第50話
「凛ちゃん、凛ちゃん」
「うん?」
「凛ちゃんはバイトに力を入れてる派?」
「へ?」
波瀬たちから距離をとって剛馬に訊ねると、目をぱちくりさせ、きょとん顔で見つめられた。
バイトに力を入れている派であることを考慮し、千奈津は言葉を選ぶ。
「波瀬さん、結構バイトに精を出してるんだよ。売り上げのために貢献しようとしてるから、マイナスな事は波瀬さんの前では言いにくいの。凛ちゃんは、どっちかなと思って」
「うーん、どっちでもない、かな? 雑貨屋さんが好きだからここで働いているけど、売り上げに貢献しようと意識したことはないよ」
「そうだよね!」
「正社員になったらそういう意識が芽生えるかもしれないけど、バイトだもん」
「だよね!」
よかった、こちら側の人間だ。
千奈津や如月とは温度差が少しあるように見受けられるが、剛馬が波瀬側でないだけよしとしよう。
剛馬の頬の横で揺れる茶色の髪を眺め、どうやったらそんなヘアアレンジができるんだろうと別の方へ意識が持っていかれた。
一方、如月と波瀬も談笑をしていたが、波瀬は千奈津と剛馬が談笑しているのを確認すると、思考を巡らせて口を開いた。
「如月先輩、裏にある在庫の整理ってもうやりましたか?」
「在庫整理? いや、やってないよ。何か整理するものがあったっけ?」
「マネージャーが、棚卸をやってほしいと言ってました」
「もう明日でいいんじゃない?」
「でも、マネージャーが急ぎでと言っていたので……」
面倒くさい。
態度には出さないが、如月は煩わしく思う。
棚卸なんて今日でなくてもいいはずだ。
在庫はそんなにないけれど、今から作業をしても閉店に間に合わないかもしれない。
中途半端に終わらせて明日に持ち越すと、明日出勤の人間が迷惑を被る。
棚卸を行うなら、午前中か午後一番が良い。
今やることではない。
どうやって断ろうか、と思案していると波瀬の視線が如月にないことに気付いた。
視線の先を辿ると千奈津と剛馬がいたので、如月はすぐにぴんときた。
「取り敢えず、整理だけしておくね。今から作業しても、明日の人の迷惑になりそうだから」
「はい、お願いします」
如月はその場から撤退し、バックヤードへ身を置くと、整理する振りをして携帯を触る。
まともに取り合う気はない。
十五分くらい時間を潰そう。
波瀬もそれを望んでいるはずだ。
波瀬がどうしても如月を追い出したい様子だったので、如月は素直に従った。
千奈津と剛馬には悪いが、巻き込まれたくない。
千奈津と運命共同体だと自ら発言した如月であったが、そんなことは記憶の彼方へ吹き飛んでしまった。
扉が閉まる音がしたので千奈津は店内を見渡す。如月が消えていた。
千奈津はいなくなった如月に疑問を抱いていると、波瀬が一直線に歩み寄っている姿を見て悟った。
如月はいない。
波瀬は険しい顔をしてこちらに向かっている。
そういうことか。
あいつ、逃げやがった。
千奈津は波瀬から逃げようとくるりと方向を変えたのだが、「重森さん」と波瀬のしっかりとした声で止められた。
「剛馬さんも、いいですか?」
いいですか、と窺っている態度ではない。
剛馬は「なんでしょう」と柔らかい表情を崩さず、波瀬と向き合う。
渋々と剛馬の隣に立つ。良い話ではないことは確かだ。
「インツタに写真を載せるのは構いませんが、元モデルをアピールするようなことはしないでください。剛馬さんが所属していた事務所に迷惑がかかりますし、如月先輩の迷惑にもなります」
「え、あ、そうだね。でもなんで如月くんも?」
「如月先輩は恰好いいから、元モデルの女と恋仲だと噂されてもおかしくないでしょう。好きでもない女と噂された先輩は困るに決まってます」
困るのはあなたでは。
千奈津は失笑してしまいそうになるのを堪える。
剛馬の反応が気になったのでちらっと隣を窺うと、ぽかんと口を開け、数秒後にはくすくす笑い始めた。
笑われた波瀬は耳を赤くし、口撃態勢に入る。
「波瀬さんは如月くんのことが大好きなんだね」
剛馬の言葉に波瀬と千奈津は飛び上がる。
千奈津は焦った。
今まで絶対にその言葉は言わないようにしていたのに。
悪意なく口から出たのだろうが、これはまずい。
波瀬を恐る恐る見ると、首から上を赤く染めて唇をかみしめている。
爆発寸前だ。
「でも大丈夫だよ、わたしは如月くんと恋仲にはならないから。安心して……」
「うるさーい!!」
周囲の店にも届くような大声量で剛馬の話を遮ると、バックヤードへ駈け込んでしまった。
波瀬がいなくなり、二人は顔を見合わせ笑った。
「言っちゃいけなかったのかな。分かりやすいから、てっきり皆に知らしめてるのかと思っったよ」
バレてないつもりだったんだね、と清々しく笑うので、千奈津は剛馬に対する印象を変えずにはいられなかった。
十五分後、涙を袖で拭う波瀬と、困り顔の如月がバックヤードから出てきた。
波瀬の左手は如月の服を掴んでおり、逃げることができない如月に、千奈津はざまぁと鼻で笑った。




