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第12話

「そういえば、名前は何ていうの?」


 如月は一人残った女子高生に訊ねた。

 先程までいたのはサキとユズキで、名前は三人の会話から知ることができたがこの女子高生の名前は会話に出てこなかった。

 母親が来るまでの雑談に過ぎないので、如月はにこにこと笑みを浮かべながら首を傾げた。


「……だ」

「うん?」

「早瀬九子灘」

「くしなだちゃん? 珍しい名前だね、漢字はどう書くの?」

「漢数字の九に、子どもの子に、海の灘で、九子灘」


 早瀬九子灘と名乗った女子高生は俯きがちで、ぼそぼそと喋る。

 きっと言いたくなかったのだろうと、如月は察した。悪いことをしてしまったような気分だ。

 珍しい名前だが、恥ずかしがるような名前ではないと思うけれど、多感な年頃故に敏感なのか。

 如月も琉喜亜という変わった名である。今まで同じ音、同じ漢字の人に会ったことがない。

 ただ、それ程珍しいとは思っていない。花子や太郎の時代は終わり、プリンセスや王子様という名前の人を見かける世の中だ。その中に琉喜亜がいたところで、霞んでしまう。


「へえ、友達には何て呼ばれてるの?」

「……くぅ」

「くぅちゃん? 可愛いね」

「自分の名前が嫌すぎて、そう呼んでって頼んだんです。小学生の頃はいじめられたし、名前何て読むの? って聞かれるのが一番嫌だ」

「そうなんだ。どういう意味で名付けられたんだろうね」

「ヤマタノオロチって知ってますか?」

「聞いたことあるよ」


 昔話の一つ、という認識だ。八つの顔を持つ蛇を勇者がやっつけるとかなんとか、そんな話だったような気がする。うろ覚えだ。


「それに出てくるヒロインです。主人公と結婚するお姫様の名前です」

「クシナダ姫?」

「そうです。それが由来らしいんですけど、馬鹿じゃないですか? もっとマシな名前があるじゃないですか。昔ばなしなら、せめてかぐやとかが良かったです」


 すんすんと鼻を鳴らし、袖で目元を拭う早瀬に気付き、如月はぎょっとした。まるで自分が泣かせたみたいだ。

 名前を聞いたのはただ雑談をするために過ぎなかった。

 慰めようと口を開くが、言葉が見つからない。

 「俺もちょっと変わった名前で、琉喜亜っていうんだ」と言ったところで九子灘のインパクトを越えられない。「琉喜亜の方がマシ」と思われて終わりだろう。慰めにはならない。

 「でも九子灘って可愛い名前だよ」と言っても響かないだろう。世辞だと受け止められ、気を遣わせるだけだ。

 「お姫様の名前が由来だなんて素敵だね」とは言えない。本人が素敵だと思っていないから涙を流しているのだ。

 千奈津に助けを求めるべく視線を移すが、そこには波瀬がいるだけで千奈津の姿はなかった。


 波瀬は如月が眉を下げ、助けを求めるような眼差しを向けられたので、自分の番だと早瀬の前に立った。

 如月は思わず制止の声を上げそうになるが、それよりも先に波瀬が口を開いた。


「親から貰った名前なんだから、そんなことで泣いたら親が悲しむわよ」


 波瀬ェ! と声を荒げたくなるのを抑え、如月は青くなった顔で「波瀬さん、お店の方を頼んでいいかな?」と服を軽く引っ張る。

 しかし波瀬は助けを求めていた如月の表情が頭から離れず、その場に留まる。


「あっちは重森さんがいるので大丈夫です」

「いや、そうじゃなく……」

「この店のフリーターに凛々って名前の女の人がいるけど、その人は自分の名前を変だと思ってないし、泣いてないわ」


 一番駄目な回答だ。

 悩んでいる人間に向かって、他人と比較しながらお前はまだマシだと言うのは一番よくない。本人が悩んでいるのだから、他人と比較しても仕方がないのだ。考え方や捉え方は十人十色なのだから、寄り添った回答がベストである。

 それに波瀬は凛々を変な名前だと思っているようだが、如月は可愛らしい名前だと思っている。凛々という漢字も可愛らしいが、何よりも音が良い。

 一度も変だと思ったことはないし、千奈津と「凛々って名前、可愛いよね」と話したことがあるくらいだ。


 早瀬はずずっと鼻の音を立てながら「そうですね」と言う。波瀬は満足そうな笑顔で如月を見た。

 説得成功、とでも言いたそうな笑みであるが、早瀬の「そうですね」は「この人には何を言っても無駄そうだな。取り敢えず肯定したら話が早く終わるだろう」という諦めが詰まった「そうですね」である。

 涙を拭く早瀬と、満足気な波瀬。

 対照的な二人の間でどんな表情をつくればいいか分からず、ただ唇を真一文字に結んでいた。


「早瀬さんが来られました」


 三人の周りに漂っている空気を壊すように、千奈津は扉を開けて声をかけた。

 如月は少し安堵し、千奈津の後ろに立っている女性に目を向けた。

 母親というには老けている女性。祖母のように見える。

 如月は早瀬に「おばあちゃんが来たよ」と言おうとして止めた。

 女性に年齢の話がタブーであるのは常識である。

 如月は再度じっと女性を見つめる。

 明らかに皺だらけで、髪が真っ白で、どう見ても八十代以上の高齢女性ならば祖母と表現していいだろうが、この女性は六十代くらいである。

 六十代は、果たして母親か祖母か。微妙なところだ。


 例えばこの女性が母親だったとして、如月が「お母さん」と表現しても問題はないが、「おばあちゃん」と表現すると女性は嫌な思いをするだろう。

 この女性が祖母であるならば「お母さん」と言えば実年齢よりも若く見られることになり、嫌な思いはしないはずだ。「おばあちゃん」と言っても問題はない。

 よって、この女性を「お母さん」と表現すれば間違いはない。


 如月はにこりと笑みをつくり、早瀬に声をかけようとするが、波瀬の声が先だった。


「よかったですね、おばあちゃんが来てくれて」


 やっと終わる。そう思い、肩の荷が下りたのだろう。

 波瀬は胸を撫で下ろした。


 早瀬は間を空け、「母です」と小さな声で呟いた。

 その場の空気が凍った。


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