第十八話 黒き厄災
今から約千年前、エルデカ王国の東側の辺境にとある街が存在した。
その街はなんてことのない街だった。ある者は商店を営み、ある者は畑を耕し、ある者は勉学を、またある者は無邪気に友人と遊んだり。とても平凡で、そして何より平和な日常が、そこには存在した。
この平穏がいつまでも続くものだと、街に住む誰もが思っていた。こんな辺境の街で騒動なんて起こらない。稀に外から魔法生物がやって来たりもするが、街の自警団がその辺りも解決してくれている。
故に彼らはこの街に危機が訪れる未来など想像しなかった。穏やかな日々の中で、穏やかな未来ばかりを想像していた。
しかし、その平穏は一夜にして崩れ去る。
その街は一晩で更地となった。住人も、建物も、畑も、動物も何もかも。忽然と消えてしまったのだ。
不幸中の幸いか、生き残った者が何人かいた。彼らは皆口を揃えて『黒い海やって来て街を飲み込んだ』と言った。
真偽は不明だがとにかく異常事態ということは分かる。知らせを受けたエルデカ王国のトップはすぐに調査隊を派遣した。
それから数日、現場に辿り着いた調査隊はあるモノを目にした。
ソレは被害者が言っていた通り真っ黒な見た目をしていた。だが体型は人型、『黒い海』と呼ぶには程遠い。それに感じる魔力量も大したことがない。
これが本当に街一つを一晩で飲み込むような怪物なのかと、誰もが思った。
だから最初は皆が油断した。これはただの魔法生物なのだと、そう結論づけてしまった。
だがその考えが間違いであると、その場に居た者たちはすぐに思い知った。
魔法生物が笑った。その無邪気で狂気的な笑いが轟いた瞬間、ただの魔法生物は怪物へと変貌した。
派遣された調査隊の構成員は皆、普通の人間だった。それなりに戦えるが、聖装士には遠く及ばない。魔法が使えるだけの平凡な人間。
そんな者たちがこの怪物に敵うはずもなく、調査隊員たちは一方的に蹂躙されていった。
瞬く間にその知らせは王国中に渡った。街一つを飲み込み、さらには派遣した調査隊まで食い殺すバケモノが現れたと。
こうなっては王国全土に危害が及ぶ可能性もある。エルデカ王国のトップは本気でこの怪物を止めるべく、王家直属聖装士団を派遣した。
王家直属聖装士団はその名の通り、王家に仕える聖装士だけで構成された組織だ。その戦力は王国一番、彼らならどんな怪物だって討伐してくれる。
故にこの騒動も時期に終わりを迎えるだろうと、誰もが予想した。誰もが安堵した。
だが、事はそう上手くいかなかった。
何日経っても聖装士団が怪物を倒したという報告が来なかった。曰く敵があまりに強く、苦戦しているらしい。なんなら既に数十名の聖装士が死亡したという報告まで上がってきた。
ここに来て本当に怪物を倒せない可能性が現れ始めた。エルデカ王国に王家直属聖装士団を越える戦力はいない。もし彼らが勝てなかったらこの国は終わる。
隣国に援軍を要請するべきか否か、エルデカ王国のトップが悩む中、行動に出た者がいた。
その者の名はパレス・ハトラートス。魔法生物の研究を専門とする聖装士であり、同時に珍しい封印魔法の使い手であった。
王国のトップからの許可を得たパレスはすぐに現場に出た。そして目にした、地獄のような光景を。
辺り一帯に散らばる聖装士の死体。疲弊しながら必死に戦う聖装士と、それを笑顔で凌ぐ黒い怪物。果てには何故か聖装士同士が殺し合っている光景まで見える。
すぐに止めなくてはいけない。パレスは現場の聖装士たちと共に怪物の封印に取り掛かった。
もちろん封印は簡単にはいかなかった。もとより封印魔法が難易度の高い魔法であるというのもあるが、何より怪物の力が強力過ぎたからだ。
