第46話
謝罪訪問の一件があってから、波瀬は大人しくなった。と思ったのは最初の数日だけだった。いつの間にか波瀬は強気に戻り、千奈津は今日も波瀬に嫌味を言われている。ずっと落ち込んでいればよかったのに、時間が波瀬を回復させた。
「だから、前から言ってますよね。店内にチラシを貼る時は、四隅に沿ってきちんとテープを貼ってください。こんな貼り方だとすぐに剥がれます」
どんな貼り方でもいいだろう。
どうせ二週間くらいですぐに剥がすのだから。
本部からのメールに添付されていた「二週間限定セール」の張り紙をテープで貼っていたら波瀬から小言が飛んできた。ドラマに出てくる小姑のように、重箱の隅をつつく。
「まったく。全部剥がしてやり直してください。剥がれる度に貼り直すなんて非効率です」
どんな貼り方でもいいじゃないか。
どうせたったの二週間だ。
「そういう貼り方をする人がいるから、あたしは何度も貼り直してきたんですよ。剥がれて落ちたらお客様の迷惑になりますし、貼り直す労力もいるんです。年上ならそれくらいのこと理解して、行動してください」
わざとらしい溜息を残し、波瀬は如月の方へ行ってしまった。
先程の強気な表情を消し去り、弱々しく眉毛を下げている。
苦情の件があってからというもの、男の前では以前より弱々しくしている。同情を誘いたいのだろうが、乗ってくれるのは海老原だけだ。
如月は心配することなく、いつもの笑顔だ。
斉藤はあれから如月に苦情の件を話したようで、如月の波瀬を見る目が愉快そうに三日月を描いている。
波瀬を見る度に思い出しているのだろう。
「俺もエリマネから直接話を聞きたかったなぁ」と零していた。
未だにしおらしい姿の波瀬が、面白おかしいらしい。
「面倒くさ」
もう四枚も貼った。これをすべて剥がして貼り直すのは面倒なことこの上ない。
テープを上手に剥がせなかったら新しく印刷しなければならない。
千奈津は紙質とテープの感触から、綺麗にテープを剥がすことは困難だと思い、思い切りチラシを壁から引き剥がした。紙の破れる音が大きく響くが、構わずすべて剥がしていく。
波瀬の「重森さん、怖い……」と掠れる声で呟いたのが聞こえた。
何が「怖い……」だ。「怖い」の「い」が「ひ」と聞き間違えるくらいには、しっかり怯えの声色だった。
チラシを両手でくしゃしゃに丸め、カウンターの下に置いてあるゴミ箱に捨てる。
波瀬たちの後ろを通る形となり、舌打ちでもしてやりたい気分だった。
千奈津が新しくチラシを持ってその場を離れると、波瀬は如月の袖を掴んだ。
「あたし、何か間違ってましたか?」
「うん? 何が?」
上目遣いの波瀬から視線を逸らし、苛ついている千奈津の背中を見つめた。
「重森さん、チラシの貼り方が大雑把なので、こうすると剥がれにくいですよっていうのを教えたんですけど…...」
「そうなんだ」
「でも、余計なお世話だったみたいです。重森さん、なんだか怒ってますよね」
「そうかな?」
「そうですよ。このまま嫌われたら、どうしよう」
手を口元に当てる波瀬に、如月は「多分もう嫌われてるよ」と言いそうになる。
千奈津は波瀬にことを好きでも嫌いでもないと言うが、好きでないことは分かりきっている。どちらかと言えば、嫌いな部類に入るだろう。
どちらでもないと言いながら、千奈津は波瀬を嫌っている。
波瀬もまた、千奈津を嫌っているのは明らかだ。
嫌う者同士、絡まなければいいものを波瀬が攻撃しようと立ち向かうのだからどうにもならない。
「大丈夫だよ、千奈津ちゃんは良い子だから」
波瀬は、むっとした表情になったがすぐに目じりを下げて「そうですね」と笑った。
苛々している姿を隠そうともしない千奈津の背中に向けて、早くこっちに来いと念じてみるが、如月のことなんて頭にない千奈津は「クソだるい」と汚い言葉を吐く。
乱雑にテープを切り、チラシの四隅に沿って貼る。
もし指摘されたのが井上だったら、と想像して心を落ち着かせる。
「今からすべて剥がし、貼り直す労力を考えるとこのまま貼り続ける方が、効率が良いと思います」とでも言い返すのだろう。または「わたくしの貼り方が間違っているという根拠は何でしょうか」と口喧嘩を始めそうだ。
井上が波瀬に言い返す場面を頭の中で描いていると、幾分か落ち着いた。
最後のチラシを壁に貼っていると、「お疲れ様です」と後ろから声がした。
千奈津が振り向くと、マネージャーの吉田が立っていた。




