第89話
「あははは、ざまあないですね!」
斉藤は心底楽しそうに、涙を流しながら大口を開けて笑っている。
如月と千奈津を見るなり、第一声が「あの女どうなりました!?」であったことから、興味津々なことが窺えた。
顛末を話すと斉藤は愉快そうに腹を抱えた。
こんな斉藤を見て、剛馬は何を思うだろう。
千奈津はここに剛馬がいたら一体どんな反応をするのか想像してみるが、そんな場面が想像できない。
「そ、それで、あの女とシフトが被らないように配慮してもらえたんですか?」
目尻からこぼれそうになっていた涙を人差し指で拭いながら、斉藤は如月に問う。
波瀬の不幸が面白いようで、如月はふと千奈津が話した「人間性が良い人」のことを思い出す。斉藤のこれは、人間性に問題ありの部類なのではないか。
しかし千奈津は嫌そうに顔を顰めるでもなく斉藤の話を聞いている。
これくらいならセーフなのか。
如月は千奈津の言う人間性が、どの程度許容できるものなのか、敏感になっていた。
「マネージャーに話したら、配慮してくれたよ。だから今後波瀬さんと同じシフトに入ることはない」
「いいですね、あの女とシフトが被らないのは羨ましいです」
如月の希望は通り、辞める必要はなくなった。
千奈津は安堵して、心の重りがなくなったような解放感でいつも以上に笑みがこぼれる。
「これであの女、大人しくなればいいですけどね」
「皆に知れわたってるようだから、しばらくは大人しいんじゃないかな? 海老原くんも知ってるんだよね?」
「はい、僕が話しました。最初は疑ってましたけど、マネージャーが海老原にストーカーのことをほのめかすような発言をしたみたいです。ショックを受けてましたよ」
「海老原くん、波瀬さんの肩を持つからね」
「趣味が悪いんですよ。まぁ、海老原があの女に誑かされようが、どうでもいいです」
鼻歌を歌いながら商品を陳列する斉藤は、誰がどう見ても上機嫌だ。
千奈津には、ストーカーされていた如月より、斉藤の方が波瀬を嫌っているように思えた。
斉藤と剛馬。お似合いだと思ったこともあるが、やはり性格が違いすぎる。付き合ったとして上手くいくのだろうか。
千奈津はお節介だと分かっていながらも、二人が交際した後のことを危惧していた。
「如月さんも大変でしたね、あの女に長い間付き纏われて」
「うーん、そうだね」
「やっぱり、そうですよね。悩みの種が一つ減ってよかったです」
波瀬という悩みの種がなくなったが、今は千奈津という新たな種がまかれた。
好きだと自覚した途端、千奈津が可愛く見えるのだ。周囲がぼやけてしまうほどに、千奈津にしか目がいかない。
自分がこんなことになるなんて、思いもしなかった。
斉藤は剛馬を想っているし、海老原は千奈津よりも波瀬を気にしている。井上は恋愛とは程遠い位置にいるため、アルバイト内に恋敵はいない。
恋敵になるのだとすれば、千奈津の男友達である。千奈津の交友関係を今まで深く聞いたことはない。誰と一番仲が良いのか、男友達と遊びに出かけるのか、まったく情報がない。
自分を意識してもらうのはもちろんのこと、千奈津が普段関わっている人間のことも把握しておきたい。
斉藤と話している千奈津の後ろ姿を眺めていると、不意に千奈津が振り返った。
「如月くん、斉藤くんがデートするんだって!」
楽しそうに笑う千奈津にどきりとする。
俺もデートしたいな。
そう言ったらどんな反応をするだろう。
「それで、いつデートするの?」
「ら、来週の土曜日です」
「へえ! いいね、どこへ行くの?」
「映画を観て、それからカフェに行きます」
前回と同じデートプランだ。
同じだと新鮮味がないけれど、それでいいのか。
千奈津はそう訊ねようとしたが、剛馬がそれでいいと言ったのならいいのだろう。
「楽しそうだね」
斉藤は、千奈津の言葉に照れと緊張を混ぜた笑いを返した。
二度目のデートが行われようとしている。
さてどうしようか、と如月は思案する。
二度目のデートを尾行するという目的で千奈津をデートに誘ってみようか。
千奈津の答えを予想してみる。「いいね、行こう」と食い気味になるか、「もういいんじゃない?」と二人のデートをそっとしておく返答の両極端な気がする。もし後者であれば、きちんとデートに誘っていないにもかかわらず、振られたような感覚になりそうだ。
そして、はたと気づく。
デートを誘うのに建前が必要だろうか。
尾行デートをしたのは、千奈津と二人きりで遊びたいという思惑は特になく、斉藤と剛馬の関係が気になるためだった。見守りたいという気持ちが半分、面白そうだと思ったのが半分だ。
今、如月は斉藤と剛馬のデートをひっそりと見守りたいと思っているのではなく、千奈津と二人で出かけたいから、千奈津をどう誘うか考えているのだ。
千奈津と二人で出かけたい。一緒にいたい。
そのためにデートに誘いたい。
斉藤も剛馬も関係ない。
如月は千奈津に「ねぇ」と声をかける。
「俺と千奈津ちゃんもデートしようよ」
にっこりといつもの笑みを浮かべる。
斉藤と千奈津は驚き、「えっ!」と店内に響く声を上げた。