それでも諦める事なく死に物狂いの戦いを続けること数時間、ようやく彼らは怪物の簡易的な封印に成功した。
だがこれはあくまで簡易的な封印。数週間もすれば解けてしまうような脆いものだ。
怪物を本格的に封印するには、より強力な封印を施す必要がある。そして誰もこの封印に干渉しないような、そんな場所も必要だ。
考えたパレスは自身の聖装能力を使って研究所を地下に作ることにした。そしてその研究所の最奥、誰も干渉しないような地下の果てに怪物を封印することにした。
これで環境は確保出来た。あとは怪物を完全封印するための封印魔法を編み出すだけ。
パレスは研究所の中で封印魔法を研究し続けた。魔法生物について研究をしていた知識を活かし、どんな封印がより効果的かを実際に魔法生物のサンプルを用意した上で徹底的に研究した。
そうして怪物に繰り返し簡易封印を施しながら、試行錯誤を重ねること数年。遂にパレスは怪物の完全封印に成功する。
それからもパレスは封印を管理し続けた。無論一人でやってきた訳ではない、パレスには『トーマス・ラインツェル』という助手がいた。
トーマスは昔からパレスの助手を務めていた。だからこそ信頼も出来たし、封印魔法についても共同で研究を勧めてきた。怪物への封印が思ったより早く完成したのはトーマスの協力も大きいだろう。
とは言え封印魔法は永遠ではない。何もしなければ時間経過で効力が弱まって自然と解ける。そうならないよう、パレスは後世に渡り封印を維持する体系も作ろうとした。
そう、作ろうとした───だが。ここで予想外のことが起こった。
ある日の夜、パレスとトーマスは地下の果てにある封印の管理に向かった。
封印はいつも通り機能していた。あとはこの封印をどう維持するかをパレスが考えていた、その時だった。
突然背後からパレスの腹部に剣が突き刺さった。
口から血を溢しながらも、パレスはその剣の柄を握る者を見た。
その者はもちろん、パレスと共に地下に来ていたトーマスだった。
何故こんな真似をしたのか。パレスは問い質したが、トーマスは何も答えなかった。そして返答代わりと言わんばかりに、口や目から『黒い液体』を溢した。
それを見た瞬間、パレスは絶望した。怪物には干渉した相手を支配する能力があることは、研究の中で分かっていた。それがいつの間にかトーマスにまで影響していたのだ。
何故このタイミングでその影響が発現したのか。それは分からないが、おそらく怪物はトーマスに封印を解かせるつもりだ。実際トーマスはパレスの助手として研究に携わっていたが故に封印を解く術も知っている。
何としてもトーマスを止めなくてはならない。これまで信頼してきた助手を自らの手で傷つけることは、パレスには余りに重い選択だった。だが封印を維持するために、やるしかなかった。
パレスはすぐに傷を魔法で治療すると、トーマスを止めるべく戦った。しかしトーマスは怪物の力を埋め込まれた影響で爆発的に強化されていた。それは聖装士であるパレスですら苦戦を余儀なくされる程。
何度も貫かれ、何度も打ち抜き。互いに血を流しながら激戦を繰り広げた末、生き残ったのはパレスだった。
だがその時にはパレスも瀕死状態、彼の命は残り僅かだった。
彼は最後にこの研究所に残された書物を燃やしまくった。少しでもこの怪物の封印を維持できるよう、そしてこの封印が誰かに解かれぬよう、封印に関する記録を消し去ったのだ。
結果としては少しだけ資料が残ってしまったが、それでも九割以上は処分出来た。
やれることはやった。だが遠い未来、この怪物の封印は解けるだろう。
