3 星夜
「まったく、ドッカンドッカン、騒がしいわね。いったい何だってのよ」
やる気の無さそうな声で幻想郷の空を飛びながら、博麗霊夢は柄の長い御幣を片手に轟音の源を探していた。基本的に神社の巫女としてやる気の無さ過ぎる少女であるが、異変には対処しなければならない。
陽はとっぷりと暮れ、空には刃のような三日月が冴えわたる光を投げかけている。
轟音の聞こえた方角には霧の湖がある。そして湖の中の島には、悪魔の住む館と言われる紅魔館が存在する。
「ついこの間、騒動を起こしたばかりだってのに、懲りていないのかしら」
万事にやる気を見せない巫女であるが、妖怪は退治するものとして認識している。この騒動も紅魔館の主が原因なら、今度こそ完膚なきまでに叩き潰そうと考えていた。
と、目指す霧の湖の上に、ド派手な花火のような光が広がった。不思議と音は聞こえてこないが、あの光が原因であるに違いない。
「よっ! 霊夢!」
「魔理沙! 何しに来たのよ……」
博麗神社から霧の湖に向かう途中で、魔法の森から霧雨魔理沙が合流した。いつものように箒にまたがり、緊張感のない笑顔を霊夢に向けている。
「何しにとはご挨拶だな。あんなトンでもない音、気になるじゃん。異変でも起きたんじゃないかと思ってな。紅魔館の吸血鬼が、またぞろ何か始めたのかな?」
「さあね。それを確かめに行くところよ」
そう言って霧の湖の方角を見ると、最初に広がった派手な光に比べて、さらに三倍は明るい光が広がった。今度は無音ではなく、時折爆音が聞こえてくる。
「おー、派手派手! レミリアかな? 【決闘】にしちゃ、規模がデカすぎだぜ。……お、おい!」
物見遊山で興味本位に光を眺めていた魔理沙を置き去りにして、霊夢は全速で紅魔館へ向かった。
冥符『紅色の冥界』
「うわわわわっ! ちょっとおっ!」
レミリアの放った弾幕にタイミング良く飛び込んでしまった霊夢は、無数の紅い光弾を避けまくった。上に、下に、錐揉みして左右に身体を振る。何発かは紅白の巫女装束に触れて焦げ付いたが、霊夢自身にダメージは無い。
いつ終わるともなく続いた攻撃を躱し切った霊夢は、レミリアの正面に舞い降りた。
「あらいらっしゃい。いつもは私が神社にお邪魔するばっかりだしね。お客人としてなら歓迎するわ」
「言葉通りには受け取れないわね。いったい何をやっているのよ?」
「タダのゴミ掃除よ」
「ゴミ?」
「そう、アレよ」
レミリアが指さす先に、淡い虹色を纏った漆黒の球体が震えていた。シャボン玉のように絶え間なく揺れる虹色が、球体の表面から消えたり、再び浮かび上がったりしている。
「なんなのよ。アレ」
「さあ? 目障りだから、燃やし尽くしてしまおうと思ったのよ。でも、思ったより頑丈ね」
さきほどレミリアが撃ち出した破壊的な光は、吸血鬼の持つ強大な魔力の一端である。小さな光弾一つとっても、人ひとりを燃やし尽くすのに十分なエネルギーを蓄えている。それがいくつも展開された魔法陣から撃ち出され、無数の光弾となって黒い球体に吸い込まれたのだ。
だが、黒い球体は薄暗い虹色の光を纏っただけで、消し飛んだり崩壊したりといった破壊の兆候が見られない。吸血鬼の力で破壊できないものなど、この世にそれほど多くは無いというのに。
「なんなのか分からないまま壊そうとしたの? 相変わらずワガママな思考様式ね」
「それより、アレから目を離さない方が良いわよ」
「え?」
レミリアに言われて黒い球体に霊夢が振り返った瞬間、光が爆発したかのように見えた。速さはそれほどではない。だが、圧倒的な密度を備えた光弾の壁だ。それは、黒い球体が、金と銀と紅に光る球体になったかのようであった。
実際は、レミリアの放った『紅色の冥界』が黒い球体に吸い込まれ、三倍の密度で撃ち返されたに過ぎない。だが、元の攻撃自体がただならない密度を持った弾幕だったのだ。それが三倍の量ともなれば弾幕どころの騒ぎではない、可避不能の面攻撃となったのである。
まさしく狂気=ルナティックな弾幕である。
「くっ……」
夢符『封魔陣』
堪らず、霊夢は自身のスペルカードを使用した。霊夢を中心に赤い陣と青い陣が縦横に広がり、周囲にあった破壊的な光弾を全て消し去ってしまう。
「あっぶないわねー」
「ありがと。弾く手間が省けたわ」
「アンタの為にやった事じゃないわよ。それにしても……、なるほど自分の攻撃を含めて、金と銀を合わせた三倍の攻撃が返ってくるというワケね」
