第87話
好きな人から「きも」と言われ、軽蔑の眼差しを向けられた波瀬は、今にも泣きそうだった。
自業自得だと千奈津は心の中で吐き捨てるが、唇を噛む波瀬が哀れに思えてしまう。
千奈津は頭を振ってそんな思考を吹き飛ばす。
悪いのは波瀬であり、可哀想なのは如月である。
如月は自分が思っている以上に感情が逆なでされていると感じた。
こんなつもりではなかった。
いつものように笑顔をつくり、優しく言うつもりであったのだが、どうにも難しい。
項垂れて涙を流している波瀬を前にして、やりすぎたかと後悔する。
しかし、悪いのは如月ではない。こうなっているのはすべて波瀬の行いのせいだ。
「こういうこと、もうしないでくれる?」
「は、はい」
「スマホ出して。今まで撮った写真全部消して」
自分で思っている以上に苛立った声が出る。
本当に、こんなつもりではなかった。横には千奈津がいる。千奈津の前で怒りを露にした態度など、したくはなかった。
自制できない男だと思われてしまう。
千奈津がこの状況をどう思っているかが気になり、ちらっと千奈津の顔を窺う。
特に何かを気にしている様子はなく、じっと波瀬を見つめていた。
できる限り波瀬に優しい態度をとろう。
乱暴な男だと千奈津に思われたくはない。
波瀬に差し出されたスマホを操作し、隠し撮りされている自分の写真を消していく。
一体何枚あるのだ。
一人で帰宅しているときに後ろから撮った写真、友人と遊んでいるときの写真、バイト中の写真。
本当にストーカー行為をしていたのだと実感する。
よくもこれだけの写真を隠れて撮れたものだ。
隠し撮りをされることはある。美形に生まれてしまった宿命だろう。それでも、肖像権は守ってほしいところだ。
自分が写っている写真をすべて消去すると、スマホを波瀬に返した。
「ごめんなさい。だって、好きなんです、気になって」
「ならそう言ってくれるだけでよかった。こういうことをされると気分が悪い」
「すみません」
羞恥心からか恐怖心からか、波瀬の体は震えている。
それを労わってあげるような優しさは、如月にはなかった。
自分よりも小さく年下の女性が泣きながら震えている。千奈津の目に、これはどう映っているのだろうか。
波瀬をいじめる図になっていないだろうか。
波瀬が原因でこんなことになっているのだから自業自得ではあるが、千奈津はもしかしたら、波瀬に同情しているかもしれない。
如月は不安になって再び千奈津に目をやると、「ふふん」と楽しげな声が今にも聞こえてくるような、そんな表情で波瀬を見ていた。
波瀬に同情している様子はなく、如月は安堵した。
千奈津はというと、最初こそ波瀬を哀れに思っていたが、涙を流す波瀬を見ていると、今まで溜まっていたうっ憤が晴れていき、すかっとした。
あんなに偉そうな態度をとり、罵っていたくせに、今や小さくなって震えている。
爽快とはまさにこのことだ。
「もうしないでね」
「ぐすん、はい」
両手で目元を擦りながらぐすぐす泣く波瀬。
千奈津は斉藤に「あの波瀬が弱ってるぞ!」と大声で伝えたかった。きっと「どこですか!?」と走ってくるはずだ。そして満面の笑みで「最高です!」と親指を立てるに違いない。
想像していたよりも波瀬が反省の色を見せ、大人しくなっている。
如月も千奈津も、それ以上は何も言わなかった。
こんな簡単に許してもいいのか、と如月に問いたくなるが、当事者である如月が決めたのなら千奈津が口を挟む必要はない。それでももう少し、厳しくしてもいいのではと思う。
甘やかしすぎると再犯を起こすのではないか。そんな心配がある。
如月は顔が良い。その上、写真を消すだけで許しているほどに優しい。
このままだと、様々な女に言い寄られて最悪の結末を迎える可能性もある。
「今日はもう帰って」
波瀬は「お疲れ様でした」と呟き、千奈津の顔を見ることなく立ち去った。
脱力した如月は壁によりかかり、「あー、面倒くさ」と本音を吐いた。
「如月くん、このまま許してあげるの?」
優しいね、と付け加えれば如月はにこりと笑みを浮かべた。
「とりあえずマネージャーに言って、シフトを被らないようにしてもらうかな。あのマネージャーがどこまで俺の話を信じてくれるか分からないけど。証拠持って来いって言われたらどうにもできないしね」
「さすがにそんなことは言わないんじゃない?」
「そうなったら辞めるかな」
はは、と軽く笑った如月だったが、千奈津が何も反応しないことに気づく。
どことなく肩が落ち、何かを考えこんでいる様子だった。
失言でもしただろうか。
如月は己の発言を思い返す。
冷たい態度だっただろうか。笑えてなかっただろうか。
何も言わない千奈津に不安になる。
「辞めるのかぁ」
ぽつりと千奈津が呟いた。
如月は瞬きをし、千奈津の顔を凝視する。
今のはどういう意味だろう、どういう感情で言ったのだろう。
「如月くんが辞めたら、寂しくなるね」
如月と目を合わすことなく、どことなく暗い表情だった。
辞められると寂しい。
それはつまり、遠回しに辞めないでほしいと言っているようなものではないか。
辞めてほしくないということか。
その意味を汲み取ると、途端に心臓が大きく動き始めた。