いつか誰かがこの怪物を止めてくれると信じて、パレスは命を落とした。トーマスを救えなかった後悔と、怪物への憎悪を抱いたまま。
これが『パレスの地下遺跡』の誕生経緯。それ以降も怪物はひっそりと地下の果てで封印され続けてきたが、その封印は時間と共に壊れていった。
それが完全に崩壊したのは今から五年ほど前のこと。封印から目覚めた怪物は自由の身になったが、しかし完全復活とは至らなかった。
だからまずは回復するまで待つことにした。地下の果てに潜みながら、遺跡に住み着いていた魔法生物に干渉して徐々に力を蓄えていった。
それから五年、怪物の体は完全復活と呼ぶに相応しい状態にまで至った。あとは気分次第で地上に出るだけ。
そんな時に偶然にも訪れて来たのがエルデカ王国立聖裝士学園の生徒たち、そして─────
「来いよバケモンが!学年実力序列第二位の力見せたるワァァァァァッ!!」
この男、アラン・アートノルトだった。
両手に剣を握りながら、アランは叫びと共に怪物へと駆け出した。
『縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ!!鬟溘▲縺ヲ繧?k鬟イ繧薙〒繧?k谿コ縺励※繧?k縺?≦縺?≦縺?≦!!」
その叫びに応えるように怪物もまた奇声を上げる。
怪物が手を突き出せば、巨大な棘がアランへと伸びてきた。数は三十本ほど、一発でも当たれば致命傷だが、しかし。
「邪魔だぁッ!!」
アランは逃げない。その場で高速で剣を振るって、全ての棘を切り払う。
この程度の攻撃を切り払うなどアランにとっては造作もないこと。すぐに腰を屈めて突撃しようとするが、同時に怪物も動いた。
怪物は己の攻撃を破られたことなど意にも介していない。むしろ当たり前のように対応されたことが嬉しいのか、笑いながら両手を振り上げた。
直後に足元に生じる魔力反応。それを感知したアランは突撃を止め、代わりにその場で大きく跳躍した。
そしてその読みは当たっていた。直後、アランの想像通り地面が爆ぜた。巻き上がる砂塵を突き破って大量の巨大な棘が空中のアランへと伸びてくる。
「厄介だなクソ!」
あの液体は地中に通すことも出来るのか。考えながら、即座に空中で体勢を立て直す。そして伸びてきた一本目の棘を身を捻って回避すると、棘に足をつけた。
黒い液体を硬質化したことで再現したのがこの黒い棘だ。故に足場としても機能させる事もできる。
次いで大量の棘がアランに迫る。アランは迫る棘を逆に足場にして棘の間を跳ね回り、攻撃を回避する。そして邪魔な棘は剣で切り払った。
攻撃の物量は凄まじいが、それでも対応できる範疇だ。剣に纏わせた雷炎と共に迫る棘を切り払い、回避し、突き進み続ける最中、猛攻の中に一瞬の間隙をアランは捉えた。
「《跳躍》」
唱えた瞬間、空中でアランは一気に加速。棘の猛攻の中から離脱する。
さらに続けて、
「《炎弾・水弾》」
水の弾丸と炎の弾丸をそれぞれ二十発ほど生成。それらを怪物へ一気に射出した。
高速で迫る弾丸を怪物は見上げる。それをどう感じたのか、怪物は手を翳した。掌から溢れ出た大量の黒い液体が半球状に展開され、怪物を守る盾となる。
だが、しかし。
「ハズレだよ、バーカ」
アランの目的は最初から攻撃ではない。
怪物のすぐ目の前まで弾丸が迫ったかと思えば、炎弾と水弾が互いに衝突した。水弾は炎弾を蒸発させ、怪物の周囲に水蒸気を発生させる。
『…………?』
怪物も異変に気づいた。攻撃のつもりで放たれたと予想していた弾丸が、まさか目眩しに使われようとは。
怪物が霧に包まれている隙に、アランは再び《跳躍》を発動。怪物の後方に着地した。
おそらく怪物はこちらに気づいていない。剣を構えて、怪物の背後へと駆け出した。
