第二話 烈火の女帝
「さぁ、行きなさい!」
リデラが声を上げた瞬間、炎の狼たちがアラン目掛けて動き始めた。
常人の倍はあるであろうスピードを活かしてアランに接近しながら、ある一匹がアランのすぐ前で跳躍。アラン目掛けて飛び掛かると、鋭利な爪をアランの顔に振るった。
刃物のように鋭い爪だ。当たればまず顔面がえぐられるだろう。
だがこの程度の攻撃に当たるアランでは無い。少しだけ体を傾けて狼の攻撃を回避すると、右手の剣を狼の腹に振るう。
剣は狼の体に食い込み、そのまま真っ二つに両断した。
「なるほど……一応実体はあるんだな」
外見からしててっきり全身が炎で出来ているのかと思ったが、切った瞬間の手応えからしてそうでも無いらしい。
物理的な攻撃で倒せると分かっただけありがたい。とは言っても、この狼も所詮はリデラの聖装能力から生まれた存在。リデラの魔力が続く限りはいくらでも復活は可能だろう。厄介であることに変わりはない。
見れば、目の前には既に数匹の狼が迫っている。いちいち思案している暇はない。まずは目の前の脅威を払うことが先決だ。
「《身体強化》」
即座に脳内で術式を構築し、詠唱を以て魔法を発動する。自身の身体能力が上乗せされる感覚を感じながら、アランは狼を迎撃する。
飛びかかってきた狼を回避と同時に首を刎ねる。後ろから迫ってきた狼は振り向き様に薙いだ刃で切り払い。別方向から狼が挟み撃ちをしてきた時には回避することで狼同士をぶつけ、怯んだ隙に切り飛ばす。
絶え間なく全方位から襲いくる狼と、それを一瞬たりとも止まること無く切り払うアラン。見かけ上では狼に圧倒的な数の優位があるはずで、しかしアランはその差をものともしない。
一度たりとも負傷することなく、まるで舞うかの如く洗練された動きで無双する。
気づけば狼の数は残り五匹。このまま押し切れるかと思った───その時、
『───────ッ!!』
奇声と共に、どこからともなく放たれた火球がアランを襲った。咄嗟に後方に跳躍することで火球を回避するが、一体何が起きたのか。
着地したアランが火球の方向を見てみると、
「まぁ……この程度で終わるわけないよな」
そこには宙に舞う炎の怪鳥がいた。それも一羽ではない、ニ十羽はいるだろう。
分かってはいたが、やはり生成できるのは狼だけではないらしい。この様子だと他にも色々な生物を生成できそうだが……
「おわっと!」
そうこうしている内に再び火球が放たれた。数的不利な状況でわざわざ弾く必要も無いので、アランは後退しながら火球を回避する。
だが、
「……ん?」
その瞬間、アランは妙な気配を感じた。
地面の下からだろうか。魔力を持つ何かが急接近して来るのを感じる。
この気配は───
「こりゃマズイ!」
咄嗟にその場で跳躍すると、直後にアランが立っていた地面が爆発した。
地面を突き破って現れたのは炎の大蛇。どうやら地中を通って来たようだ。
『シャァァァッ!!』
大口を開けて空中のアランへと大蛇が迫る。これに飲み込まれるのはさすがに避けたい。
今すぐにでもこの蛇を他の狼みたく切り払わなければならないわけだが、
「……チッ」
横から感じる魔力に目を向ければ、怪鳥たちが数発の火球を撃ってきた。
空中で動きが取りにくい状況を狙った一撃だ。火球を切れば大蛇に対処できず、大蛇を切れば火球に対処できない。
どちらの選択肢を取っても負傷は避けられないこの状況、アランが取った選択は。
「回避一択だな」
術式構築。移動する方向の指定と、その方向に他の魔力が無いことを確認した上で、唱える。
「《跳躍》」
発動に応じアランの体表に衝撃が発生する。アランの体はその衝撃に乗って移動し、一瞬にして地面に着地した。
危機一髪。これでなんとか回避には成功したが、しかしまだまだ目の前の脅威は健在だ。
あと五体程度にまで減っていた炎の狼はリデラが再生成したことで四十体ほどに。空中には炎の怪鳥がニ十羽ほど、あと目視できる限りで大蛇が三匹、ただ地面の下から感じる魔力からして他にも隠れている可能性はある。
