図には空き地らしい場所は無かったし、そもそも皇都に空き地があるイメージもあまり付かない。
この際人目が付かなければ何でも良い。他に適した場所を探してみようか。
そんな事を考えていると、どこかから波音が聞こえてきた。
「これは……」
音の方向を見れば、その先には美しい海が見えた。知らないうちに皇都の海岸まで来ていたらしい。
皇都はリフレイム皇国の東端、海沿いに位置している。なので港もあるし、海も見れる。
何か考えがあった訳ではないが、アランはなんとなく道端の柵まで寄った。柵に手を置き、向こうの海を眺めてみる。
現在時刻は午後六時半。地平線の向こうに夕日が沈みかけているのが見える。海は光に照らされながら、波音を運んでくる。
「…………綺麗だな」
純粋にそう思った。この時だけは怒りを忘れて、雄大な景色を見ていられた。
穏やかで美しい。見ているだけで自然と心が落ち着いて───それ故か。
「痛ッ!」
後方から子供の声が聞こえてきた。振り返ると、そこには転んだ一人の子供と、もう一人の子供がいた。
もう一人は「大丈夫?」と声を掛けながら心配そうに見ている。転んだ子供は膝を抑えながら、ゆっくりと立ち上がった。
(……擦りむいてるな)
僅かに膝から出血していた。転んだ拍子に擦りむいたのだろう。
痛そうだが、放っておいても大事になるような怪我ではない。その内勝手に回復するとは思うが───それでも。
「……なぁ」
気づけば体が動いていた。子供達の元へ歩み寄って、声をかける。
「君、大丈夫か?膝を擦りむいてるけど」
「お兄さん誰?」
「俺はただの通りすがりだよ。良かったら、その傷治そうか?」
「え!?治せるの!?」
「《治療》を使えばこのくらいすぐだよ」
「本当!?じゃあ治して欲しい!」
「そうか。ならちょっと傷口触るよ」
その場で屈んで、子供の膝に手を当てる。治療魔法を行使すると、あっという間に傷は完治した。
擦り傷程度なら素人でも治せる。アランにとっては造作もない事だ。
「凄い!もう治った!お兄さん魔法上手なんだね!」
「まぁね、これでも魔法は結構自信あるから。君たちも魔法を学んでいけば、これくらい出来るようになるよ」
そう言いながら立ち上がった。
「もう時期暗くなるだろうし、そろそろ家に帰った方が良い。今度は転ばないように気をつけるんだぞ」
「うん!ありがとうお兄さん!」
子供たちはアランの元から去っていった。転ばないようにと言ったものの、彼らは普通に走っている。
また転ばないか、若干心配になってきた。
「…………あ、れ……今、何考えてた?」
心配?何故そんな事を考えてる。
どうでも良かったはずだろう。この国が、この国の人々がどうなっても構わないと考えていたはず。
なのにどうして、俺はあんな子供の心配を?
「何やってんだ……今更ガキの命なんて……!」
分かってる。心ではどうでも良いと思ってる。だからこそ自分の思考が理解できなかった。
何故助けた。助ける必要の無い命を。
可哀想だと思ったから?善行をして満足したかったから?そんな馬鹿馬鹿しい理由のために、俺は人を助けたのか?
「いや違う、そういうのじゃない……そもそも、理由なんて……」
そうだ、大層な理由なんて必要無い。助けたいと思ったから助けた。
救える者が目の前にあって、それを無視したくなかったから助けた。それで十分じゃないか。
リフレイム皇国の行く末なんて興味無い。この国が壊れても、誰かが死んでもどうでもいい。だから助けたいんだ。誰かが傷付く光景は嫌だから。
救えるものを見過ごすのは気分が悪い。なるべく不幸でいてくれた方が、俺も気分が良い。
特にアイツみたいな人間が苦しんでいる場面は見ていて面白い。滑稽そのものだ。あのような人間がのうのうと生きているだけでも腹が立つ。
アイツが思ってるような理想的な強者を目指すつもりは無い。俺はやりたいように生きて、好き勝手に他人を助ける。
全ては救えないし、救うつもりも無い。全部壊れてしまえば良い、最大限まで苦しんで死ねば良い。俺なりの判断基準で、俺が救える範囲の者くらいは助ける。
聖裝具は使えずとも、聖裝士に匹敵するスペックはある。魔力も多いし、魔法も常人より遥かに卓越していると自負している。
俺には力がある。誰かを救える力が、理想を叶える力が、誰かを傷付け恐怖させる力が。
だから助けた。色々言いながらも結局困っている者を無視できなくて、他人のために力を使った。俺の人生が報われるよう、皆が苦しむように努めて───
「あぁぁぁぁクッソ!」
額を抑えて呻いた。さっきからどうなってる。なんでこんなにも思考が噛み合わない!
