第32話
こんな光景初めて見た。
千奈津は壁際で棒立ちになり、食い入るように如月とその周りを囲む女子たちを視界に入れる。
変装して街を歩いていたアイドルがバレてしまった瞬間は、恐らくこんな感じなのだろう。
如月目当てで来店する客は多かったが、周りを取り囲む程ではなかった。
見慣れない制服を着た女子高生もいるので、遠くからやってきたのだろう。
しかしよく今日が如月の出勤日だと分かったものだ。これが学生のネットワークなのだろうか。
如月と話が出来て嬉しそうなのだが、一向に商品を買う気配がない。
店の中で輪になり、邪魔といえば邪魔である。
波瀬は物凄い形相で如月を囲む女子たちを睨みつけている。
かと思えば、手元に視線を移し、何やらごそこそと作業を始めた。
すると、店内で小さなBGMの役割を果たしていた洋楽が、急に大きくなり、千奈津は驚いて肩をびくつかせた。
爆音で洋楽が流れると如月は彼女たちの言っていることが聞こえなくなり、「え?」と耳を寄せる結果となった。
如月の耳元で喋る女子高生に気付いた波瀬は洋楽の音量を下げた。
悔しそうに唇を噛む波瀬に同情した。
「びっくりしたぁ、急に音量上がるんだもん」
「耳大丈夫?」
「鼓膜破れるかと思ったー」
「機械トラブルかな? 様子見てくるよ」
「駄目! 行かないで!」
きゃいきゃいと楽しそうな輪は、アイドルとファンの図である。
波瀬は大層気に食わない様子で震えている。
店内の客は一人残らず如月の近くにおり、誰一人として商品を手に取らない。
買いに来たのではなく、如月を見に来たのだ。
波瀬が言っていた「今後、如月先輩目当ての女性客がわんさか来ることになって、先輩が対応に追われるんですよ」は的中し、如月は前後左右にいる女子の対応を行っている。
本人は至って平然としており、どういう心境かは千奈津に読み取ることはできなかった。
「ほら、あたしの言った通りになったじゃないですか」
レジの前に立っていても客は会計しに来ないと確信した波瀬は、千奈津の元へ文句を言いにやって来た。
「如月先輩が出勤する度にこうして女たちが囲むんですよ。これが毎回続けば、先輩だって苦痛です」
そうかもしれない。
如月が店頭に立てばその情報が拡散され、女子中高生が如月を拝みに来店するだろう。
しかし、如月は一般人だ。地方のショップ店員だ。
この状態が長く続くだろうか。
「最近はショップ店員が人気なの、知ってますか?」
「そうなの?」
「インツタで人気のショップ店員は多いんですよ。アイドルと違って、無銭で会いに行けますからね。そんなことも知らないで先輩の写真を載せたんですか? 重森さん、やばいですよ」
非難の眼差しに耐えきれず、千奈津は視線を逸らす。
アイドルやモデルなど詳しくなく、ショップ店員なんてもっと詳しくない。
波瀬とは歳が一つしか違わないのだが、千奈津は自分が随分と年老いているように感じる。
「こうなったのは重森さんの責任ですよ。あの集団、どうにかしてください。如月先輩が困ってます」
どうすればいいのだ。
「このお兄さん、仕事が残ってるから連れていくね」と攫えばいいのか。それとも「他のお客様のご迷惑になりますのでやめてください」と蹴散らせばいいのか。または「購入する気がないお客様はお帰り下さい」と追い出せばいいのか。
波瀬は千奈津がどうするのかを見届けるようで、動く気配がない。
如月から助けを求めるような視線を送られてこないし、本人は笑顔で接客している。顔が引き攣っていることもないので、輪を割って入る必要はないと思う。
如月目当てではない、商品を買うために足を運んでいる客はいない。
この時間になると、訪れるのはほとんどが女子中高生である。そしてその女子中高生は今、如月に夢中である。
中には見慣れた顔もあるが、この騒ぎに乗じてもっと話したい、仲良くなりたいと考えているのだろう。
「如月先輩、困ってますよ」
だから早く行け。そんなニュアンスが含まれている。
「私には如月くんが困っているようには見えないし、助けてほしかったらそういう視線を送ってくるよ。送られても、私は無視しちゃうかもしれないけど。でもそんな視線はないし、遠巻きから見るといつも通りの接客してるだけに見えるから、別に助けなんて要らないと思う。それに、如月くんが困ってると思うなら自分が助ければいいじゃん。嫌われ役が嫌なのか何なのか知らないけど、私に押し付けないで!」と、波瀬に向かって言ってやりたいが、そんなことを言うともっと面倒なことになる。人間関係に波風を立てたくはない。
できる抵抗として、大きな溜息を吐き、如月に群がる女子集団に声をかける。