これが今リデラが出せる炎の獣の最大数───ということも無いだろう。リデラに疲弊している様子はないし、彼女から感じる魔力も依然膨大だ。
明らかにリデラには余裕があった。ならば量に於いても質に於いても、今以上の獣を出せると考えるのが妥当か。
「動物園じゃねぇんだぞ……ここは……」
前後上下左右全ての方向に敵が存在するこの状況には、まさに四面楚歌という言葉が相応しい。
まったくリデラも嫌なことを考える奴だ。初めからやられる前提で大量の狼をけしかけ、数が減ってきたかと思わせた所に獣たちによる怒涛の連撃。油断させた瞬間をついて一気に流れを我が物にするとは面白い。
「まったく、頭の回る新入生なことで……」
『ガァァァァァッ!!』
苦笑いを浮かべた瞬間、背後から狼が襲ってきた。
とりあえず切り払うが、獣たちの猛攻は止まることを知らない。
アランを切り裂かんと飛び掛かる狼に、空から火球を飛ばしまくる怪鳥。そして地面から不意打ちを仕掛けてくる大蛇。さらには口から火炎放射を吐く大きな炎の虎に、突っ込んでは派手に自爆してくる猪などなどと。
この獣たちの面白いところは、互いの攻撃に被爆しても影響を受けないところだろう。仮に怪鳥の火球を虎が喰らっても負傷はしないし、虎の火炎放射に狼が巻き込まれても影響は無い。
その特性から獣たちは兵数と手数の有利を存分に発揮していた。
しかしこの猛攻を前にしても、アランは余裕の態度を崩さない。手近な獣は魔法で生成した土の壁で獣の数を絞った上で双剣で切り払い、遠くの獣は魔法の遠距離攻撃で迎撃。相手の攻撃も防御魔法と回避を的確に使い分けることで、一切体勢を崩すことなく完璧な攻防を演じている。
実際アランにとってこの猛攻を凌ぐだけならさして難しい事では無かった。だがこの状況を続けていても埒が明かないのが現状だ。
倒した所でリデラが再生成するのがオチ、それでは獣を倒す意味がない。むしろ動き続けて疲労を蓄積しつつあるこちらが不利と言えるだろう。
この状況を乗り越えるには、やはり術者であるリデラを叩くのが無難かつ手っ取り早い方法だ。再生成し続ける獣たちと無闇に戦うよりもよっぽど良い。
「《水弾》」
だからこそと、獣たちの攻撃の隙をついてリデラに魔法で作った水の弾丸を高速で放ってみるわけだが。
「……ダメか」
やはり不発。水弾はリデラの間近に迫ったところで、突如として蒸発して消滅した。おそらく高熱の防壁でも貼ってあるのだろう。
この状況で術者本人を叩けば良いだなんて誰でも思いつくような発想だ。それに対してリデラが対策を用意していないはずがなかった。
リデラを叩くにはあの熱の壁をどうにかしなくてはいけない。でなければリデラに近づいた瞬間アランは高熱にあてられて火ダルマになるだろう。
耐熱化の魔法を使って強行突破する方法もあるが、リデラは熱系統に長けた聖装士だ。半端な対抗策で相手の得意分野に突っ込むのは得策とは呼べない。それにこの獣たちも邪魔だ。コイツらがいる限りリデラに近づこうとしても邪魔される。リデラを攻めるのならまずはコイツらを殲滅しなくては。
ならば──────
「……やるか」
獣の猛攻を凌ぎながら、思案していたのは十秒ほど。アランは反撃に打って出る。
両手の剣を右手で持つと、剣の刃を左手の手袋の掌に押し当てる。するとどうしたことか、剣はまるで吸い込まれるように手袋の掌に飲み込まれて消えていった。
これで両手は自由になった。あとは、
「《水球・炎球》」
両手の掌の上に生成したのはそこそこ大きな水球と火球。その両方を、アランは目の前で衝突させた。
圧縮された高熱の火球が大量の水を抱えた水球を尽く蒸発させ、大量の水蒸気を発生させる。
「これはッ!?」
リデラが声を上げた頃にはもう遅い。周囲はもう既に水蒸気に包まれている。
視界が潰されたこの状況ではリデラも炎の獣たちを操作できないはずだ。獣を片付けるのなら今しかない。
両手を軽く振れば、再び両手に剣が握られる。
「《身体強化・跳躍・風域結界・雷加速───結合》」
魔法による身体能力の上乗せ、衝撃を利用した高速移動、空気抵抗の無効化、そして生体電気の高速化。
