第二話 夕暮れの道
うららちゃんは十九歳だった。工学部、情報処理科の紫学院生だという。学校へ通う、朝の時間だけ僕は並んで歩いた。勇者の行動は歓迎された。汗まみれでこわばっていたぼくの姿が心配になったらしい。心配されたぼくは、大丈夫だよ、と言った。
うららちゃんは夏でも長袖を着ている。あまり見られたくないの、と言っていたが、どうやら左腕に切り傷があるらしい。リストカットの跡だ。僕は、気にしなくていい、人間の血の量に比べれば、それくらい雀の涙さ。と言ってあげた。午後は〇〇おもいっ〇りラジオを熱心に聴いていた僕は人体の構造を完璧に把握していたのだ。ありがとう、とうららちゃんは言った。
夏の日の夕暮れ。ぼくはうららちゃんと川沿いの道を並んで歩いていた。
学校が終わるまで門のところで待ち構えていたのだ。勇者がすっかり板についてきた。カワセミの鳴き声が聞こえてくる(川にいる蝉)。今日はフリルの付いた可愛らしい洋服を着ている。
「いつもこの道を通るの?」と僕が尋ねると。
「ううん違うの。今日はゆっくり帰りたいの」と彼女は言った。うららちゃんには弟がいて、爬虫類が大好きで、二人でいるとその爬虫類で迫られるのだと言った。親が帰るまで帰りたくないらしい。そんなもの串焼きにでもしてしまえばいいのにと僕は思ったが言わなかった。
しばらく歩くとうららちゃんは立ち止まり、座り込んでしまった。そしてそばにあった木の枝で土に絵を描き始めた。どうやら猫の絵みたいだ。
「猫?」と僕は尋ねた。
「虎よ」と彼女は言った。虎に爬虫類を全部食べてしまってほしいのだと言った。前に爬虫類を入れてある槽のふたが外れ、うららちゃんのベッドの上を夜中に這っていたことがあるらしい。僕はこのときほど何かを串焼きにしてやりたいと思ったことはなかった。
結局、暗くなるまでぼくらはこの川沿いの道を往復していた。うららちゃんは一人だとできないけど、「ほら、よくこの道って夫婦が散歩しているでしょう」と言った。
それ以来僕は、うららちゃんのこの時間経過コースを往復するお供をやることになった。それならどこか気の利いた飲食店にでも入って食事でもして時間をつぶせばいいようにも思えるが、うららちゃんにとってはぼくはやはり勇気をふり絞った変質者なのだろう。だから名前もゆうしゃさんと呼ばれていた。
暗くなったところで川沿いの道で分かれる。家までは送らせてもらえない。家族にでも見つかったら大変だからだろう。僕は誰もいなくなった薄暗闇の道を歩き始めた。耳を澄ますと水音と虫の鳴き声が聞こえてくる。雑木林の匂いがした。それ以外は何もない、静かな夜だった。空は曇っていた。
うららちゃんはうららちゃんであり、他に何ものでもない。でもまだうららちゃんの名前を聞いていなかったな? まあいい、うららちゃんにはうららちゃんに少しずつ寄せていってもらおう。ぼくがそう呼び続けていればうららちゃんはきっとうららちゃんに寄せていく。
こうしてうららちゃんとの物語は少しづつ深まっていくのであった。




