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ニコニコショップのアルバイトたち  作者: 円寺える


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第36話

「なんでしょう。もうすぐメールの文章が完成しそうです」

「駄目です。送らないでください」

「わたくしは会社のためを思っているからこそ、こういったメールを送信するのです」

「今日が初日のくせに何言ってるんですか!」


 むっとした井上はキーボードを叩くことをやめ、千奈津に向き直る。


「それはわたくしを侮辱しているのですか。今日が初日の新人にはメールを送ることすら許されないと?」

「初日ですべてを知った気にならないでください。まだ接客もしてないんですよ、やってない作業もある。そんな新人がメールを送っても、説得力がありません」

「わたくしに仕事ができないと言っているのですか? 失礼ですよ。わたくしは重森さんよりも人生経験があり、社会経験もあります」

「それは知っています。でも、まだ仕事に慣れてないんですから、今は本部にメールを送るのではなく、仕事を覚える方が先です」

「わたくしは正社員の経験もあります」

「だから知ってますって。今そんな話はしていません。それに、本部へ直接メールをするのではなく、マネージャーに話を持って行くのが普通の流れです」


 千奈津と井上の言い合いが始まり、不穏な空気が漂う。

 その間に割って入ろうかどうか、斉藤と如月は悩んでいた。

 千奈津がここまで言い返すのは珍しい。


「如月さん、どうします?」

「止めに入ろうか。喧嘩してるとお客さんが入りにくいから」

「そうですね」


 千奈津は客の存在を忘れているようなので、二人は仲裁することにした。

 「お客さんが入ってくるから、その辺にしよう」と如月が口にしようとするが、井上の怒鳴り声が吹き飛ばした。


「普通ってなんですか普通って! わたくしが普通ではないような言い方をして! 今日初めて出勤したのですよ、それなのにわたくしに普通を要求するのはおかしいでしょう!!」


 顔を真っ赤にして怒声を店内に響かせる。

 斉藤は思わず「きしょ」と言いそうになり、喉までこみ上げたその言葉を呑み込んだ。

 火に油を注いでしまうことになる。


 井上を落ち着かせようと、如月は手を伸ばし、背中を触ろうとしたがその前に千奈津が声を荒げる。


「あなたが普通じゃないから普通を教えてるの! 普通は教わる時、メモを取るの! 袋を統一だのどうのと言う前に仕事を覚えようとするの! 勝手に本部にメールをしようなんて思いつかないの! 普通は! そうなの!」


 千奈津が感情的になったのを初めて目の当たりにし、斉藤と如月はぽかんと口を開ける。

 こうなるとどうにもならない。

 互いに睨みつける千奈津と井上。

 喧嘩が始まった。


「わ、わたくしは正社員の経験があり、貴方より年上ですよ! 人生の先輩です! それなのになんですか、その言い方は!」

「人生の話なんてしてません、仕事の話をしているんです! ここでは私が先輩ですよ!私の指示に従ってもらいます!」

「な、なんですか偉そうに! 何様ですか、わたくしを従わせるような立場ですか!」

「教育係です!!」


 今日一番大きな声で答えた千奈津は両手を腰に当てる。

 教育係なので、当然井上に指示を出せる立場だ。

 千奈津が教育係だということをすっかり忘れていた井上は黙り込み、俯く。


「……しかし、それでもわたくしを侮辱したことには変わりません」

「私がいつ侮辱したんですか」

「わたくしを普通じゃないと言いました」

「井上さんこそ、私が大学生ではなくフリーターだと聞いて態度を変えましたよね。私が高校卒業後ずっとフリーターだと知ってからはあからさまに見下したでしょう」

「そ、そんなことしていません! それは貴女の被害妄想です」

「私も井上さんを侮辱してません、井上さんの被害妄想です」


 互いに一歩も譲らない。

 見兼ねた如月が間に入り、「お客さんが入りづらいから、そろそろ言い合いはやめようか」と二人の肩を軽く叩く。


「今日は千奈……重森さんが教育係なので、重森さんの指示に従ってください。人件費削減などの話は、仕事に慣れてからにしましょう」

「……でも」

「改善点を発見できるのは凄いことだと思います。会社に貢献しようとする姿勢も素晴らしいです。でも、もう少し働いてから実行しても遅くはありませんよ」

「……はい」


 悔しそうに俯く井上は、如月を一瞥しただけだった。


「千奈津ちゃん、あまり大声を出すとお客様にご迷惑だから、控えようね」

「……うん」


 千奈津と如月のやり取りを聞き、井上は顔を上げる。

 そして、わなわなと震えながら二人を指さした。


「そういうことですか! 貴方たちは、デキているのでしょう! わたくしを悪者扱いするのは、愛しい彼女を守るためだったということですね!」


 愛しい彼女。

 誰と誰が。

 千奈津と、如月が。


 如月が「千奈津ちゃん」と呼んだだけで恋人と認識した井上に対し、斉藤は「ぷっ」と噴き出してしまった。


「な、何がおかしいんですか!」


 斉藤の笑い声を素早く察知し、顔を赤く染め、眉を吊り上げる。


 下の名前で呼んだから恋人、と解釈するのは早計だ。

 斉藤は色恋に詳しくないが、それくらいのことは分かる。

 学校では男女が下の名前で呼び合うことは多々あり、「恋人でもない奴等が下の名前を呼ぶなんて、キモ」と思っていた時期があった。

 しかし、如月が千奈津をちゃん付けで呼ぶと考えを改めた。

 下心を抱いて下の名前で呼ぶ人もいるだろうが、如月のように、「仲良くなったから、苗字にさん付けすると距離があるようで嫌だな。かといって苗字を呼び捨てするのは横柄な感じがする」という理由で下の名前で呼ぶ人もいる。これは以前如月本人が言っていたことだ。

 恋心を抱いているからではない。


 そんなことも分からないのか、と斉藤は以前の自分を棚上げして笑いを抑える。


「なんなんですか! 言いたいことがあるなら、言ったらどうですか!」


 井上は斉藤に叫ぶ。


 分かっている。ここで言いたいことを言うと、千奈津や如月に迷惑をかけることになるので、言わない方がいいのだ。そんなことは分かっている。

 けれどこの口が勝手に笑い声を出してしまうし、止まらない。


「短絡的ですね」


 井上は声にならない声を上げて斉藤に掴みかかろうとするが、如月が両腕で止める。


「ご、ごめんなさい。僕、どうしても笑いが……」


 如月が困った顔をしているのは見えているし、当事者でなくなった千奈津が笑いそうになっているのも見えている。


 癖が強い。やばい奴。「千奈津ちゃん」呼びを恋人と認識してしまう奴。

 斉藤は童貞丸出しの井上に対し「久しぶりに僕より階級が下の男と話したな」と思った。


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