ひとまずはこれで十分だろう。過剰強化を施した速度を以て、アランは獣を狩るべく走り出す。
「《神速》」
次の瞬間、アランの姿がブレた。
***
「くッ……」
そして対するリデラはというと、水蒸気に視界を塞がれていた。
一応あの炎の獣はリデラの操作がなくとも動けるが、リデラが指揮していた時のような連携はできない。アランに対抗するほどの戦術性を持たせるにはどうしてもリデラの指揮が必要になる。
だが視界を塞がれていては指揮などできるはずもない。まずはこの水蒸気を退かさなければ。
「《風波動》!」
唱えた瞬間、リデラを中心に風が起こる。
不慣れな属性の魔法故に大した威力は無いが、この霧を退かすくらいの役割は十分果たせる。
風によって霧は晴れ、瞬く間に周囲の光景が目に映るようになった。
そして、
「…………え?」
リデラは見た。自身が生成した炎の獣が全て両断された状態で地に転がっている光景を。
霧が視界を塞いでいた時間は十秒にも満たない。その間特に大きな音もなければ、高威力な魔法が行使される気配もなかった。
なのに何故、こんなことになっている。まさかアランはたったの十秒足らずであの七十体以上はいた獣たちを片付けたとでも言うのか?
いや、それよりも───
「先輩は……どこに?」
気づけば視界からアランが消えていた。背後か、地中か、それとも目にも止まらない速度で動いているのか。
分からないが、とにかく態勢を整え─────
「よっ!」
「なっ!?」
背後から聞こえた声に振り返れば、そこにはアランが立っていた。
「な、なんで!」
驚愕するリデラ。しかしそれも当然だ。
なにせここはリデラが張った熱の防護膜の内側。リデラ以外が立ち入れば即体を焼かれてしまうはず、それなのに。
この男は平然としている。一体どんな手段を使ったのか。それを考える暇もなく、
「ッ!!」
アランの蹴りがリデラに向けて放たれる。
この距離で回避は不可能。ならば防御魔法で防ぐしかない。
「《結界》!」
直後にリデラの前面に展開されるのは透明な壁。まずはこれでアランの蹴りを防ぐ。そして蹴りを阻まれて硬直したアランの隙をついて攻撃すれば良い────と。
リデラが考えた反撃の一手を、アランは容易く凌駕する。
アランの足が結界と触れた瞬間、結界は不自然に消滅した。
威力に負けて砕けたのでは無く、端から解けるように消え去った。
結界を越えてアランの蹴りが迫る。どうしようもなくなったリデラは咄嗟にかざした杖で蹴りを防ぐが、衝撃までは防げない。
リデラの体は衝撃によって吹き飛ばされ、地面に打ち付けられた。
「ぐッ、がはッ……くっ…!」
何度か地面を転がったところで、ようやくリデラは起き上がる。
「はぁ…はぁ…何を、したんですか……!何で私の魔法が…!」
「単純な話、無力化したんだよ。これでも魔法の扱いは得意な方なんでね、使われている魔法の理屈さえ分かれば大体は分解できるんだ」
「…………は?」
あまりに馬鹿げた話に、リデラは驚愕の声を漏らすしかなかった。
***
一方その光景を見ていた新入生たちは、リデラと同様にアランがやったことに驚愕していた。
何が起きた。どうして結界が触れただけで消えたのか。何故熱の防壁の影響を受けないのかと、それぞれ驚愕の言葉を口にしている。
それほどに、彼らの常識からすればあり得ないことだった。
魔法を打ち消す魔法などこの世にはない。聖装能力を使って打ち消したというのならまだ信じられるが、アランは聖装具を出していない。
聖装能力とは聖装具を介して使える力だ。聖装具を出してすらいないアランが使えるはずがない。
よって今アランがやってのけた事象は聖装能力以外の力によるものとしか説明する他は無く、そんな芸当を初めて目にした者たちは困惑するしかないのだが。
逆に二年生や三年生の学生はというと、そこまで驚愕を示していない。むしろ見慣れた光景とすら感じている。
「あー、あの子やっちゃったね。アランに魔法は通じないのに」
「新入生だからな、そこまで知らなかったんだろう。普通に考えてあんなデタラメ予想できるわけがない」