だが、
『縺ゅ▲縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ』
それでも怪物は笑った。振り返って手を翳すと、またもや大量の棘を伸ばしてきた。
驚くべきはその精度。霧の中だというのにその棘たちは完璧にアランの位置を捉えていた。
「視覚に頼ってねぇのか、アイツ」
霧の中でもこちらの位置を捉えてきたということは、あの怪物は視覚を頼りに相手の位置を捉えていない。別の方法で相手の位置を捉えている。
まぁもとよりあの落書きみたいな目にマトモな機能があるとは思っていなかったが。
「ッ!!」
即座に剣で迫り来る棘を切り払う。霧の中だが、魔力探知をすれば迫る棘と怪物の位置くらいは分かる。
三十本ほど切り払った。だが猛攻は止まない。一間の間隙をおいて次の棘が伸びてくる。
このまま正面から当たっていても埒が開かない。間隙を突いて、唱えた魔法は《浸透》。接地面に潜る魔法だ。
アランは地面へと足から沈むように潜り込むと、一気に地中を移動。そして今度は水面から上がるように、地面から飛び出てきた。
アランが現れたのは怪物の背後。今度こそ怪物は反応していない。
どこが急所か分からないが、とにかく切る。蒼雷を帯びた『閃剣ライキリ』を怪物の首の左側から腰の右側にかけて振り下ろした。
刃はあっさりと怪物の体を切り裂き、上半身を切り飛ばす。普通の魔法生物ならこれで死ぬ、そうでなくとも感電して動けなくなるはずだが……
『縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ!!』
怪物は笑った。頭部だけを180度捻ってアランの方へと回転させると、口から大量の黒い液体を吐き出した。
液体はアランに覆い被さるように拡散される。アレに呑まれたらマズイ。すぐに飛び退いてアランは液体を回避した。
「……感電もダメか」
一応分類としては、あの怪物は粘液タイプの魔法生物に入るのだろう。スライムとかと同系統だ。
粘液タイプの魔法生物には代表的な特徴がある。まず彼らは普通に攻撃を与えても意味がない。体の大部分が液状である故に傷つくことがなし、仮に体の一部を消し飛ばしても魔力があれば簡単に再生出来てしまうのだ。
ならどうやって倒すのかという話だが、それは意外と単純で、体内にある核を破壊すれば粘液タイプの魔法生物は即死する。
そしておそらくあの怪物にも核がある。だがあの怪物は全身が透視性ゼロの漆黒に染まっているため、外から核を見つけるのは不可能。
こうなると魔力探知で体内の核の位置を見抜くのが常套手段となるが、厄介なことに核の魔力反応が感じられない。全身に膨大な魔力を纏っているせいで反応が上手く感じ取れない。
「一度どうにかして核に触れて、俺の魔力でマーキングするしかない……か」
観察して分からないなら手探りで探し当てるしかない。荒技だが結構、やってやる。
『縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ』
その時、再び怪物が笑った。その体のどこに声帯があるのか気になるところだが、それはまぁいい。問題は今奴がとった行動だ。
怪物が手を振り上げた瞬間、怪物の足元に広がっていた黒い液体が一気に増幅した。大量の黒い液体は黒い海となり、この空間の地面を埋めていく。
「《氷足》」
黒い液体に飲まれぬよう、一度軽く跳躍しながら唱えた。直後にアランの足が黒い海に触れるが、その足が沈むことはなかった。
アランの足元の黒い液体だけが凍っていた。アランの足から放たれる冷気により、液体が凝固して足場を形成している。
