第42話
マネージャーがぺこぺこと壁に頭を下げながら電話をし、波瀬はぐすぐす泣いていて一言もしゃべらない緊張感で張り詰められていた現場を目に焼き付けた三日後。
千奈津はその後どうなったのか、知りたくて知りたくてうずうずしていた。
上機嫌で店に出て、緩む顔を引き締めながら波瀬の姿を探す。波瀬が教えてくれるとは思えなかったが、クレーマーに打ちのめされてへこんでいるのではと楽しみに、いや、慰めようと考えていた。
今日は千奈津と波瀬と斉藤の三人体制だ。昨日は如月と斉藤のシフトが被っていたので、斉藤は苦情の件を把握しているだろう。
斉藤もなかなかにいい性格をしているため、二人で苦情の件がどうなったのか波瀬にさりげなく聞いてみようとしていたのだが、店内には斉藤しか見当たらない。
「お疲れ様です」
「お疲れ。波瀬さんは?」
「あそこです」
斉藤が指したのは店内の隅。
足を動かして隅に目をやると、そこには男と話している波瀬がいた。男は千奈津たちに背を向けており、千奈津はその男が誰なのか分からない。
「エリアマネージャーの高橋さんって人らしいです」
「エリマネ? なんでいるの?」
マネージャーは用がある時くらいにしか立ち寄らない。エリアマネージャーとなると、マネージャーが訪れる頻度をさらに下回る。
性別が男、としか覚えていない。
身長は波瀬と同じくらいで、小太りだ。
男の体格により、波瀬の首から下が見えない。
波瀬は俯き、元気がなさそうだ。
「如月さんが教えてくれましたけど、苦情があったそうですね。その件でエリマネまで引っ張り出されたとか。それにエリマネが怒って、元凶の波瀬に物申しているみたいですよ」
「あぁ、そういうこと。じゃあ波瀬さんとマネとエリマネの三人で謝りに行ったんだ」
「結構な修羅場だったらしいです」
「え、もう聞いたの?」
「修羅場だった、っていうことしか知らないです。どんな修羅場だったのか興味があって、あの二人の会話を聞きたいんで、ちょっとあの辺りの商品を確認しに行ってきます」
「え、え?」
「あの辺、商品がちょっと乱れてる気がするので」
「わ、私も行く。斉藤くん一人じゃ大変だからね」
無理やり理由を付けて二人に近寄り、「何も聞こえていないですよ。ただ仕事をしているだけですよ」と雰囲気を醸し出す。
いいポジションを探し出し、千奈津と斉藤は互いの背を合わせて、高橋と波瀬のことなんて全く気にしていないかのように動く。
店内に客はいないので、客から話しかけられることも会計に急がないといけないこともない。
二人はぴくぴくと耳を揺らす。
「あのね、こっちも暇じゃないんだ。そんなことにいちいち呼び出される身にもなれよ」
「……」
「は? 何? 聞こえないんだけど? うちはさぁ、新しい事業を始めるって時なんだから、ちんけなクレーマー如きそっちでどうにかしてくれる? ってマネに言ったんだけどさぁ。はぁ、君もエリマネを出すのは申し訳ないとか思わなかったの? こっちは君たちバイトと違って多忙なんだよ。最近になって売り上げをもっと気にするように言われるし、収益が少ないだの文句言われて、たまったもんじゃないよ」
高橋は会社の愚痴を吐き出すと、用は済んだとばかりに振り返る。
波瀬以外のバイトが来ているのを知り、二人に「お疲れさん、ちょっといい?」と声をかけてバックヤードへ連れて行った。
性格がよくなさそうな高橋に話しかけられ、渋々後ろをついていった。
矛先を向けられると思い、千奈津と斉藤は心して、椅子に座るエリマネを見下ろした。
「まったく、あの子でしょ、吉田のお気に入りバイトは」
吉田とは、マネージャーの名前である。
携帯での登録も呼び方も「マネージャー」で統一している千奈津はその名前に馴染みがなく反応ができずにいると、斉藤が「そうですね、マネージャーがよく気にかけています」と答えた。
そうか、そういえば吉田だったな。
「ふざけんなよな。お前らは知ってるか? 最近、本社がニコショの尻を蹴りまくって売り上げを伸ばせって言いまくってんの」
「なんとなく……」
急にインツタを始めるよう、全店舗に通知を出した。
容姿がいい人を、なんて露骨な表現を用いるくらいには切羽詰まっているのだろう。
「新しい事業を始めようとしてるが、酷いもんだぜ。絶対失敗する。間違いない。多分近いうちに発表があるだろうから、それを見て驚け」
「は、はぁ」
その新事業というのは秘匿事項なのだろう。
興味をそそられないので千奈津も斉藤も、どうでもいい表情で受け流す。
反応が薄い二人に眉をぴくりと動かし、にやりと笑う。
「あの、波瀬だったか。苦情が入ったバイト」
「あぁ、はい」
「菓子折り持って謝罪に行った時の話を聞きたいか?」
是非聞きたい。
そう訴える四つの目に満足すると、「久しぶりにあんな修羅場に出くわした」と前置きし、二人の好奇心を揺さぶった。