苦笑を浮かべながらたった今アランがやったことを振り返っているのはリオとアシュリー。
二人はアランのあの芸当を何度も見てきたし、教えて欲しいと頼んだこともあった。尤も理解はできなかったが。
「私たちもアレができたら良いのに……アラン、何言ってるか分かんなかった」
「君ですらそう言うのなら、僕や他の生徒にはもっと無理だろうな。こうして見ると改めてアランと僕らの間にある差を感じる。本当にアイツは凄い、間違いなく魔法という分野においては学園最強だ」
改めてアランの実力にリオは感嘆する。普段は弱音だらけのアランだが、その実力は間違いなく学年次席。その中でも魔法という分野においてはぶっち切りで学園最強なんて言われている。
それだけアランは魔法を極めてきたのだ。自身の戦闘スタイルの主軸として落とし込むために。
アラン・アートノルトを強者たらしめている要素は主に三つ。
一つは多彩かつ高練度な魔法を扱えること。
今更だが、『魔法』とは魔力を用いて特定の事象を起こす力だ。魔法には数多の種類が存在し、その全てが術式構築と詠唱の二段過程から発動される。
魔法の特徴は『魔力さえあれば誰でも扱える』ということ。その特性から聖装士はもちろん、多くの者があらゆる場面で利用している。
特に聖装士が魔法を使う場合は、自身の強みを助長したり弱みを補ったりするために使われるのが普通だ。
つまり魔法は聖装能力を支えるためのサブウェポン。戦闘に於いて欠かせない要素であることに変わりは無いが、それでも聖装能力には及ばないと言うのが聖装士の常識。しかしアランはその常識から逸脱している。
アランは魔法をメインに戦う。しかもその精度や魔法の扱い方が他の聖装士と比較にならないくらいに上手い。
精度が高ければ高いほどより素早く、より少ない魔力消費で魔法が扱えるようになる。そして魔法の扱い方に長けた者なら、常人には出来ないような魔法の使い方も出来る。それこそ魔法同士を混合して新たな魔法を生み出すことも可能だ。
アランはこの二点をとことん極めた。その結果アランの魔法は聖装士にも通用するほどにまで成長した。
そして二つ目のアランの強みは、高度な体術による様々な武器を駆使した戦い方だ。
アランが得意なのは魔法だけでは無い、体術だって得意分野だ。とは言えさすがに体術まで学園でダントツで最強とはいかないが、それでも学園内でトップレベルの体術の使い手であるのは間違いない。
アランの専売特許はその体術を利用して様々な武器を使えること。普通人間が持つことのできる武器の数なんて決まっているものだが、アランはその縛りを受けない。なぜなら彼にはその制限を解決するための手段があるからだ。
その手段というのが、アランが戦闘中に身につけているこの黒い手袋のことだ。
通称『虚空の手』──アランが持つ『魔導器』の一つで、その効果は手袋に自由に物を出し入れすることが出来ること。『虚空の手』は専用の空間に繋がっており、収納した物はその空間内に保管される。
もちろん出し入れできる物は非生物に限られ、その上で収納できる物のサイズや収納できる量に上限はついて回るが、それでもアランのような武器使いにとっては十分すぎる価値がある。
加えて言えば、この『虚空の手』には魔力を通すだけで自己修復してくれる機能までついている超が付くほどの優れ物。ならこれだけの優れ物をどうやってアランは手に入れたのかという話だが、それはまた後ほどに。
そして残る三つ目と言うのは───────
「魔法を打ち消す?な、何をわけの分からないことを!まさかそれが先輩の聖裝能力ですか!」
「まさか。そもそも聖裝具すら出してない俺が聖裝能力を使えるわけないだろ。アレは魔法…と言うべきなのかは俺も良くわからないけど、とりあえず俺は適当に『魔法崩し』って呼んでる」
「魔法…崩し?」
訳が分からないと言わんばかりにリデラはアランの言葉を反復する。
アランの言う『魔法崩し』は今では学園中で知られるアランの十八番だ。