これが《氷足》の効果。足元を凍らせ、水上歩行を可能とする氷魔法だ。
「チッ、《浸透》が使えなくなったか……」
地面が黒い海に埋められているこの状況では、《浸透》で地中に潜れない。早速不意打ちの選択肢が一つ死んでしまった。
とは言えこの程度ならまだ問題ない。《氷足》を併用すればこの黒い海も渡ることが出来る。
アランは怪物目掛けて黒い海を駆け出した。
『縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ!縺翫>縺ァ縺翫>縺ァ縺翫>縺ァ縺翫>縺ァ!荳?邱偵↓驕翫⊂縺縺?≦縺?≦縺?≦!!』
歓喜の叫びと共に、黒い海から大量の棘が生えてくる。
今度は正面からだけではない。前後左右に真下、回り込んで上からも。棘の発生源たる黒い液体が辺り一帯に広まったことで、どこからでも攻撃が可能となってしまった。
「さっきからギャーギャーと、気持ち悪いんだよッ!」
毒づきながらもアランは怪物の猛攻を掻い潜る。幸いなことに一発当たりの攻撃力は先程より落ちていた。黒い海を出して体積が増加した分、怪物の膂力が分散しているのだろう、
あちこちから迫る黒い棘を切っては避けてを繰り返しながらも、アランは怪物との距離を縮めていった。
『讌ス縺励>縺ュ、讌ス縺励>繧──縺ゅ▲縺ッ縺ッ!』
そんなアランの勇姿を怪物は哄笑と共に迎え入れる。
歓喜、歓喜、歓喜、歓喜、歓喜。ああ、己が欲求を満たす幸福のなんと美味なことか。
千年に渡る封印から目覚めて五年、遂に己の欲求をぶちまける機会を得たことで怪物の精神は最高潮に達していた。
手を振り上げる。すると怪物の目の前の黒い海が蠢き唸り、そこから巨大な手が這い出てきた。高さは数十メートルはある。
狂気にして無邪気な笑いを轟かせながら、怪物はその巨腕をアランに振り下ろした。
その衝撃、重量は計り知れない。防御魔法で止められる規模ではないし、そもそも今足を止めては黒い棘の餌食になる。
よってアランに止まる選択肢などなかった。そしてまた、逃げる選択肢もなかった。
「《大氷河》ッ!!」
唱えた瞬間、アランの足元から前方にかけて一気に氷が生成されていった。黒い海を伝って拡散する氷河は振り下ろされた巨腕にまで至り、遂にはその巨腕すらも凍結させた。
氷漬けにされた巨腕は動きを止めた。元が液体であるが故に、氷魔法には弱いのだ。
その隙にアランはさらに加速。巨腕の前に迫ると、帯電した『閃剣ライキリ』を振るう。
『〜雷光波斬〜』
振るったと同時、刃から斬撃が放たれる。
斬撃は氷ごと巨腕を両断し、さらに溢れ出した電流が巨腕を粉々に砕いた。
これで壁は消えた。そして巨腕の後ろにいる怪物の姿を捉えようとして───
「───いないッ!?」
どういうわけか、そこに怪物はいなかった。どこかに移動した瞬間など見ていない、ならば一体どこへ───と、そう考えた瞬間。後方に魔力反応を感じた。魔力反応はアランの背後へと高速で迫ってくる。
すぐに振り返りながら後ろへ飛び退いた。そしてアランがいた場所へと、十本ほど黒いナニカが降ってきた。
危機一髪。着地したアランが見たのは、前方五十メートル程の場所で空中に浮かぶ黒い杭だった。弾数は軽く三百発を超えている。
怪物はその杭の下にいた。まさか瞬間移動したわけではあるまい、おそらく黒い海の中を通って移動したのだろう。
「ならさっきのデカい腕はフェイント……攻撃じゃなく自身の姿を隠すための盾として使ったのか」
ただの粘液タイプの魔法生物がそこまで高度な知能を有しているとは思えないが……まさか俺が使った水蒸気による目隠しを参考にしたのか?
