第五十九話 ブチギレ、アートノルト
あれから暫く経った後、ローヴェントとの話を終えたアランはアリシアと共に王城の中を歩いていた。
向かっているのは正面出入り口の外。そこにリフレイム皇国が派遣した転移魔法士がいるらしい。
アリシアは既に荷物は用意してある。アランも勝手に荷物を用意されていたので、後はリフレイム皇国へ向かうだけ、なのだが。
「…………」
気まずそうな表情をするアリシア。この空気感に居た堪れなくなっていた。
現在、アリシアの横にアランがいるが、そのアランは玉座の間を出てから一言も話していない。
喋る必要が無いから、という訳ではない。正しくは喋れないのだ。今口を開けば何を言うか、アラン自身も予想できなかったから。
そう、アランは今キレていた。必死に表情を作っているが、手は強く握られている。まるで何かを抑え込んでいるかのようだ。ここが王城の中でなければ怒りのままに暴れ散らかしていただろう。
アリシアはアランの怒りを察していた。だが声は掛けられない。今一言でも余計な事を言えば、引き金を引くことになるという確信があった。
アランはあと少しでも燃料を加えれば爆発する状態まで来ている。アリシアに出来ることは、これ以上アランを刺激しないようにする事だけだった。
(彼が怒る事は予想できていましたが……これはマズいですね)
いくら報酬が用意されているとは言え、休暇を邪魔された事にアランが怒らないはずが無い。
こうなる事は予想できていたが、ここまで激昂するとは思わなかった。もしかしたら他にも原因があるのかもしれない。
五日後の海礼祭が終わるまでアランが耐えてくれる可能性は限り無くゼロに近い。どうにかしてアランの機嫌を直す方法はないかと考えてみるが、すぐには案は思い付かない。アリシアはそこまでアラン・アートノルトという人間を理解できていなかった。
地獄のような空気感に耐えながら歩いていると、二人は正面出入り口まで来ていた。
出入り口には二人の荷物を持った使用人が待機していた。荷物を受け取ると、二人は城の外に出る。
外には白いローブを羽織った女がいた。リフレイム皇国から派遣されてきた転移魔法士だ。
「お待ちしておりました。アリシア・エルデカ様、アラン・アートノルト様。これよりリフレイム皇国への転移へ参りますが、お準備はよろしいでしょうか?」
「はい、本日はよろしくお願いします。アラン君も大丈夫ですよね?」
「……はい」
声を僅かに震わせながらも笑顔で返すアラン。綱渡をしているような気分になってくるアリシアであった。
「でしたらこちらの魔法陣の上にお乗りください。《空間転移》は発動に細かな座標設定等が必要になりますので、発動中は動かないようにして頂けると助かります」
床には既に魔力で描かれた法陣があった。
アリシアたちが法陣の上に乗ると、転移魔法士は法陣に手を当て、転移魔法の発動準備を進める。
転移魔法は数ある魔法の中でも最高レベルの難易度に位置する魔法だ。扱える者はごく僅かしかいない。
故に転移魔法士という役職まで存在する。
「一応言っておきますが……アラン君、『魔法崩し』は使ったらダメですよ?」
「…………分かってる」
アランは転移魔法が使える側だ。やろうと思えばこの転移魔法士が使おうとしている転移魔法を『魔法崩し』で無効化する事もできる。
無いとは思うが、念ためにアリシアは注意しておいた。それと引き換えにアランの不機嫌度がさらに上昇した。これは長くは保ちそうにない。
「準備が完了しましたので、これより発動に参ります──我は扉を開く者、我は世界を繋ぐ者。彼岸に立つ者共よ、我が意志の下に共鳴せよ。ここに邂逅の時は訪れた」
詠唱が進むに連れて、法陣がより強く輝き出す。二人の視界は光に覆われ、ほとんど見えなくなっていた。
「故に今、繋ぎ手たる我が告げる──」
異なる空間との接続により、こちらの空間が歪んでいく。
浮遊感が生じ、音が遠のく。そして一瞬、彼らの体の感覚が曖昧になったかと思えば──。
「──空間転移」
──次の瞬間、目に映る景色が変化した。
***
「ここは……」
アリシアたちの目に映ったのは、エルデカ王国の王城とはまた違う光景。気温も少し変化したように感じる。
「到着しました。こちらはリフレイム皇国の中枢、皇城の正面出入り口前でございます」
疲労感を滲ませながら、転移魔法士が言う。
転移魔法の発動には莫大な魔力を要する。効果が強力な代わり、燃費の悪い魔法なのだ。
「私の案内はここまでとなります。短い間ではありますが、どうぞ、リフレイム皇国をお楽しみください」
役目を終えて去っていく転移魔法士。ここから先はアリシアたちの仕事だ。
「それでは行きますよ。これから皇城の方々との挨拶がありますから。休憩はその後です」
「チッ……分かったよ」
苛立ちを隠しもしないアラン。不安を募らせながら、アリシアは城内へと歩を進めた。