その効果は相手の魔法を根本から分解し、無力化すること。ただし無力化できる魔法はアランが扱えて且つ百パーセント完璧にその構造を理解できている魔法に限られるが、逆に言えば理解さえ出来ていれば何でも崩せる。
そしてアランはこの学園の誰よりも魔法に長けている。それは魔法の練度という意味だけでなく、習得している魔法の種類においても言えることだ。
この学園の聖装士が扱える魔法くらいであればアランだって完璧に扱える。よってそれらの魔法は『魔法崩し』で無力化が可能であり、この学園の聖装士たちの魔法はアランには何一つ通じないという構図が生まれる。
そのためいつしかこの学園では『アランの前では魔法を使ってはいけない』というのが常識となっていた。大袈裟な話だが、それだけアランの魔法の練度と知識量が馬鹿げているという証拠である。
これらがアランの専売特許たる能力たち。無論他にもアランの得意分野というのはあるが、今語るのはこのくらいにしておこう。
「まぁそういうわけだから、基本的には俺に魔法は通じない。それで、どうする?君のペットは一通り切られたわけだが、ここらで終わりにするか?」
いやホント頼むから終わってくれ。これ以上余計なことをしないでくれ。マジで俺負けたくないんだよ。
内心ではリデラが降参することを懇願しながら、ダメもとで口にした言葉は、
「ははっまさか。こんなところで終わるわけがないでしょう」
その笑いと共に、空く一蹴されてしまった。
うっわ嫌な顔してるよ。絶対なんか仕掛けて来るじゃん。
アランが警戒する前で、リデラは杖を地面に突き立て、
「これまでの攻撃はちょっとした小手調べです。むしろ本番はここから。見せてあげますよ、私が『烈火の女帝』と呼ばれる所以を」
直後にリデラの足元に再び巨大な魔法陣が展開された。
『─我は烈火の女帝、あらゆる焔を統べる者にして、全てを焼き尽くす者である。その名の下に、今ここに我が汝に命ずる─』
詠唱が紡がれる。本音を言えば今すぐ全力ダッシュで止めたいところだが、これは伝統ある新入生歓迎試合。姑息な真似はあまり良しとされないのだ。
故にアランは動かない。リデラの聖裝能力の本質、秘められた力の解放を。観客席の生徒たちと共に固唾を飲んで見守る。
『─顕現せよ、焼却せよ。汝の命、汝の焔を以て、万象を灰に染めるがいい─』
辺りにリデラの魔力が満ちていく。空気は文字通りに熱を帯び、この場を烈火の女帝の世界へと染めていく。
何か、とてつもない物が来る。莫大な魔力の起こりを感じ、アランが体表に耐熱結界の魔法を構えた瞬間。
『来い───《炎王龍バハムート》!』
詠唱完成。主より下されたその命を以てして、怪物はここに顕現する。
魔法陣から巨大な炎が天へと立ち昇る。そこから現れたのは、なんと巨大な龍だった。
余裕でアランの十倍以上は大きいだろう。背中には三対の翼、頭には立派な二本の角、腰からは大きな龍の尾。そして体全体は炎王の名の通り赤く染まっている。
『ゴガァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』
バハムートが吠える。その叫びは熱を帯びた衝撃波となって闘技場に響き、周囲の温度をさらにさらにと上げていく。
「ッ……!」
その場で踏ん張り、アランはなんとか咆哮に耐える。
耐熱結界の魔法を唱えておいて良かった。でなければ今頃熱波に肌が焼かれていただろう。
安堵し、しかし身を襲う衝撃まではどうしようもない。
とんでもない怪物だ。ただ目の前に立っているだけで放たれる圧に押し潰されそうになってしまう。
「この子は炎王龍バハムート。私の扱える最大級の炎霊です」
リデラが笑う。烈火の女帝の名に相応しく、炎の龍王を侍らせて。
「さて、先輩。あれだけ啖呵を切ったのですから……簡単にはやられないでくださいね?」
その挑発を以て、リデラはアランに挑戦状を叩きつける。
今までの戦いは全てお遊びだったのだ。本番はここから。
ついに本領を見せた烈火の女帝と炎の龍王。その圧倒的な脅威を前に、アランは─────
「……やべぇ、詰んだかも」
めちゃくちゃ弱音を吐いていた。
