第72話
「なんか、雰囲気よさそう」
千奈津は斉藤と剛馬を眺めて呟いた。
心配していたデートだったが、千奈津が想像していたよりも上手くいっている。
「そうみたいだね」
「心配しすぎたかな」
斉藤と剛馬は立ち上がり、会計をしに向かった。
それほど長く滞在していない。
この後もデートを続けるのだろう。
千奈津は大きく口を開け、残ったパスタを咀嚼する。
早く食べなければ、見失ってしまう。
もぐもぐと大きく頬を動かす千奈津を見て如月は声を出して笑った。
「そんなに急がなくてもいいよ」
「で、でも……」
「デートは大丈夫そうだし、もう追いかけなくてもいいよ」
「ふぉ、ふぉう?」
「ストーカーみたいに追い回すのはよくないしね。そっとしておいてあげよう」
お前が言い出したことだろう。
そんな目で如月を見つめた。
急がなくていいと言われた千奈津は食べる速度を落とし、ゆっくりと咀嚼する。
千奈津の瞳は伏せられ、意外と睫毛が長いのだと如月は気づいた。
リスのような頬袋は、千奈津を幼く見せた。
動く頬、長い睫毛。
そしてこちらを見つめる、ビー玉のような瞳。
ぼーっと千奈津を見つめていた如月は、急に目が合い、驚いてすぐに逸らしてしまった。
「……何?」
今まで如月にそんな反応をされたことがない千奈津は、不審気な声を出す。
「や、なんでもない」
再度目を合わせるのが気まずい如月に構うことなく、最後の一口を平らげる。
如月は息を吐き、ちらっと千奈津を視界に入れる。もう視線は絡まなかった。
今日のことを千奈津に「デート」と言ったが、本気でデートだとは思っていなかった。斉藤と剛馬がデートをすると言うから、自分たちもデートしようかなどと軽く千奈津に言っただけで、如月自身はこれをデートだとは微塵も思っていなかった。
しかし今、千奈津と目が合った瞬間、何故かこれをデートだと認識した。
長い睫毛が、ビー玉のような瞳が、千奈津を女性だと物語っていて、妙に意識してしまう。
まるで中学生のようだ、と恥ずかしくなる。
ただのクラスメイトだと思っていた女子と初めて二人で出かけ、新たな一面を見て、とある感情が顔を出す。
如月の記憶にはないが、そんな淡い青春を想像した。
今、自分はデートをしている。
昼食代は割り勘のつもりだったが、割り勘をしてはいけない気がする。
奢らなければ。そんな気がした。
彼女以外の女と出かけて奢ったことなどない。
奢れば、好意を持たれていると勘違いされるからだ。
そんなつもりはない。暗にそう伝えるために、割り勘を徹底していた。
千奈津に奢れば、勘違いさせてしまうかもしれない。
そういう思いがないわけではない。
けれど、恐らく勘違いしないだろう、とも思う。
そして、勘違いされてもいいな、とも思った。
「如月くん?」
千奈津に名前を呼ばれ、意識を引き戻された。
千奈津の皿は空になっており、店を出る準備はできているようだった。
「あ、出ようか」
「うん」
千奈津が伝票を見ようと手を伸ばしたが、その前に如月が取り上げた。
如月が会計をしに向かうので、千奈津も後を追い、財布を取り出す。
「お会計一八〇〇円です」
千奈津が小銭を出そうとすると、如月が会計を済ませた。
先に全て払ってくれたのだと思い、店を出てから小銭を渡そうとすると、やんわりと断られた。
「え?」
拒否されるとは思わず、再度手を出す。
「いや、いいよ」
「なんで?」
「俺が誘ったから」
「え? これくらい払うよ」
「いいって」
不思議に思った千奈津だが、奢ってくれるというのなら甘んじて受け入れる。
自分の分は払わないと気が済まない、というタイプではない。
「そ、ありがと」
「どうしたしまして」
そういえばこの前、シフトを変わってあげた。
その礼かもしれない。
千奈津は都合のいいように考えた。
ラッキー、と笑っている千奈津に言いようのない感情が沸く。
千奈津の周りがぼやけたように見え、如月は目を擦る。
「どうしたの、さっきから」
調子の悪そうな如月が心配になり、千奈津は首を傾げる。
「なんでもない」
「そう?」
「なんか、目が」
「目?」
「うーん、大丈夫」
目がどうかしたのか。
映画館では最後列で見たので、スクリーンに目をやられたわけではなさそうだ。
「本当に大丈夫? もう帰る?」
「まだ」
「ふうん、調子悪かったら言ってよ」
「うん、ありがと」
千奈津は気遣いながら、如月の隣に立つ。
道は狭く、車が通るための幅を空けておかなければならない。そんな意識が、千奈津と如月の物理的距離を縮めた。
千奈津の腕が、如月の腕に触れた。
故意ではない。
千奈津は気にせず、前を見て歩く。
触れ合った腕。
小さく靡く髪。
ちらちらと見え隠れする首筋。
自分よりも、小さな体。
「はあああ」
「うわ、びっくりした。何?」
大きく息を吐いた如月に驚き、一歩離れる。
「なんでもない」
「怖いんだけど」
「本当に、なんでもない」
今日の如月は調子がおかしい。
斉藤と剛馬のデートを見守り終わったくらいから、様子が変だ。
二人のデートに対して、思うことでもあったのか。
剛馬に惚れた、とか。
惚れたと同時に失恋、とか。
そうだとしても、応援はできない。
如月の失恋を想像し、「すまん」と心の中で手を合わせた。
そんな千奈津に気づくわけもなく、如月は芽生えた感情の名前が分かり、手で顔を覆う。
まじかよ。
納得できないような、腑に落ちたような、そんな二つがせめぎ合い、困惑する。
「如月くん、今私たちどこに向かってるの? 当ててあげようか、古着屋でしょ。好きそうな顔してるもんね」と呑気に笑う千奈津に、「何その偏見、雑すぎ」と言い返したかったが、心臓が素直に反応するので「う、うん」と短く返すのが精一杯だった。




