第88話
「ち、千奈津ちゃん」
「何?」
俺のこと、好き?
それは早計すぎる。
ただ「寂しい」と言っただけで「好き?」だなんて、勘違いも甚だしい。
中学生でもあるまいし、暗い表情で「寂しい」だなんて言われて、「これって俺のことを好きなのでは?」なんて舞い上がるな。
バイト仲間が辞めると寂しいものだ。
本当にそうだろうか。
如月は今までのバイト先を思い出す。
居酒屋で働いていたとき、辞めていくバイトに対して何か少しでも思っただろうか。
寂しい、辞めないでほしい、もっと一緒に働きたい。そんな思いを少しでも抱いただろうか。いや、そんなことはなかった。
居酒屋では酔った客が暴れることがあったし、仕事ができるか、コミュニケーションが高いか、精神力が強い人間でないと働き続けるのは難しい環境だった。
そんな中、適応できないバイトはすぐに辞めていったし、一日だけ来て辞めた猛者もいた。
入れ替わりは激しく、バイトの名前を覚えたかと思えばまた新入りが追加され、覚えた名前はいつの間にかシフト表から消えている。
楽しくなかったわけではない。
それなりに人間関係は良好で、如月にとって働きにくい場所ではなかった。
ただ、辞めないでほしいと思ったことはない。寂しいと思ったこともない。
辞めた人間に対し、何も思わなかった。
あ、辞めたんだ。
それ以外に感想はなかった。
千奈津が「寂しい」と言ったのは、如月との関係が良好であり、少なからず如月に好感を持っているということだ。
そうでないと寂しいという感情は沸いてこない。
千奈津にそう言われてしまっては、辞めるに辞められない。
もし波瀬とシフトが被るようなことがあったとしても、仕方なく受け入れよう。
「明日マネージャーに聞いてみるよ」
「うん」
「はは、心配そうだね」
「だって、波瀬さんのせいで辞めるなんてさ。辞めなくてもいいのに」
本心だった。
如月が辞めたからといって、自分も辞めようだなんて思わないが、如月とのつながりが消えてしまうのは嫌だった。
「そ、そっか。まぁ、また連絡するよ」
眉を下げる千奈津に、胸がぎゅっと締め付けられる。
千奈津との関係は良い方だと思っていたが、この様子では思っているより千奈津の中で自分の好感度が高いのではないか。
「私たちも帰ろうか」
「そうだね」
店の電気を消し、二人並んでモールの中を歩く。
残業をしている店や明かりが消えた店の前を通り、通り過ぎる警備員に挨拶をする。
「そういえば、昨日、斉藤くんと凛ちゃんの雰囲気が良さそうだったよ。付き合うのは時間の問題っぽい」
「そっかぁ、うまくいくといいね」
「そうだね」
「千奈津ちゃんはどんなタイプが好きなんだっけ?」
「タイプを言い始めたら止まらないよ。金持ちでイケメンで頭が良くて背が高くて」
「はは、理想だね」
「理想は高いよ。でも、現実的に答えるなら、タイプっていうほどのタイプはないかな。人間性がちゃんとしてたらいいと思う」
人間性、と言われて如月は微妙な心境になる。
果たして自分の人間性は良いだろうか。
悪くはないと思うが、善人と胸を張って言えない。
「ちなみに、俺の人間性ってどうかな?」
「えー、如月くん? うーん、性悪だと思ったことはあるけど、人間性についてはちょっとよく分からないなぁ、普通じゃない?」
性悪。
否定できない。
しかし人間性が悪いとは言われなかった。ならば大丈夫だろう。
「そっかそっか。千奈津ちゃんは将来、専業主婦になりたい?」
「まずは恋人を見つけるところからなんだけど。でも正社員は無理だろうから、パートか専業主婦かなぁ。いや、パートかな」
「専業主婦は嫌?」
「養ってやってる、って旦那に思われるのが嫌。それならパートをしてたい」
正直、高校を卒業して数年フリーターをやっているため、今更正社員になれるとは思っていない。なろうとも思っていない。
高校を卒業したあと、正社員として事務で働いている友人が仕事の話をしていたのだが、聞いていると、自分には無理だなと思うものだった。
週五日勤務を毎週行い、一日最低でも八時間労働しなければならないのは辛い。
アルバイトなら、シフトを自由に入れられるし、仕事に対して給料程度の責任しか発生しない。嫌ならすぐにでも辞めればいい。
身軽なフリーターが性に合っている。
「そっかぁ、千奈津ちゃんは良いお嫁さんになりそうだしね」
「何それ、揶揄ってんの?」
「褒めてるんだよ」
「彼氏つくるところから始めないといけないんですけど」
「千奈津ちゃんならすぐ見つかると思うよ。積極的に探さなくてもね」
「買い被りすぎ。如月くんこそ、すぐ見つかりそう」
「うーん、どうかな」
モールを出るまで、恋愛や結婚の話で盛り上がった。
千奈津は将来のことなど考えていないが、結婚したいならそろそろ相手を見つけて交際しておく必要があるなと思った。




