第86話
閉店時間になると店の片づけをし、波瀬はその間ずっと如月の隣で作業していた。
千奈津は気にしていないが、まるでここに自分がいないようだなと笑ってしまう。
ここにいるのは波瀬と如月のみであり、千奈津なんて存在しない。波瀬の態度からそれが伝わってくる。
今日一日、千奈津は波瀬と会話をしなかった。
波瀬と如月と三人でシフトが被る際は、こういうこともある。波瀬が如月にべったりで、千奈津は放置される。
それが嫌だ、というわけではないが良い気はしないし、如月は迷惑そうなので、千奈津の心情は微妙なものになる。
波瀬のストーカー行為のこともあり、今日は一層、如月が迷惑しているようだった。
「波瀬さん、ちょっと話があるんだけど」
片付けが終わると、如月は波瀬に真剣な表情で話しかけた。
あのことだ。
千奈津は察したが、波瀬は自分の行為を知られているとは思っていないので、「えっ」と嬉しそうに口角を上げている。
顔はほんのりと赤くなっていることから、きっと告白をされるのだと勘違いしているであろうことは、容易に想像できた。
あながち間違いではない。ある意味、告白である。
波瀬の期待を打ち砕くように、如月は息を吐き、低い声色で言った。
「波瀬さん、俺に何か言うことない?」
如月の雰囲気が変わり、波瀬は笑うのをやめて静止する。
思い当たる節はないようで、きょとんとしていたが、徐々に口が大きく開いて口角が上がる。
「あ、あたし、先輩のことが……」
「言うことはない?」の言葉を、告白しろと促されたと勘違いし、もじもじと服の裾を掴みながら頬を染める。
「そうじゃなくて、あるでしょ」
「えっと」
ばっさりと切り捨てる如月に怖気づいたのか、半歩下がる。
千奈津は二人を横から見ていたのだが、波瀬が千奈津にちらちらと視線をやる。
何を言いたいのか分からない千奈津は首を傾げながらもその場にとどまった。
「あの、重森さんは帰っていいですよ。先輩はあたしと話したいみたいで」
追い返したい様子の波瀬の言葉を遮り、如月は再度「言うことあるでしょ」と言う。
いつもの如月と違う、と気づいた波瀬は口を閉じる。
如月の纏う雰囲気が良いものではない。
「すみません、何のことか分かりません」
「ストーカーされて良い気分にはならないんだけど」
波瀬が本当にストーカー行為をしていたかどうかは分からない。井上の話でしか聞いていないし、如月と剛馬のツーショットを何故か波瀬が持っていたという事実があるだけだ。
それでも千奈津と如月は波瀬がストーカー行為をしていたと思っている。
波瀬ならやりかねない。
「な、なんのことですか」
波瀬の目が泳いだ。図星だった。
「俺を追いかけている波瀬さんを見た、って情報がいくつかあるんだけど、どういうこと?」
「せ、先輩はその話を信じてるんですか?」
「今、俺が聞いてるんだけど」
波瀬は口をつぐみ、何も言えずにいる。
無言は肯定と受け取り、如月は溜息を吐いた。
「本当なんだ」
「そ、それは」
「なんでそんなことしたの?」
如月は優しいな、と思う。
理由がどうであれ、ストーカー行為をしていたのは事実だ。むしろその事実だけで十分である。理由なんてどうせ「好きだから」「知りたかったから」だろう。
千奈津はまず理由を訊ねる如月を、純粋に優しいなと思った。
「す、ストーカーなんて、してな」
小さな声でそう言いながら、波瀬は如月の顔をちらりと見る。
いつもにこにこしている如月ではなく、無表情で波瀬を見下ろす如月がそこにいた。
あの如月にそんな表情で見下ろされるとは思ってもみなかったので、波瀬の心は大きな傷を負った。
「せ、先輩のことが、気になったので」
ほら、結局そんな理由だ。
千奈津は「ほらね!」と言いそうになるのを堪える。
そんなことだろうと思った。所詮はその程度の理由なのだ。
「俺のことが好きで、ストーカーして、興奮してたってこと?」
興奮って。
千奈津は笑いそうになるが、笑う場面ではない。
小さく咳払いすることでこれまた堪えた。
二人は真剣に話をしているというのに、千奈津だけ緊張感がない。
いけない、大事な話の最中なのだから。
そう自分に言い聞かせる。
「こ、興奮って、別にそんな」
「きも」
眉を寄せ、嫌悪感を丸だしにしている如月の前で、波瀬は絶望した。




