③
アパートに着き、外階段を昇る。
夜遅く、階段は鉄筋で出来ており響く為、出来るだけ足音を立てないよう気を配る。
「あっ、携帯」
逃げる際に警察に通報しようとしたが、電波が圏外に
なっていた事を思い出す。
家からバイト先までの道で、偶に電話をする事が有ったが電波の悪い所なんて無かった。
ポケットから携帯を取り出し、電波状況を確認する。
「・・・問題無いな」
アンテナは全て立っていた。
「でも、警察に連絡してもどう説明すれば良いんだ?」
アレの特徴を説明しても確実に悪戯電話だと思われる。
だが、もし又襲われたらどうするか。
「倒せるのか?」
少なくとも蹴りは通じていたし、左手も破損していた事から
破壊も可能では無いかと思案する。
階段も残り数段の時に階段を昇り切った所、靴が視界に入る。
考え事をしながら登っていたので人の気配に気付かなかった。
「ッ!」
目線を上げ、目を見張る。
撒けたと思っていた人形が目の前に居て、奏を見下ろしている。
逃げようとするよりも、人形の方が先に行動を起こす。
人形は奏の首を右手で掴むと左脚を軸に身体を半回転させ、通路のフェンスに叩きつける。
「くッ!」
背中の衝撃に苦悶の声が漏れる。
未だ首を掴まれており、指先の刃は食い込んで来て血が流れる。
両手で首に食い込む指を離そう抵抗する奏、人形の力も強く
硬直状態に陥っている。
背中と首の痛みに耐えながら奏は思考を巡らす。
先程とは立ち位置が変わり、人形の背後に階段がある。
階段から突き落として、その間に家に逃げ込める。
公園から逃げる際に蹴りを入れた時、人形は異様に軽く、
容易く吹き飛んだ。
体勢は悪いが十分に実行可能だと思う。
蹴り飛ばす時に食い込んでる指先により、首の傷が大きくなるかも知れないが、このまま殺されるよりはマシだと思い行動に移す。
人形に向け右脚を思い切り蹴り上げる。
ガンッ、と衝撃音が響く。
が、人形は左腕で防ぎ、微動だにしなかった。
防がれても勢いそのまま階段から落とせると思っていたが、
公園で襲われた時よりも明らかに重くなっている。
奏は更に人形の異変に気付く
欠けていた左手が生えており、ぼんやりと緑色に発光している。
人形は奏の右脚を振り払い、腹に向けて貫手を打ち込む。
避ける事も出来ず、貫手は鳩尾にめり込んだ。
「うっ・・・」
痛みに呻き声を上げる。
鳩尾は人体の急所だ、其処を殴られれば暫くの間は
痛みでまともに動けなくなるだろう。
奏の抵抗する為に全身に入れていた力が抜けていき、
其れを感じ取った人形は首に掛けていた右手を離す。
その場に膝をつき倒れ込み、嘔吐きながらも人形を
見上げる。
人形は見下ろしているだけで追撃する様子が見られない。
互いに動かないまま数秒経った時に、人形が突如として
通路のフェンスを飛び越え下に飛び降る。
疑問に思った次の瞬間、人形がさっき迄
立っていた場所から火柱が上がる。
「熱ッ!」
目の前の炎の熱に奏は顔を腕で隠しつつを背ける。
火柱は直ぐに消えたが、鉄骨の床に焦げ跡が残っている。
と、其処に金髪の少女が降り立つ。
人形は少女の攻撃を避ける為に、この場から離れたのだろう。
少女はグレーのブレザーに紺色と黒のチェックが入った
スカートで一目で制服だと分かる装いをしている。
少女は奏を一瞥し、眉間に皺を寄せ舌打ちする。
少女が舌打ちをして直ぐに大きな衝撃音が響く。
何が起こったのか気になり、腹を抑え、フェンスに
寄り掛かりながら立ち上がり、下の様子を確認し絶句する。
先程逃げた人形と思しき破片が散乱しており
人形の破片を拾い上げ、何か調べている少女がいた。
少女は金髪の少女と同じ制服に身を包んでいる。
彼女の手には人形を壊せる武器の類は無いが、破壊したのは彼女だろうと見当を付ける。
彼女達は何者なのだろうかと、疑問が浮かぶ。
人形へ向け攻撃していた事から、少女達と人形は
敵対関係だと思われるが、奏の味方とも限らない。
奏の視線に気付いたのか、少女は人形から視線を移し
見上げる。
「朱音、事後処理はお願いね」
目が合ったのは一瞬で、一言だけ言葉を告げると直ぐに人形に視線を戻した。
隣から溜め息が聞こえる。
朱音と呼ばれた金髪の少女は、奏を真っ直ぐ見ていた。
少女の頼み事、事後処理の対象が自身の事だと
奏は理解する。
「後始末って何する気だよ。てか、あんた達何なんだよ」
後退りながら朱音に問い掛けるが、質問に答る気は無く、