いや無理じゃん。逆にどうしろってんだよあんなクソデカいバケモン。
そりゃあ俺もリデラの態度からしてまだ隠し球くらい持ってんだろうなぁとは思ったよ。けどアレはダメでしょ。新入生がやって良いことじゃないってホントに。灰にされる未来しか見えないんだけど。
「こうなったら、秘伝の『なるべく美しい敗北の仕方五選』を解禁するしか────」
『ゴガァァァァァァァァァァァァァッ!!』
「えちょっ、うおおっ!?」
考える暇もなく、バハムートが仕掛けてくる。
咆哮と共に巨大な口から放たれたのは極太の火炎放射。闘技場の地面全体を容易く埋め尽くす劫火を前に、アランは地を蹴って跳躍。寸前で火炎放射を回避した。
「はぁ…はぁ…危ねぇ…マジで危ねぇ…!」
冷や汗を流しながら空中で息を整えるアラン。さてさてどうしたものだろうか。
誇張抜きでアレは化け物だ。込められている魔力量だけで分かるが、あの龍は攻撃力はもちろん、防御力もとてつもない。少なくとも生半可な攻撃ではびくともしないだろう。
「空に逃げた程度で逃げられるなどと思わないことですね!バハムート!」
『ゴガァァァァァァァァァァァッ!!』
「おいおいマジか……!」
そうこうしている内に二発目の火炎放射が飛んできた。とてもじゃないが防げる規模の攻撃ではないので、再び回避に徹する。
「《跳躍》!」
唱えた瞬間、アランの体は地面に直進。火炎放射を避けて地面に着くと、バハムートを見上げた。
「いやぁ……参ったな……」
再び弱音。先程までの優勢な状況はどこへやら、今のアランは回避で手一杯だ。
「頑張ってリデラさん!アラン先輩に聖裝具使わせちゃって!」
「いっそこの場をアラン君の聖裝具お披露目会にしよう!」
「あのすまし顔を曇らせてやれー!」
ふと観客席の声に耳を傾ければ、そんな声援が聞こえてきた。リデラが優勢に立ったのを好機にアランの聖裝具を見ようとしているらしい。
なんだアイツら好き勝手言いやがって、こっちがどんだけ必死に戦ってると思ってんだ。
そうやって内心毒づきながらも、アランは思考を巡らせる。
正直なところ、打つ手が全く無いという訳では無い。正攻法で無ければやりようは幾らかあるのだが、少なくともこの試合では使えない。
さっきも言ったが、これは新入生歓迎試合。姑息な真似をしようものなら後々バッシングされかねないのだ
やるのなら正攻法。この状況で言えば、バハムートを倒した上でリデラに勝つことだろうか。
かなり高難易度な課題だが、やらなければ敗北。『聖装具を出し渋った結果後輩に負けた惨めな学年次席』として全校生徒のネタとなることほぼ確定だ。
「……使うか、アレ」
覚悟を決めたアランへと、リデラは言う。
「さぁどうしますか先輩?そろそろ聖裝具を使う気になりましたか?」
こちらが奥の手を見せたのだから、いい加減お前も実力を見せろと言ってくる。
今は間違いなく窮地、追い詰められているこの状況でなお聖裝具を使わないなどもはや愚行なわけだが、しかし。
それでもアラン・アートノルトは言ってのける。
「いいや、聖裝具は使わない、というより使えないと言った方が正しいか。さっきも言ったが事情があるんだ。だから悪いが、コイツで勘弁してくれ」
再び左手の手袋に両手の剣を収納すると、右手を左手に押し当てる。そこから右手を何かを引き抜くように動かすと、そこに出現したのは一本の白銀色の剣。
鍔には小さな水色の宝石のようなものが付いており、剣は全体的に細身なデザインをしている。
剣を右手に握ると、アランはバハムートに刃を向けた。
「それは…魔導器ですか?」
「ああそうだ。魔導器『閃剣ライキリ』。雷属性に特化した武器だ。さすがに聖裝具ほどの威力は無いが、普通の武器よりは断然マシだ」
「マシ…ですか。その程度の代物で私のバハムートが切れるとでも?」
「さぁな。ただソイツも実態はあるんだろ?ならやることは一つだ」
口角を上げる。もちろん不安は拭いきれないが、今見栄を張らずしていつ張るのだ。
学年次席、在校生代表、その名にかけて。アランは全力で虚勢を張る。
「そのデカブツ、木っ端になるまで切り刻んでやるよ」