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第七話 あなたへ

 所々で灯篭がともっている。

 暗闇をその微かな明かりを頼りに進んでいくと、作業所のような建物の陰でうずくまる人影のようなものを見つけた。まさかと思って近づくと、それは夫の宗一だった。


「宗一さん!?」


 目を開け、一点を見つめながら体は震えている。両手と両膝を地面につき、下を向いている。

 何かに抗っているようだ。


「宗一さん!? ――っ!?」


 宗一の肩に触れるとそれは襲ってきた。


 グン


 もの凄い不快な重圧だ。

 しかし、文子は咄嗟に理解した。


 ――私が受ければ解放される。


 肩代わりを自らするように宗一の肩に縋り、身を寄せた。

 少しずつ、少しずつ、体が重くなっていく。


 まだだ、まだ、全部、わたしに――。


 負荷を自らの方に流し込むような感覚で肩に掴まっていた。

 やがて、全部受け取った。


「はあ、はあ」


 宗一が我に返る。


 何だ、今のは――。


 そろそろ帰ろうと思い、酔いを覚ますために少し散歩に出た。

 すると突然背後から何かが伸し掛かってきた。


 まさか、遺人か――。


 十五年前に葬ったはずだ。

 しかし、この黒い影。

 黒の遺人だ。


 解放された宗一は目の前で苦しんでいる文子を見下ろした。

 何だ、これは。

 まさか文子が肩代わりをしたのか。


「文子……」


 目の前で呻いている。

 死ぬ――。

 文子が?


 目の前で文子が苦しんでいる。

 大して好きでもない女だ。

 厄介払いができる。


 そんな打算の言葉がよぎった。

 哀れな女だ。

 いいことなど何一つなかっただろう。

 名家に生まれ、容貌に恵まれなかった。

 俺の家に来てからも辛かっただろう。


 そのとき、あの無表情な顔が思い浮かんだ。


 このまま死ぬのか。

 俺の代わりに。



 気がつくと文子の手を取っていた。


 無言で文子の顔を覗き込む。

 文子は苦しそうな顔でこちらを見返した。


 うずくまりながら、握った右手を離そうとした。

 宗一はそれを制止し、強く握り返した。


 宗一の方へ、黒い影が入り込んできた。

 宗一と文子で五分五分になった。

 五割解放され、喋れるようになった。


「……宗一様、駄目です」


 場力では宗一より文子の方が弱い。

 半分ずつでは先に文子の方が倒れる。

 それでも自分の方に引き戻そうとする。


 今わかった。

 この女は俺の為に死んでもいいと思っている。


 今わかった。

 あの無表情は悲しいからだ。あそこまで俺は突き放し、悲しませていたんだ。

 無表情になる気持ちを察した。どれほど悲しかっただろう。自害してもおかしくはなかったかもしれない。


 文子はそのまま気を失った。

 俺は立ち上がり、全身で迎え撃った。

 羅気だ――。


 もはや弥勒の末法など及ぶべくもなかった。

 黒い人影は四散した。


 宗一は零れてきた涙を拭い、倒れた文子を抱き上げた。

 胸に耳を当てると心音が聞こえた。


 腕の中にいる女は、とても美しく見えた。

 食わず嫌いのようなものだったのだ。


「ごめん、今まで酷いことをした」


 意識のない文子を、いつまでも強く抱きしめていた。



 あの後、駆けつけた冬士郎たちによって、二人は離れの客間に運ばれた。

 そこで今晩はゆっくり休めと言われた。


 布団に寝かせた文子を見守っていた。

 窓の外の遠くではまだ焚火が見える。

 程なくして文子は目を覚ました。


「はっ、宗一さん」


「……起きたか」


「だ、大丈夫、ですか……。ここは」


「大丈夫だ。冬士郎様の屋敷だ」


 文子は気がつくとはだけた着物を取り繕い、申し訳なさそうにした。


「今まで酷いことをした」


 驚いた顔で宗一を見ている。


「ごめん」


 宗一は畳に頭を擦り付けながら涙を流した。

 無視してきた。冷たい目で見てきた。人間とも女とも思えないほど冷たい目だった。

 何でそんなことをしてしまったのだろう。後悔した。


「宗一さんは、何も悪いことはしていませんよ」


 頭を擦り付ける宗一にそっと語りかける。


「婚姻を受けてくださって、私は嬉しかったです」


「う、……うっ」


 宗一はいつまでも床にうつ伏して泣いていた。


 ――ごめん。


「あああっ」


 嗚咽となって溢れた。

 文子は宗一を優しく抱き留めた。

 宗一はいつまでも文子の胸で泣いていた。


 美しい妻をめとったのだ。

 世界で一人だけだ。ここまで宗一を思ってくれるのは。

 ようやく気付くことができた。


 布団の上で二人はいつまでも抱き合っていた。

 やがて外の焚火も消え、部屋も暗くなると、自然と二人は着物を脱いだ。


 初めて素肌を重ねた。

 褐色の肌は少女のようだった。

 誰よりも美しい姿だった。二人は涙を流しながら抱き合った。

 その夜、初めて二人は結ばれた。

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