第21話
千奈津が一日空けて出勤すると、「インツタ始めました」の文字と共に読み取りのコードが大きく入口に掲げられており、執念を感じた。
レジにはその小さなサイズの紙があり、斉藤曰く、購入袋の中に入れるとのこと。
一日出勤しなかっただけで、これほど大々的にするとは驚いた。
マネージャーに聞かされたその日のうちに、店内に貼り紙をしたのだが、それはすべて剥がされていた。代わりに、内容は同じだが千奈津が貼ったものよりもカラフルでポップなものがそこにあった。
「なんか、凄くなったね。昨日何かあったの?」
斉藤に訊ねると、無言でカウンターを指した。
指先を辿り、それを持ち上げて千奈津から見えるように反転させる。
「……何これ」
それはラミネートされた波瀬の写真だった。
商品のTシャツやアクセサリー、小物を身に付けて片手を腰に当てている波瀬の全身が映っている。
横には吹き出しで「インツタ始めました」とあり、まるで波瀬のインツタかのようだ。
一昨日は千奈津と斉藤、如月の三人だった。ピンクのトートバックと二五二五円のイヤリングを如月に紹介させようとしていたが、フォロワー零という事実に熱が引き、写真を一枚も撮らなかった。あの日は何もしていない。だから昨日、何かあったのだろう。
千奈津が持っている波瀬の写真を見ればなんとなく察することができるけれど、どういう経緯でこんな写真を撮ることになったのかとても興味がある。
千奈津から、ちらちらと好奇心を含む視線をキャッチした斉藤は溜息を吐いた後、「マジでクソでした」と歯ぎしりをし、話し始めた。
「昨日、夕方は僕と海老原と波瀬の三人だったんですよ」
斉藤の話によると、インツタを初めて二日目、斉藤を除いた二人は初めてなのでマニュアルを読むなり、インツタで他店舗の投稿を閲覧するなどしていた。
初日の貼り紙効果と、店頭にいた如月の効果のお陰か、その日はフォロワーが十五人だった。
投稿は千奈津が行った一回のみ。
千奈津の投稿と、他店舗の投稿を確認した波瀬は「こんなんじゃ売上なんて上がらない」と言い出した。
本部からのメールで、インツタの目的は売上を増やすためだと知った波瀬の心は燃え上がった。
メールの中に「容姿がいい店員の写真や動画を投稿する」という文章を見つけ、自撮りを上げることを決意した。
「ちょっと待って、どうしてそれで自撮りを上げることになるの?」
千奈津は斉藤の話を遮り、気になった点を突いた。
「決まってるじゃないですか、自分が可愛いと思ってるからですよ。容姿のいい自分が写真を投稿しないと、っていう使命感を持ったんでしょうね」
「そ、そう。遮ってごめん、続きをお願い」
「僕は面倒だったので放置してたんですよ。あの女が炎上しようが晒されようがどうでもいいので。でも海老原はあの性格なんで、そりゃ精一杯応援してました」
波瀬が何度も角度を変えて写真を撮っていると、海老原が「可愛いね! 全身は撮らないの?」と増長させるようなことを言い、結果、波瀬は顔だけの写真と全身の写真、合わせて六枚をインツタに投稿した。
一応、自撮りといっても商品は身に付けている。しかし誰が見ても主役は波瀬だ。
フォロワーが十五人なので、いいねの数は少なく、コメントも多くはない。多くないが、いくつかコメントが付いている。「商品がよく見えないよ」「商品のアップ写真はありますか?」そんなコメントだ。波瀬が喜ぶはずもない。
海老原が気を利かせて「商品の写真も撮ろっか!」と、商品だけの写真を何枚か撮っていたが、波瀬は拗ねたままで、商品の追加投稿はすべて海老原が行った。
コメントが気に入らなかった波瀬は「インツタはやりすぎると飽きられるから、今日はもう投稿しないでおこう」と海老原に終了を仄めかした。
インツタを触りたくない波瀬は、「インツタ始めたことをもっとアピールしよう」と言い出した。波瀬は海老原に全身写真を撮らせ、それをラミネートで加工してカウンターに置いた。「こうしておけば客の目にも留まるから、インツタのフォロワーも増える」と満足気に語り、海老原は「めっちゃいいじゃん!」とハイタッチしていた。
「これが昨日のことです」
「それでこのラミネートかぁ」
「インツタ始めたアピールをするためには自分の写真をカウンターに置けばいいんだ、って発想になりますか? 飛びぬけた美人なら分かりますけど、あの女ですよ? 如月さんや剛馬さんが言うのとは違うんですよ」
