第84話
その日の夕方に、斉藤と剛馬が出勤した。
千奈津は如月から「あの二人にも話しておいて」と言われたので、二人に波瀬の話をした。
客がいなくてよかった。
千奈津は二人の引いた表情を見てそう思った。
「え、波瀬さんが……?」
剛馬は顔を歪めて「うわぁ」と小声で漏らしていた。
美人故に、ストーカー被害に遭ったことがあるのだろう。千奈津は剛馬の反応から察した。
「あの女、マジですか。いつかやるんじゃないかと思ってましたけど、まさか本当にやるなんて」
斉藤は如月より剛馬より、軽蔑していた。
斉藤が波瀬を嫌っていることは知っていたが、当事者の如月よりも反応が大きい。
嫌悪を露にしていた斉藤だったが、剛馬がいることを思い出し、わざとらしく咳払いをした。
「如月さんがしたいようにすればいいと思いますけど、あの女、いえ、あの人が反省するとは思えません」
「如月くんに言われたら、さすがの波瀬さんも反省するかもしれないよ」
好きな人に指摘されたなら、反省の色を少しは見せるかもしれない。そんな期待があった。
「甘いね、千奈津ちゃん」
剛馬が目を光らせて割って入る。
「如月くんが直接注意しても、逆に喜ばせてしまう可能性があるのよ。好きな人が私のことを見てくれてる、私がどれだけ愛しているかを知ってくれた。なんて勘違いをして暴走することだってあるの」
「く、詳しいね」
「ストーカーはよくあるもの。多分、如月くんも今まで被害に遭ったことがあるんじゃないかな?」
正解だ。
「ストーカーは許せないよ。本当に怖いんだからね、波瀬さんは浅はかすぎる」
ぷりぷりしている剛馬の言葉に、斉藤は何度も大きく頷く。
そして斉藤が心配そうに剛馬へ視線を向けているので、千奈津は「僕が守りますっていう眼差しだ!」と声を上げそうになった。
今隣に如月がいたら、如月に言っていたところだ。
「もしかして、あれもそうなのか?」
思い出したように斉藤が呟くので、千奈津は「何のこと?」と訊ねた。
「もしかしたらこれは違うのかもしれませんけど、この前、学内であの人を見かけたんです。女子生徒二人と一緒だったので、友達に会いに入り込んだのだと思ってたんですけど、まさかあれも如月さん目当てだったんじゃないかと、ふと思い出しました」
「斉藤くんと如月くんは同じ大学って聞いてるけど、波瀬さん違うよね? 違う大学に入っていいの?」
千奈津は大学へ行ったことがないので、簡単に大学を行き来できるのかと疑問に思った。
「大学に侵入するだけだったら、そこの生徒に紛れて入ることができるので簡単ですね。一人一人チェックするわけじゃないので、自分から申告しない限り部外者だと分かりません」
「なるほどね」
「友達に会いに来たのかもしれませんが、如月さんをストーカーするためってこともあり得ますね」
芽生えた恋愛感情を育てすぎると波瀬のようになってしまうのか。
大学の件は微妙なところだが、井上が実際に目撃したことに関しては、明日、如月が波瀬に問い詰めるだろう。
実際、千奈津と斉藤は隠し撮りされた写真を波瀬本人から見せてもらったのだから、井上の話がまったくの嘘ということもない。その話も持ち出して、素直になってくれたらよいのだが、どうなることやら。
波瀬のせいで如月が辞めるようなことになれば、バイトの楽しみが減る。
仕事は楽で人間関係も波瀬以外は良好だ。
如月が辞めたなら、恐らく千奈津はもう如月に連絡をとることはない。
二人で連絡をとりあって、時間を合わせて出かけるなんて間柄でもない。先日は斉藤と剛馬のデートを見守るという目的があったから出かけたのだ。
バイト仲間という関係がなくなれば、もう関わることはないだろう。
嫌だな、と思う。
如月とのアルバイトは楽しいし、この関係がずっと続けばいいなと心の隅で願っている。如月には就職もあるし、叶わないことは理解しているが、それくらい如月との時間は楽しかった。
「剛馬さん、その」
千奈津が如月との楽しい日々を思い起こしていると、斉藤は剛馬に近寄り声をかけた。
剛馬と千奈津は斉藤に視線を向ける。
「今まで、ストーカー被害に遭ったことがあるんですか?」
「あ、はい。でも、大したことはないですよ、直接何かをされたことはありませんから」
剛馬は斉藤に話しかけられたことが嬉しく、話題はナイーブなものであるが、どうしても頬は紅潮してしまう。
「そうですか、あの、もし、今後また何かあったら言ってください」
千奈津は眼玉が飛び出そうだった。
あの斉藤が剛馬に思いもよらない言葉をかけている。
如月にどんな助言をもらったのだろう。気になる、すごく気になる。
剛馬は斉藤の言葉に胸を撃たれ、瞳を輝かせて「はい!」ととても良い声で応えていた。
店内に客の姿はなくてよかった。この現場を目撃されたなら、SNSで書きこまれること間違いなしだ。
「あ、いや、何かある前に言ってもらえると、その、僕や如月さんや、一緒に働く人たちが助けやすくなるので」
剛馬の目を見ることができず、斜め下を見ながらぼそぼそと言っている。しかしきちんと剛馬の耳に届いた。
気にかけてくれていることが心底嬉しく、剛馬は顔の緩みが抑えられない。必死ににやけてしまう顔を引き締め、両手を頬に当てる。
「あ、ありがとうございます」
「これくらい、普通のことなんで」
もじもじと気恥ずかしそうな姿の二人には甘い空気が漂っている。
剛馬がもじもじしながらも、熱のこもった瞳を隠さない。
「めっちゃいい感じじゃん」
思わず言葉がこぼれたが、二人の世界にその言葉は届いていないようだった。
千奈津は温かい気持ちで眺めていた。