だとすれば奴はかなりの学習能力の持ち主だ。厄介な事この上ない。
「野郎……意外と器用な真似しやがる」
呟くアランをよそに、怪物が杭を撃ち出した。夥しい数の漆黒がたった一人に向けて迫ってくる。
とにかく迎撃だ。さすがにあの杭の雨の中を掻い潜るのはシンドい。
「《爆撃連投》!」
次いで、アランも魔法を放つ。背後に現れた百発以上の爆発性を込めた火球が、迫る杭へと放たれた。
杭と火球が空中で激突しては爆発していく。その中をアランは突っ切って行くが、しかし全ての杭を撃ち落とすことは出来ない。
故に唱えた魔法は《風域結界》。とりあえず自身に当たりそうな杭は生成した風の結界で逸らして回避する。
かなり強引だが、それでもアランは怪物との距離を縮めていた。
だが、
『縺ゅ▲縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ!!』
怪物は右腕を横に突き出したかと思えば、なんと怪物の右手の五指が一気に伸長した。伸びた五指は鋭い刃のような形に変形している。
怪物は凶器と化した右手をアラン目掛けて勢い良く振るった。
「おいおいマジかッ!?」
驚愕しながらも軽く跳躍した。その直後に鋭利な五指がアランの真下を超高速で潜り抜ける。
伸長された五指はこの空間の壁に激突し、壁に深い溝を作った。直撃していたらと思うとゾッとするが───とにかく、
『〜豪雷一極〜』
唱えた瞬間、アランの体は空中から急加速。目にも止まらぬ速さで怪物の眼前へと肉薄する。
怪物は先程の攻撃を放った反動でアランの動きに追いつけない。その隙を逃すことなく、アランは豪雷を纏う『閃剣ライキリ』で怪物の体を腰から斜めに切り上げ、両断した。次いで放たれた雷撃が怪物の向こう側まで届き、後方の黒い海まで裁断する。
だがまだ怪物は消えない。攻撃は怪物の核には当たらなかったらしい。
ならば、
『〜劫斬炎舞〜』
さらに放たれたのは炎の剣舞。劫火を纏う『劫刀カグラ』を『閃剣ライキリ』と共に超高速で振り回し、怪物の体を粉微塵にするまで切り刻んだ。
瞬く間に怪物の体は灰燼と化して消滅する。すると空中に一つ、紫色に光る小さな四角形の物体を見つけた。間違いない、これが核だ。
「これで終いじゃァァァァッ!!」
振り上げた『劫刀カグラ』を核へと振り下ろした。刃は灼熱と共に空を裂いて核へと迫り、そのまま両断する───はずだった。
直後、アランの想定を超えることが起こった。刃は確かに核の寸前まで迫った。だがそれ以上先に進まないのだ。
核を守護するナニカによって、刃が受け止められている。
「核に結界!?」
予期せぬ事態に驚愕するのも束の間、足元の黒い液体が膨れ上がった。
このままでは飲み込まれる。核を切ることを断念し、アランは後方へと飛び下がる。
膨れ上がった液体は核を飲み込み、そのまま変形。再び真っ黒な人型の怪物が現れた。
復活した怪物は変わらず笑みを浮かべている。たった今命の危機に瀕した事実など、まるで意に介していなかった。
「うーん、こりゃマズイな……」
アランは悩む。まさか核にまで結界が張られているとは思わなかった。それも『劫斬炎舞』を発動中の『劫刀カグラ』ですら切れなかったことから、かなりの強度であることが分かる。
これは生半可な魔法では破壊できない。やるならもっと高火力な魔法が必要だ、それも核を一瞬で破壊できる程の。時間を掛ければ先程のように怪物が復活してしまう。
「はぁ……どこまでも面倒なことをしやがる」
さすがは『封印指定クラス』と言うべきか、やはり簡単には終わらせてくれない。
と、その時だった。アランの視界の先で怪物が黒い海に沈んだ。黒い海を通ってどこかに移動するつもりらしい。
だが先程アランは『劫刀カグラ』で怪物の核に触れた。よって怪物の核にはアランの魔力が付いている。
僅かな時間しか保たないが、これで簡易的なマーキングが出来た。今なら怪物の姿が見えなくとも位置は追える。
すぐに自身の魔力反応を探った。黒い海に紛れて一点、怪物につけた自身の魔力が感じ取れる。魔力反応は急速にこちらに迫ってきていた。
背後に回り込むつもりか?それともまた適当な攻撃でフェイントを挟んで不意を突くつもりか?
いや、これは───
「目の前か!?」
『縺ゅ▲縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ!!』
直後、アランの目の前の黒い海から怪物が現れた。しかも怪物の両腕はいつの間にか剣の形に変わっている。
まさか近接戦闘を選んでくるとは。驚愕するアランへ、怪物は剣と化した左腕を振るった。
アランは体を後ろに逸らして剣を回避すると、すぐに後ろに右足を回して体勢を立て直す。そしてすぐに剣を構えて反撃に出た。
怪物もまたアランに対抗して剣を振るう。刃と刃が衝突し、火花を散らして弾き合っては、また互いに剣を振るう。
雷炎と漆黒、互いの刃が剣戟を繰り広げる中、アランは思う。
(コイツ……近接戦闘が出来てる?)
