第13話
波瀬は自分の失言に気付き、小さな声で「あ... …そうなんだ……」と気まずい表情で視線を逸らした。
如月の引き攣った顔と、一歩下がる波瀬を見た千奈津は空気の悪さをひしひしと感じて帰りたくなった。
早瀬の母は気に留めず、早瀬の隣に立って如月に現金を手渡した。
「この度は娘がご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」
「い、いえ……」
こちらこそ、うちの波瀬が失礼なことを言って申し訳ありません。
そう言いたくなるが蒸し返すのもどうかと思い、金銭を確認した。
如月には「娘が」の部分が強調されているように聞こえ、謝罪をしつつも少なからず怒りが混ざっていた。
「もうこういうことはしないようにね」
早瀬に言うと、こくりと頷いて立ち上がった。
「あの、この件は警察に連絡がいくのでしょうか?」
早瀬の母は淡々と如月に問う。
皺が刻まれているその顔に、申し訳なさはなかった。
如月の苦手なタイプだ。
「上司からは、代金を回収できなければ警察に連絡するよう言われていたので、お支払いしてもらった今、通報はしません」
「そうですか」
「ただし、今後同じことが起きればその時は通報せざるを得ないと思います」
通報しないであげたのに、懲りず再犯するのなら情けをかける必要はない。
そんな話は聞いてないな、と千奈津と波瀬は口を挟まず心の中で呟いた。
「そうでしょうね。分かりました」
母親は一度頷くと、早瀬の背中に手を当てて振り向くことなく去って行った。
窃盗の件が片付くと、三人は大きく息を吐いた。
時計の針は二十一時を示しており、閉店時間であった。
店を綺麗にすべく、各々閉店作業や掃除をしながら今日のことを話す。
「さっきの早瀬さん、怒ってたね」
千奈津がそう言うと、波瀬は「ふん」と鼻を鳴らした。
「更年期なんですよ。あの歳になると、怒りっぽくなるって言うじゃないですか」
床の塵を集めながら、波瀬は千奈津に返した。
千奈津は早瀬の母がやって来た時「早瀬と申しますが、万引きの件で……」と言われたのでバックヤードに通した。「早瀬の母です」「早瀬の祖母です」と、万引き娘との関係性を口にしなかったので、「早瀬さんが来られました」と、如月たちに言うしかなかった。
しかし、今思うと、母なのかと問えばよかった。
母であろうが祖母であろうが、代金を払ってくれるのであればどちらでもいい。誰が払うのかが重要なのではなく、払ってくれるのかくれないのか、それが重要である。故に関係性を問うことはしなかった。
その結果、早瀬の母の機嫌を損ねてしまったようだが。
「普通、あんな老人が母親だとは思わないじゃないですか。どう見たって祖母ですよ」
「まあ、微妙だったよね。母親にも見えるし祖母にも見える」
「だから母親には見えないですって。それなのに、祖母だと言われて不機嫌になって、気分悪いのはこっちですよ」
ぶつぶつと悪口を止めない波瀬は、自分が早瀬の母の機嫌を損ねてしまった自覚はあるようだ。
「母親だと思われたいならもう少し見た目に気を遣えばいいのに、不機嫌になるなんて大人としてどうなの……」
怒りが鎮まらないのか、眉を吊り上げ、掃除をする手と愚痴を言う口を動かす。
千奈津は腹が立っていない。代金は貰ったので、万引きの件はこれにて終了である。
あの母の態度も、愚痴を言う程のことではない。
謝罪はしていたし、逆切れをしていたわけでもない。
あの態度がよかったか悪かったかの二択であれば後者だが、以前来店したクレーマーな老人よりは話が通じていた。
波瀬が腹を立てているのは、自分が引き金を引いた自覚があり、その場面を如月に見られてしまったからだろう。
自分の行いが早瀬の母を不快にさせ、その母の態度で如月も不快になったかもしれない。そう思っているから、矛を早瀬に母に向けているのだ。
如月はレジ締めをやっており、二人の会話は微かに聞き取れている。
すぐにでも千奈津と話をしたかったが、波瀬がいるため二人で話をすることができない。
ちらちらと千奈津を気にしていると、千奈津と目が合った。
如月は口を横いっぱいにきゅっと結び、眉を下げている。千奈津は言いたいことを理解し、苦笑しながら「ドンマイ」と声に出さず口を動かした。
「そうだ、重森さん、マネージャーに今日のこと報告してくれません?」
「え?」
「あたしたちは片づけておくんで、よろしくお願いします」
面倒だ。
千奈津と如月は最初から面倒事を避けたく、万引きの件は見て見ぬ振りをしたかったのだが、「マネージャーに報告する」と嬉々として電話していたのは波瀬である。
万引き娘三人に声をかけようと言い出したのも、声をかけたのも、早瀬の母を怒らせたのもすべて波瀬だ。
それなのに、最後の報告だけは千奈津に任せようとする。それが気に入らない。
自ら積極的に関わっていたくせに、終わったら「あとはお願いします」と放り投げられ、気分が良いわけがない。
返事をせず、むっとしている千奈津に気付いた如月は「波瀬さん」と呼んだ。
呼ばれた波瀬は笑顔で如月の元へ寄っていく。
「マネージャーへの連絡、波瀬さんがしてくれるかな?」
「はい? えっと、それは今重森さんに任せたところですけど……」
「俺と重森さん、今回の件を報告書にまとめないといけないから」
店舗で何かあった時は報告書を作成しなければならない。
万引きは立派な犯罪であり、警察に通報しなかったことや代金を支払ってもらったこと、それについて詳しく書かなければならない。
千奈津は報告書なんて暫く書いていなかったので、存在を忘れていた。
二十二時になっても帰れないかもしれない。
残業だ。
「……分かりました」
如月に指示されて断れる波瀬ではない。
千奈津に電話をさせ、如月と二人きりになれると思っていた波瀬は落胆し、千奈津を睨みつけた後、電話を始めた。