頭の中がグチャグチャだ。何かを考えれば、すぐ真逆の事を考えて………気持ち悪くて仕方が無い。
(いよいよ頭までおかしくなってきたか。早く帰らないと……)
そう思うのに、足がその場から動かない。
ここで帰れば多くの人が苦しむ。多くの人が悲しむ。それは俺の望むところではない。だから無視して帰るべきで───また食い違った。
(俺は何がしたいんだ……!)
自分の事なのに理解出来ない。思考の制御が利かないんだ。次々に訳の分からない事を考えてる。
「…………師匠、アンタならどうしたかな。俺にどうしろって言うかな」
多分あの人ならこう言うだろう。お前のやりたいようにしろって。師匠は昔からよく言っていた。
『アラン、私はお前にこれと言った理想は求めない。好きに生きろ、お前のやりたいようにやれ』
『その言い方だと俺が悪い事をしても良いってことにならないか?』
『ああ、それでも良いぞ。別に私は道徳や倫理に興味は無い。そもそも、そのような高尚な事を語れる人間でも無いからな。私だって人くらい殺してる。救いたい奴がいたら救えばいいし、殴りたい奴がいたら殴ればいい。お前がその結果に満足できて、後悔を残さずにいられるのならな』
『後悔?』
『そうだ。お前が後悔しない選択をしろ。後悔さえしないのなら、お前が何をしても私は咎めん。むしろ背中を押してやる。お前の師匠として、母親としてな』
そう言ってあの人はよく俺の頭を撫でてきた。なんで一々俺の頭を撫でてきたのかは今も謎だが、多分親心的なヤツだったのだろう。
「後悔か……」
今一度あの時の言葉を振り返る。俺は何をしたい、どうすれば後悔せずにいられる。
「…………」
視線を上げ、皇都の景色を目に映す。
美しい皇都を行き交う人々。多くの者が幸せそうにしている。海礼祭が間近に迫っているからだろう。
この景色を俺はどうしたい。壊したいのか、それとも守りたいのか。
(……いや、それは分かってる)
壊したい。何もかもを台無しにしてやりたい。それは間違いのない願いだ。
彼らを見てるだけで無性に腹が立つ。理由は自分でも分からないが。
(なら俺はどうして足を止めている)
それも分かってる。見捨てたくないと思ってるからだ。
この幸せな雰囲気を、この美しい街並みを、彼らの平和を守ってやりたいと思っている。その理由も自分では分からない。
(俺はどちらを選べばいい)
相反する二つの願い。どちらも等しく切り捨て難い願いであるからこそ、今こうして悩んでいるのだ。
きっとどちらを選んでも俺は後悔する。完璧な正解なんてない。
ならば取るべき選択肢は───
「────ここまでかな」
***
「…………?」
皇城にて、アリシアは部屋の外に人の気配を感じた。
扉がノックされたかと思えば、返事も待たずに扉が開けられた。このような態度を取る人間をアリシアは一人しか知らない。
「あ、アラン君?」
部屋に入ってきたのは他でも無い、アラン・アートノルト。彼の雰囲気は最後に見た時よりは遥かにマシになっている。
「どうしてここに……もう帰ったのではなかったのですか?」
「帰ろうと思ったさ。だけどあれから色々と考えて、やっぱりここに残ることにした」
「残る、ということは……」
まさかと思って言ってみれば、
「ああ、協力してやるよ。そのクソ下らない事件の解決」
返ってきたのは望んでいた答えで、何よりも信じ難い答えだった。
「一体どういう風の吹き回しですか。先程まであれほど否定的だったというのに」
「なんだよ不満なのか?嫌なら帰るが」
「いえ、そういう訳では……ただ貴方の思考が理解できず……」
「んなモン俺も分かってねぇよ。正直未だに決めかねてる。皆を助けたいと思ってるし、同じくらい皆を見捨てたいとも思ってる。理由は自分でも分からないけど」
「その中で選んだのが、前者の願いということですか」
「いや、違うぞ?」
「はい?」
意味不明な回答に困惑した。
「助けたいが見捨てたい。この二つの真逆の願望を叶える方法を考えてみた結果、俺は一つの結論にたどり着いた」
パンっ、と一度手を叩いて、
「とりあえずは事件解決に尽力する。解決できたら皆幸せで良いし、失敗したらそれも良い。むしろ望ましい結果は後者だな。尽力したがどうにもならず、皆不幸になってしまった。尽力の末に失敗したならまだ諦めがつく。これならどっちの願いも叶えられる!」
「…………」
笑みを浮かべながら狂った理論を述べるアラン。思わずアリシアは顔を引き攣らせた。
アランの協力は得られた。結果的には上手くいったと言っていい。
だがこの狂人はどうしたものか。いつもの調子に戻ったように見えるだが、完全には戻っていない。証拠に思考が歪みまくっている。暴虐者としての思考と異端者としての思考がごちゃ混ぜになっているのだろう。
これで本当にちゃんと働いてくれるだろうか。事件を解決できるだろうか。
上手くいったはずなのに、不安が拭えないアリシアであった。