歩いて距離を詰めてくる。
朱音が歩く度に鉄骨が響き、足音が響く度に焦燥感に駆られる。
人形に襲われたと思ったら、今度は火を出すびっくり人間が現れ、標的にされている。
悪い夢なら早く覚めてくれと心の中で叫ぶ。
本当は走って逃げたい所だが、痛みで満足に走れない。
少女はあっという間に距離は詰め、顔の前に人差し指を向けられる。
思わず眉を顰めてしまう。
指先から何か飛び出して来るのかと警戒しての事だ。
「安心して、殺す気は無いから。でも今見た事は全部忘れて
もらうから」
不安を察したのか朱音が説明をしてくれる。
朱音の指先から淡い光が灯る。
方法は不明だが記憶を消せるらしく、奏は目を閉じ其れを受け入れる。
今更逃げれないし、こんな奇怪な記憶を消してくれるなら
寧ろ有難いとさえ思っている。
が、望み通りに事は進まなかったらしい。
目の前でパチッと焚火の様な小さく爆ぜる音がした。
「うわっ!」
朱音の驚く声を聞き、目を開け状況を確認する。
先ず記憶は消されていない。
人形の事も不思議な力を使う少女達の事も記憶に鮮明に
残ってる。
そして正面に居る朱音は先程向けていた人差し指をもう片方の手で胸元で包み込み睨んでくる。
「あんた、何かした?」
何故か怒りを露わにしている朱音。
「いや、何もしていないけど」
怒っている意味は分からないが、両手を上げ
抵抗する意志がない事を伝える奏。
「嘘吐きなさい!私が忘却魔法を失敗したって言いたいの⁉︎
そんなの有り得ないわよ‼︎」
朱音は距離を詰め奏の胸ぐらを掴み叫ぶ。
「ホントに何もしてねぇよ、単純にそっちのミスだろ」
得体は知れないが言葉が通じるだけで人形よりかは恐怖が
薄れる。
更に自身より取り乱している人間を見ると落ち着くというのは本当らしく、多少落ち着いた奏は不当に怒りをぶつけられる謂れは無いと言い返してしまう。
「こっんの・・・」
朱音の体がわなわなと震える。
どうやら反論が火に油を注いでしまったようだ。
「朱音、落ち着きなさい」
背後から朱音を窘める声が聞こえ、振り返るともう1人の少女が呆れ顔で立っていた。
「だって、こいつが・・・」
「状況が変わったの。彼から微弱だけど魔力を感じるでしょ、失敗したのは貴方のせいじゃない」
朱音が反論する前に少女が状況を説明する。
説明に幾分か落ち着いた朱音は奏を観察し始め
「ホントだ、やっぱりあんたが悪いんじゃない」
非難の声を上げる朱音に対し、奏は反応する余裕がない。
今の関心は背後の少女に注がれている。
少女が現れたのは奥の通路からで、2階に上がれる階段は
一つだけ。
その階段も奏の近くに有り、昇って来てたら足音で、
ましてや自身を通り過ぎたのに気付かないなんておかしい。
「あんた、どうやって其処に来た?」
少女に問い掛ける。
「此処に?普通に下から飛んで来たけど」
事も無げに言うが地上からは4m近く有り、道具も無しに人が飛び越えれる高さではない。
「そんな事より、どうすんのコイツのこと。颯に連絡入れた方が良くない?」
「あなた達が口論していた間にもう済ませてる。今から向かって家で説明するですって」
恐らく自身の今後の対応について2人が話し合っているのは
奏も理解している。
「連れてくの?コレを?」
顔を顰めた朱音は未だに掴んで離していない奏の胸倉を前後に揺らす。
「嫌そうな顔しない。落ち着いて説明出来る所が良いでしょ?」
諭す様に話す少女だが、朱音は納得出来ないのか不満を漏らしている。
「ちょっと良いか、俺は何処かに連れてかれるのか?てか、
今から行くの?」
黙って聞いていた奏が話に割って入る。
学校にバイト、挙句にこんな珍事件に巻き込まれ心身共に
疲弊しきっている。
説明してくれるのは有難いが、今日の所は早急に寝たい。
出来ればまた後日にして欲しいと切に願う。
「今日中に済ませたいって言ってるの」
申し訳なさそうな顔をして少女が答える。
誰かからの指示らしく彼女らも従うしかないらしい。
奏は露骨に嫌そうな顔をして抗議する。
「あんたに拒否権は無いから、行くわよ」
そんな奏の事などお構い無しの朱音。
やっと胸倉を離したかと思ったら、今度は左腕を掴み階段を
降り始める。
引っ張られる形で奏も階段を降りて行き、その後ろを少女が続く。
「離せ、自分で歩ける!」
「駄目。あんた逃げそうだし」
要求は却下され歩みを止めてくれない。
背後も取られているので逃げ出す事も不可能なのだが。