第62話
凛ちゃんをお願いね。
そんな千奈津の言葉が、斉藤の頭を占める。
その「お願い」というのは、波瀬にいじめられていたら助けてあげてという意味だろうから、波瀬が剛馬に何もなければ斉藤は動かなくてもよい。しかし、あの波瀬が何もしないなんてことがあるだろうか。
斉藤は不安を抱えながら出勤し、波瀬と剛馬を視界に入れて安堵する。
よかった。二人とも距離を置いている。
剛馬は斉藤が出勤したことに気づくと軽く会釈し、斉藤も返す。
波瀬は笑顔で駆け寄り、最近の出来事を語るが斉藤は「へー」と感情のない声で聞き流す。
隣から耳障りな声が両耳に入り込み、溜息を吐きたくなるがぐっと我慢する。
斉藤は自分の顔が良いとは思っていない。
根暗で陰険だという自覚はあり、いじめられた過去もある。
お世辞にもかっこいいとは言えないと理解している。
それでも見た目をマシにしようと、どうにか頑張って今に至る。
その頑張りを知られたくないため、こういう話は誰にもしたことはない。
頑張った結果、現在波瀬が言い寄っているので自分の努力は本当に正しかったのか疑問を抱いてしまうが。
波瀬は、男なら誰でも言い寄るビッチ。斉藤はそう思っている。
しかし、その男を見下すのもまた波瀬である。
「いらっしゃいませー」
中学校の制服を着ている男女が入店すると、波瀬は高い声を出した。
男女は、最近流行りのアニメのイラストが描かれている商品を手に取り、楽しそうに会話している。
「ふっ」
隣から、波瀬の笑い声が小さく聞こえた。
笑顔ではなく、半笑い。
波瀬の視線の先にはあの男女がいる。
斉藤はその表情をよく知っている。
以前何度も自分に向けられた笑い。
嘲笑である。
来店した男子中学生の顔は荒れており、思春期故かニキビが目立つ。
ワックスに慣れていないのか、雨に濡れた後のように髪が湿っており、商品を両手で持ち興奮気味に商品について語っている。
女子中学生はマスクで口だけを覆っているが、それはきっと顔の肉が邪魔してのことだろう。意図的に口だけを覆っているのではなく、口だけしか覆えないのだ。
黒縁眼鏡に手をかけて、商品をまじまじと観察している。
誰がどう見ても、「オタク」と呼ばれる人種である。
オタク特有の話し方、表現、容姿。
波瀬は自分より下の人間と認識し、蔑んだ。
波瀬の気持ちは分かる。
しかし、あの二人に何かされたわけでもないため斉藤は波瀬のように嘲笑を向けることはない。
あの二人に対して、もっと頑張れよ、外見や身振りに気を遣えよ、という気持ちもあるが、過去の自分と重なる。
久しぶりに、昔を思い出させるような嘲笑を聞いた。
気分が下がった斉藤は波瀬から離れようとするが、波瀬はついてくる。
「それでねー、その時に如月先輩がぁ」
大好きな如月の話ばかりをする。
如月を哀れに思うが、波瀬の狙いはわかっている。
他の男の話ばかりをする姿に、嫉妬してほしいのだ。
どうして如月さんの話ばかりするの?という嫉妬を欲している。
いや、もしかしたら勘違いかもしれない。嫉妬してほしい、なんて波瀬は思っていないかもしれない。
そう自分に言い聞かせたこともあったが、今までの言動を振り返ると、そうとしか思えない。一度、「なんで如月さんの話ばかりなの?」と正直に聞いてみたことがある。すると波瀬は嬉しそうに頬を緩ませ、「えぇー、そんな、嫉妬みたいなこと言わないでよー。仕方ないなぁ。じゃあ他の話する?」と言ったのだ。
もう間違いない。
如月の話ばかりする波瀬にうんざりしていると、視線を感じた。
振り向くと、剛馬と目が合ったが一瞬で逸らされた。
まさか、波瀬と仲が良いと思われたのだろうか。
「……斉藤くん、何見てるの?」
「別になんでも」
「……まさか剛馬さんのこと見てたの?」
「そういうわけじゃないけど」
一瞬目が合っただけで、何故そんな彼女みたいなことを言われないといけないのか。
「あんまり剛馬さんには近づかない方がいいよ」
「……なんで?」
「だって、如月先輩を狙ってるんだもん。元モデルだから、一般人の先輩なんて余裕で落とせると思ってるんじゃないかなぁ?」
どの口が言っているんだ。
狙っているのはむしろ、お前の方だろう。
あんなにわかりやすく気があるそぶりをしておいて、他人がやっているのは許せないのか。
身勝手な波瀬に苛々する。
「斉藤くんはどう思う?」
「別に何とも」
「剛馬さん、絶対如月先輩を狙ってると思わない?」
「さぁ」
「もう、斉藤くんは鈍感だよね。もっとしっかりしないと駄目だよ」
今日はやけに話しかけてくる。
そして距離が近い。
店内は広く、客はいないのに腕と腕が当たっている。
気持ち悪い。
「あのさ」
「うん?」
「剛馬さんが如月さんと仲良かったとして、僕らに関係ないよね」
「えっ」
「僕らとは違って美男美女だから、お似合いなんじゃない?」
言った後に後悔した。
波瀬の顔はみるみるうちに歪み、心なしか耳が赤い。
斉藤は自身の顔が整っているとは思っていない。
波瀬の顔も整っていると思ったことはない。
例え、剛馬と如月が良い仲だったとしても、自分たちとは違って綺麗な容姿なのだから画になるだろう。その本心が出てしまった。
遠回しに不細工だと言われた波瀬は黙ったまま斉藤の傍から離れた。
機嫌を損ねてしまい、面倒くさくなりそうな予感がするものの、波瀬が遠のいたことで嬉しくもある。
二人の様子を見ていた剛馬は、両手を口元にあてて胸を高鳴らせていた。




