第31話
本当に無理。
如月は隣で猫なで声でくっ付いている波瀬に拒否反応が出ていた。
波瀬のつけている香水が如月の鼻を突くので、何度も息を止める。
どうして今日はこんなに引っ付いてくるんだ。
助けを求めるように千奈津に視線を送るがすべて無視される。
目が合っても、にこりと笑うだけで助け船を出してくれない。
バックヤードに入っている間、二人は話していたようだった。波瀬が千奈津に何かを言ったことは容易く想像でき、それが良いものでないということも想像できる。
そしてその話に自分が絡んでいるのだ。
「先輩は、年下が好きですか? 年上が好きですか?」
照れながら如月と目を合わせない波瀬。
どうでもいい質問だ。可愛い系が好きか、美人系が好きか。二重が好きか、一重が好きか。黒髪が好きか、茶髪が好きか。死ぬ程どうでもいい。
そんなものに好き嫌いもない。
千奈津から同じ質問をされたなら「どっちでもいいけど未成年は対象外、四十以降も対象外」と言えるが、波瀬相手には言いにくい。答えたら次は「じゃあ、何歳差ならOKですか?」と訊かれるだろう。
面倒くさい。仲が良い人との会話ならさらっと答えるが、ただバイト先が同じというだけの女とそういう話をするのは面倒くさい。しかも波瀬は如月に好意を抱いている。そういう類の話は一層したくない。
少々棘を刺すことになっても仕方ないか。
「そういう質問、好きじゃないな。年齢や見た目で恋愛をするわけじゃないでしょ?」
眉を下げてやんわりと言う如月に、波瀬は目を見開いて表情に陰を落とす。
年下か年上か。そのどちらかの回答を望んでいたのだが、どちらでもなく、更には質問を否定された。
波瀬の顔から熱はすっかり引いて「そうですよね」と覇気のない声を最後に、二人は静寂に包まれた。
無意味に店内を歩いていた千奈津だが、ふとレジの方を見ると二人が葬式の最中かのような雰囲気を漂わせており、何があったのかと如月に問いたくなった。
葬式の空気に耐えられなくなったのか、如月は移動し、波瀬から死角になる場所で立ち止まった。
千奈津も足を動かし、如月の隣に立つ。
「何かあったの?」
内緒話をするように如月に近づいた。
「年下と年上どっちが好きかって訊かれて、そういう質問好きじゃないって答えた」
「意外」
「距離近いし、ちょっと限界だった」
「如月くんでもそんなこと思うんだ。慣れてるものかと」
「あの子と体がくっ付くくらい近くにいると、香水の匂いがきついんだよ」
はて。
波瀬は香水をつけていただろうか。
匂いのするハンドクリームなら付けているところを見かけたし、香りもしたが、香水は初耳だ。
波瀬と密着する距離に立ったことがないので分からない。
「香害だよ、香害。胃にダメージがある。吐きそうになるんだ」
聞こえてないよね、と如月はレジにいる波瀬を確認する。
「でも如月くん、大学で香水付けてる女の人と近距離で話してそうなイメージだけど」
「どんなイメージだよ。でも言いたいことは分かるよ。派手な女性に囲まれてそう、ってことでしょ?」
「うん」
「派手な女性の香水がきつそうっていうのは偏見で、実際はそんなにきつくないよ。そういう人も実際にいるんだろうけど、大学ではそういう人に会ったことない」
如月の通う大学は偏差値が高いと聞いた。きっとそれなりの女性が通うのだろう。
香水を振りかける量を間違えれば香害とされ、遠ざけられることを分かっている。
「何より、引っ付いてくる人はいない。近付きすぎないよう、距離感を意識してる人しかいない。あぁ、だから香水をきついと思ったことがないのかな」
波瀬が哀れに思えてきた。
如月は大学で、頭の良い美女たちに囲まれ、彼女たちはきちんと距離感を理解しているから如月に嫌われていない。
波瀬は如月を好き故に独占欲を発動し、密着し、香水の強い匂いを如月に実感させることになった。
これでは、波瀬の頭が弱いと言っているようなものだ。
「香害って言葉を教えてあげてくれない? 俺もう今日は千奈津ちゃんの横にいたい」
そんな台詞がさらっと口から出るところが、女性をその気にさせてしまうのだ。
その言葉に深い意味がないことを千奈津は知っているからいいが、「もしかして私のこと好きなのかな?」と勘違いをさせてしまう言葉である。整った顔と相まって、余計に期待してしまうのだ。
はぁ、と溜息を吐く如月に「頑張れ」と短いエールを送っていると、店内が騒がしくなってきた。
周囲には女子高生や女子中学生で溢れており、彼女たちは如月を意識している。
隣に千奈津がいるから如月に声をかけられないようだった。
彼女たちのためにも退いてあげようと思い、如月の傍から数歩離れると、一瞬で如月の周りは固められた。
最近の女子は積極的である。
千奈津はにこにこ笑いながら接客をする如月と、目をハートにして可愛く擦り寄る彼女たちを眺め、砂糖に集る蟻を思い浮かべた。