どういうわけか、怪物は近接戦闘が出来ていた。太刀筋も間合いの管理も完璧とは到底言い難いが、それでもこなせている。
とても魔法生物とは思えない器用さだ。不意打ちとして近接戦闘を仕掛けるには十分な技量だが───所詮はその程度。
二人の剣戟の均衡は、剣を交える度に崩れていった。
もちろん優位に立ったのはアランの方だ。戦闘技術も身体能力もアランの方が遥かに上。そんなアランに今初めて近接戦闘をやった怪物の剣技が敵うはずが無い。
徐々に怪物の体勢が後ろへと傾いていく。姿勢が悪化したことで対応は遅くなるし、威力も落ちる。
そしてその隙を、アランは逃さない。
「《凍結》!」
唱えた瞬間、怪物の体が凍結した。僅かな時間だがこれで動きは止められる。
「近づいたのが間違いだったな───《牙炎咆刀》ッ!!」
発動に応じ、『劫刀カグラ』は刀身から巨大な劫火を吹き出した。
顕現するは獄炎の一太刀。振り上げたその一刀を、アランは怪物の心臓部に隠された核目掛けて振り下ろした。
劫火が怪物の頭部を砕いた。そのまま刃は心臓部の核に迫り───すり抜けた。
同時に核の位置が心臓部から横に逸れているのを感じた。なるほど、どうやら切られる寸前に核の位置をズラしたらしい。
核を攻撃されることを見越して、怪物もまた対抗策を張っていたということか。
劫火の一刀は怪物の体もろともその向こう側の黒い海まで焼き切るが、その衝撃で怪物の核が遠くへ飛んで行ってしまった。
すぐに追撃に出ようとするが、相手の方が早かった。核を中心に黒い液体が溢れ出し、それが人型を形成する。
復活した怪物は依然無邪気な笑みを浮かべたまま。いや、むしろ怪物の興奮はより高まりを見せていた。
ああ全く、あの人間は何なのだ。己の攻撃の全てを無傷で凌ぎ、さらには攻撃まで当ててくる始末。核に至っては二度も破壊されかけている。
強い、あの人間は。今まで見てきたどんな者よりも遥かに強く、そして面白い。
特に興味を惹くのはあの奇怪な技だ。炎や水を飛ばしたり、氷漬けにしたり、雷を纏ったり。色鮮やかで、美しさすら感じるその力────是非とも我が物にしてみたい。
『縺ゅ▲縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ!!』
怪物が笑う、笑う、笑う、笑う、笑う。アランが見せた魔法から得た発想を元に、怪物はより強く輝く己の欲望をぶちまけた。
『襍キ縺阪※襍キ縺阪※襍キ縺阪※襍キ縺阪※襍キ縺阪※襍キ縺阪※襍キ縺阪※襍キ縺阪※!!縺ゅ▲縺ッ縺ッ縺ッ!!』
轟く哄笑と共に怪物が腕を振り上げる。黒い海は怪物の興奮を表象するように激しく波を打ち、ここにその願望を顕現する。
『ガァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』
響き渡るは龍の産声。怪物の後方、黒き海より這い上がったのは巨大な龍の首だった。
それも一体では無い。二体目、三体目と次々に現れ───最後には七体もの龍の首が出揃った。
龍の体表は皆漆黒に染まっているが、外見はそれぞれ違った。そしてさらに───
「あれは……ゼルヴァータか?」
並ぶ龍の首の中には、瞬嵐龍ゼルヴァータの首まで存在した。まさかあの怪物、干渉した相手の力まで我が物に出来てしまうのか。
龍たちは皆口元に魔力を集約させる。火炎を、水流を、冷氷を、紫電を、嵐を、毒気を、光を、その口元から漏らしたかと思えば───
『『ガァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』』
直後、轟いた咆哮と共に、龍たちの破壊の息吹が放たれた。
迫り来る七種の大砲撃。その脅威を前にアランは、
「なんでありかよ、バケモノめ……」
吐き捨てた瞬間、砲撃が彼の姿を掻き消した。