***
数時間後、リフレイム皇国の国王をはじめとする皇族たちとの挨拶を済ませたアランが通されたのは、皇城にある一室。
室内には豪華な家具や寝具が完備されている。今日から六日後まで、アランはここに泊まることになる。なおアリシアは隣の部屋に泊まることになっている。
「はぁ……疲れた」
荷物が入った鞄を床に置くアラン。中には着替えや生活用品などに加えて、かなりの額の金銭が入っている。足りない物はこの金で補えということらしい。
一通り荷物の内容を確認したが、特に不足している物は無い。そもそも、本当に必要な物の大半は、常備している手袋型魔導器『虚空の手』の中に収納してある。滞在中に物に困ることは無いだろう。
荷物と部屋の確認を終え、暇になったアランは部屋の外に出た。
隣の部屋の扉の前に立つと、ノックもせずに扉を開けて室内に入る。
「入るぞ、アリシア」
扉を閉めると声をかける。少なくとも部屋に入ってから言うセリフでは無い。
「ここは皇城なので、ノックくらいの礼節は守って欲しいのですが」
「周りに誰もいなかったから別にいいかと思った。あと今はお前に礼儀とか持ち出したくない。嫌ならお前の護衛を今すぐ他の奴と取り替えることだ」
明らかな不満を見せつける。気づけばアリシアへの呼び方も変わっていた。
「………やはり、不満ですか?」
「お前はこれが不満じゃない奴の態度に見えるのか?」
「見えませんね」
もし今のアランの心情について街中でアンケートを取れば、千人中千人が『不満を感じている』と答えるだろう。それほどに今のアランは感情が表に出ていた。
「せっかくの休暇を割かせてしまった事は申し訳なく思っています。ですが、貴方しかこの役割が務まる者がいなかったのです。もちろん相応の報酬は用意してありますし、この滞在期間中も時間さえあれば好きに行動していただいて構いません。なので、ここはどうか理解していただけると……」
「理解だと!?お前らどこまで……!」
言いかけて、ギリギリのところで踏みとどまる。
「……まぁいい。とりあえず、これから暫くは自由時間なんだろ?」
「はい、今日は自由にしていただいて構いません」
「なら皇都を歩いてくる。夜になる前には戻る」
アランは部屋を出て行った。その背を見届けて、アリシアは呟く。
「…………人選、間違えましたね」
***
廊下に出たアランは皇城の階段へ向かっていた。ここは二階、外に出るには一階に降りなくてはいけない。
(あぁぁぁイライラする)
積もった不満が顔に出そうになるが、それをなんとか堪える。皇城の中では、そうした感情は抑えなくてはいけない。
皇都を歩くと決めた理由は単純、ストレス発散だ。休暇を奪われ、最悪な仕事を課され、さらに礼儀作法が絶えず求められる場所に連れて来られた。このままではストレスでどうにかなってしまいそうだった。
ここは一度、外に出て心を落ち着かせる。アリシアに会うのはその後だ。今、顔を合わせたら暴力沙汰になりかねない。
深く息を吐きながら廊下を歩いていると、階段の近くまで来ていた。それと同時に、誰かが階段を上がって来た。
そこに居たのは二人の女。片方はアランと同じくらいの歳の少女だ。
青と白を基調とした高貴な装いに、青みがかった銀のセミロングヘア。先程挨拶をして回った時には見なかったが、おそらく皇族の一人だ。
もう片方は小綺麗なダークスーツを着た女だった。黒い長髪を首元で束ねている。
身なりからして皇族では無い。だが一挙一動が洗練されている。あれは戦い慣れた者の動きだ。
(あのガキの側近……護衛も兼ねてるのか。しかもあの女、動きもそうだが魔力量が多いな。聖装士か)
このまま歩けばすれ違うことになるだろうが、それくらいは構わない。
黙って通り過ぎれば良い。挨拶されたら返事するくらいだ。
もちろん話しかけないでくれた方が楽だが、上手くいかないのが現実だった。
「……あら、貴方見ない顔ね。それにその服も……もしかして来客の方?」
アランの存在に気づいた少女が尋ねてきた。皇城という場で見知らぬ者が現れたのなら、妥当な質問ではある。
「はい。エルデカ王国より参りました、アラン・アートノルトと申します。本日よりアリシア・エルデカ様の騎士としてこちらに滞在させていただいております」
「エルデカ王国……ああ、海礼祭絡みね」
少女の反応からして、ある程度の事情は知れ渡っているらしい。
「今は一人なの?」
「アリシア様から、今日は自由にして構わないとのご指示をいただきましたので。この後は皇都を見て回ろうかと」
「そう、なら楽しんで。皇都は綺麗な場所が沢山あるから、観光には事欠かないわよ」
「そうさせていただきます。それでは、私はこれで」
そそくさとアランは少女の横を通り過ぎていく。やはり目上の連中と関わるのは面倒だと、改めて思った。