「さすがだね……」
「商品をよく見せろ、っていうコメントで拗ねるのも意味分からないですよ。ほら、これですよこれ」
波瀬がインツタに投稿した中から、一つを千奈津に見せる。
千奈津は斉藤から携帯を受け取ると、コメントを開く。そこには斉藤の言う通り、商品をもっとよく見せてほしいというコメントがあった。
波瀬はシルバーのネックレスを首から下げて自撮りをしているが、波瀬の顔が大きく真ん中にあり、ネックレスはギリギリ見切れていない状態だ。画面をスライドさせてその投稿に載せられているすべての写真を確認したが、波瀬の表情やポーズが変わっているだけだ。ネックレスではなく波瀬が主役になっている。
これではコメントしたくなる気持ちも理解できる。
「最後の方は商品だけの写真もありますが、それは全部後から海老原が載せたやつです」
「波瀬さんの写真だけだとさすがに、ちょっとね……」
「でも最初はその自撮りだけだったんですよ。コメント読んで不貞腐れるし、海老原が載せなかったらただの痛い女ですよ」
千奈津は一昨日斉藤が気にしていた他店舗の男をふと思い出した。
「ブスなのにこんなポーズしちゃって、恥ずかしくないんですかね?」と貶しつつ、いいねを押していた。斉藤は「今後の動向を追っていきます」と楽しそうにしていた。
波瀬の投稿にいいねを押した人たちを確認すると、その中に他店舗の名前があった。
その店舗の投稿欄は、整った顔をしている人たちの写真でいっぱいだった。ギャルのように派手な女がいれば、落ち着いた雰囲気の男もいる。
「その店舗がどうかしましたか?」
「コメントを貰った波瀬さんの投稿に、いいねを押してた」
「あー、それはあれですね、冷やかしですね。こんなブスが自撮りでポーズ決めちゃって、っていうあれですね」
「一昨日、斉藤くんが他店舗に対してやってたあれかな」
「絶対そうです。じゃないとこんな陽キャ集団がいいね押すなんてありえませんよ」
「そっかなぁ」
「……前も言いましたけど、重森さんって偽善が得意ですよね」
「斉藤くんから得意って言われたことはないよ」
「僕が遠回しに波瀬をブスって言っても、否定しないですもんね。かといって肯定するわけでもない」
本当に鋭い。やめてほしい。そんなこと言われて、どう返せばいいのだろう。
波瀬を超ド級のブスだと思っていない。しかし、美人だと思ったこともない。
あの自撮りやラミネートされた写真を見て、「勇気あるなぁ」「自信あるんだなぁ」と、その程度の感想だ。
例えば自撮りやラミネートが剛馬や如月だったらどうだろう。「フォロー増えそうだな」「売上どのくらい増えるかな」そんなことを思ったはずだ。
斉藤を否定できないのが答えだ。
「斉藤くん」
「はい」
「なんでも正直に言えばいいってもんじゃないよ」
「はい」
「白黒はっきりさせず、グレーも時には必要なの」
「はぁ」
「答えに困ったら、私はグレーに縋りつく」
「あの女がブスかどうかについて、返答に困ったってことですか?」
「だからそういうことを聞かないで。グレーも大事なの」
「グレーって言いますけど、重森さんの場合は黒が多い灰色ってことですよね」
どこまでも追ってくる斉藤に、千奈津は息を吐いた。
「斉藤くん」
「はい」
「私はね、偽善者かもしれない」
「はい」
「でもね、気持ちいい嘘を吐く偽善者よりはマシだと思ってる」
「はぁ」
「可愛くない人に、可愛いって言ったり。似合ってもないのに、似合ってるって言ったり」
「あぁ」
「そんな嘘を吐くくらいなら、グレーがいいと思わない? 嘘を吐かず、相手を傷つけることも言わず、安全圏にいることができる」
「本音が出ましたね。でもそんな重森さんが嫌いじゃないです」
以前よりは斉藤に素を出している。
信頼度が上がっている。
以前は、信用できない人に愚痴をこぼしたら吹聴される、という考えだった。千奈津の中で斉藤は信頼をおけるような間柄ではなかったのだが、たかがバイトである。
もし吹聴されるようなことがあれば、辞めたらいいだけの話である。
ここはとても働きやすく、仕事量が少ないのに時給は他と比べて高い。辞めたくないのが本音だが、辞めたら他店舗に移ればいい。
「僕、如月さんと重森さんの三人体制の時が一番好きです」
そう言われて嬉しくないはずがない。
千奈津の中で斉藤が、可愛い後輩のポジションへと移行した。




