第60話
「この程度ならマネージャーじゃなくて波瀬さん本人に言ってもよさそうだね。メールで伝えておこうかな」
することがないので今からメールを送ろうとスマホを取り出し、井上の方を見ると、スマホに文字を打ち込んでいた。
井上が波瀬に伝えてくれているのだろうか。
千奈津はスマホをポケットの中に仕舞おうとするが、あの井上である。そして受け取るのはあの波瀬である。
どんな文面か、井上が送信する前にチェックした方がいいのではないか。
千奈津が間に入る義理はないのだが、文面を確認するくらいはしておこうと思い至った。
井上が持っているスマホの画面を覗き込もうと上半身を動かすが、それよりも先に千奈津が手にしているスマホの画面が光った。
通知をタップし、開いてみると、バイトのグループチャットの画面に飛んだ。
「……い、井上さん」
その通知は、井上がグループチャットに先程の件を長文で送信していたものだった。
「お疲れ様です」から始まり、「波瀬さんだけでなく、他の方々も今後気をつけましょう」と締めくくられている。
文の中に何度も登場する「波瀬さん」の文字。
相川の言葉をそのまま使用し、オブラートに包むことすらしない。
「波瀬さん個人に送ればよかったんじゃないですか?」
「皆で共有した方がいいかと思いましたので、グループに載せました」
それが何か、とずれた眼鏡を押し上げる。
送信取り消しをしようかと井上のスマホの画面を覗き込むが、既読が三つついている。千奈津以外の二人が既に読んだのだ。
取り消すにはもう遅い。
「まったく、波瀬さんには困ったものですな。今のうちに常識を知らなければならないようです。」
この長文を読んだ波瀬はどうするだろうか。
グループチャットで喧嘩が勃発しなければいいが。
増えていく既読にはらはらするが、そもそも如月や海老原たちがいるグループチャットで波瀬が喧嘩をするだろうか。
しかも、内容は波瀬の失態についてであり、ここで井上を責めてしまうと逆切れや負け犬の遠吠えと捉えられてもおかしくない。
そこまで浅慮でないと思いたい。
「あ、波瀬さんから返信がありました」
千奈津のスマホにも通知があり、急いで開いてみると井上に負けず劣らず長い文章が波瀬から届いていた。
脳内で波瀬の声に変換し、文章を読み進める。
謝罪から始まっているが、ほとんどが言い訳である。
波瀬がMOONの前で昼食をとるようになったのは一か月前のこと。それまではフードコートで食べていたのだが、「店員が客の席を奪うな」と空席を探していた客に責められ、仕方なく今の場所に移した。
バックヤードには窓がなく食事の臭いが充満するため昼食をとることができず、かといって毎週カフェで食べるには出費が大きい。
食べる場所がなかったため、MOONの店の前で食べることにした。ニコニコショップの向かい側なので、すぐに職場へ戻れるためそこを選んだ。
そんなことが長々と書かれてあり、最後には「以後気をつけます」と締めくくられていた。
やけに素直だ。
やはりグループチャットだと男たち、特に如月もいるため自重しているようだ。
千奈津が長文を読了すると、またもや波瀬から長文が届いた。
新しく送信されたその文章に目を通す。
「なんですかこれは! まるでわたくしが悪いかのような言い回しです!」
井上は、ムキーと怒りを露わにする。
それもそのはず、「以後気をつけます」の後に送られてきたのは、井上の言い方がきついというものだった。泣いている絵文字や汗のマークを使い、傷ついたと遠回しに主張している。
普段の波瀬からは想像ができない柔らかい言い方である。
直接井上を非難する言葉はなく、「あたしがそう感じ取っただけなので」や「井上さんに悪気がないのは分かってます」など、井上に非がないことを伝えているが、言っていることはつまり「井上さんの言い方がきついので、そちらも今後気をつけてください」である。
謝罪だけに留まらない。これが波瀬である。
直接的な言葉を使わず、柔らかいニュアンスにし、尚且つ絵文字を多用する。
自らの行いを反省しつつ、責め立てられたことによって傷ついている女の図となっている。
井上を悪役にしようと企んだが、如月や海老原が読むことを踏まえ、か弱い女を演じたのではないだろうか。如月や海老原が擁護してくれるかもしれない。そんな期待もあっただろう。
如月は何の反応も示さないだろうが、海老原は何かコメントするに違いない。
「海老原さんとは誰ですか! 何故わたくしが悪者になっているのですか! わたくしは今あったことを共有しただけですよ!」
スマホの画面を指さして千奈津に向ける。
大学の講義中だろうに、波瀬も海老原もスマホを触っているようだ。
波瀬の策略に引っかかった海老原は波瀬を擁護すべく、井上に対して「ちょっと言い過ぎっすよ」と発言している。続けて「波瀬さんだけじゃなくて、俺たちも気をつけましょう」とキリっとした顔文字でやり取りは終わった。
確かに井上の文章には「常識が~」や「このままだと社会人になった時に~」と、余計な言葉が加えられている。
波瀬や海老原が、言い過ぎと指摘したくなる気持ちも理解できる。
「これはわたくしが悪いのですか!?」
井上は千奈津に顔を近づけ、判断を求める。
どっちもどっちだ、と言う勇気はない。
グループチャットで言うことではないだろう、と思うが共有すべき話であるとも思う。他店からクレームが入ったのだから、皆が知っておくべきだ。
井上の言い回しに棘があるのは確かだが、波瀬の過剰な傷ついた発言も如何なものか。
やはり、どっちもどっちだ。
「どっちが悪いかは分からないけど、受け取り方がそれぞれ違うのかなぁと……」
この場には井上しかいないので井上を庇うことを考えたが、「重森さんはわたくしの味方をしてくれました」と言いふらされると困る。波瀬を擁護する気はさらさらないので、どちらの味方もしない。
井上は理解不能な表情をしていたが、自分は間違っていないのだと胸を張り、「元凶は波瀬さんなのですから」と堂々としていた。