「その通りね。そして、何も無いところから何かを生み出すなんて、ありえない。いつか終わりが来るはず」
「……根拠は?」
「勘よ」
「ちょ……っ! それでアレが爆発でもして、結界が壊れたらどうするつもりなのよ!」
「知った事じゃないわ!」
紅符『スカーレットシュート』
「止めなさいって言ってるのよ!」
「うっわー。派手にやってるなー」
霊夢と同様に異変を調べに来た魔理沙であったが、先に飛んでいった紅白の巫女が、紅魔館の主とドンパチを始めたのを見て呆れた声を上げた。
パッと見で、レミリアが攻撃側で霊夢が防御側。そして霊夢は、なにやら黒い球体を守っている様に見える。あれが、今回の異変の原因であろうか。
「……お?」
騒動の中心から目を逸らすと、紅魔館のテラスで破壊的な少女たちを見つめる二つの人影がいる事に気が付いた。箒をひらめかせ、魔理沙は紅魔館のテラスへと舞い降りる。
「招いた覚えはありませんが」
館のメイド長である咲夜は、冷え冷えとした声で招かれざる客に声をかけた。殺気も露に、いつでもナイフを投げられる自然体となる。
「いつもはそっちの方が招かれなくても神社に来るってのに?」
剣呑な視線を返された魔理沙は慌てて手を振った。実際、その物言いは理不尽であったろう。何しろ、神社に来るのはレミリアであって、咲夜はそのお供に過ぎないからである。
「……おーっとと。今日はお前らとやりあう気はないよ。あっちの方が派手で面白そうだからな。で? ありゃ、いったいなんなんだい?」
腹の探り合いなど、魔理沙は考えもしない。思った事を知っていそうな人物に、直球で尋ねた。
「あの黒い球体は多分、何かの魔法装置ね。属性、すなわち妖精由来の力ではない」
答えたのは、友人の事を心配しているパチュリーであった。紅魔館の頭脳とも呼ばれる彼女は、百年を生きる魔法使いであるだけに、知識が豊富である。図書館にいる彼女に問いかければ、答えを得られない事など無いと言われている。
「やっぱり、外の力か?」
「おそらく。あの黒い球体を攻撃すると、金と銀と元の力を合わせて、三倍の攻撃が返ってくるのね」
「なるほどね。【弾幕ごっこ】に慣れてても、あの物量はさすがにキツイなー」
「常に金と銀で複製するなんて、いったいどこからそんな力を得ているのかしら?」
「さてね。どこかで聞いた事が有るような気がするんだが……」
魔理沙もパチュリーも魔道を嗜む者たちである。それがどのようなものであれ、魔法に関するものであれば興味を抱く。黒い球体についてパチュリーからもっと情報を聞き出そうとした魔理沙は、霊夢たちがスペルカードを放ちまくっている戦場の、遥か上空に光る翼が飛んでいる事に気が付いた。
「……んん? あいつは……」
「アッハハハハハハッ! アーッハハハハハハハハッ!」
戦いの狂喜に彩られたレミリアから、絶え間ない哄笑が溢れ出していた。そして、溢れているのは笑い声だけではない。少女の展開した魔法陣からは、次々と光弾が撃ち出されてくる。
無数の光弾を時には弾き返し、時にはレミリア本体を攻撃しながら、霊夢は必死になって避け続けた。
【紅霧異変】で一度は叩きのめしたものの、彼女の弾幕が厄介極まりないものである事に変わりはない。しかも、今回は謎の黒い球体に攻撃を届かせないよう、牽制しながらでないといけないのだ。だが、圧倒的な物量を誇るレミリアの弾幕は、次々と黒い球体に吸い込まれていく。そして、吸い込まれた攻撃は、三倍の物量となって霊夢の背後から襲い掛かってくるのだ。球体の反撃自体はレミリアに向かっているものの、レミリアから球体への攻撃を逸らすため、位置関係はどうしても球体を背負う事になる。守るべき存在から、常に三倍のフレンドリーファイアを喰らうという、理不尽極まりない状況だ。
前後左右上下から襲い掛かる無数の光弾に囲まれながら、効果的な手を打てずに霊夢はひたすら避け続けた。
やがて、避けるだけというのも面倒くさくなり、全部まとめて吹き飛ばしてやろうかと霊夢が思った瞬間。
変化は、唐突に訪れた。
神働術『雷霆』
遥か上空から若い男の声が聞こえたかと思うと、光弾の全てを打ち消すような激しい雷の雨が霊夢とレミリアに降り注いだ。霊夢が最初に聞いた超音速の轟音を遥かに上回る凄まじい雷鳴を響かせながら、天空から雷光が文字通り雨霰と二人に降り注ぐ。
だが、不意の襲撃であったものの、【弾幕ごっこ】に慣れた博麗神社の巫女は全て躱し、そして頑丈極まりない身体を持つ吸血鬼は、その身に雷撃を何発喰らっても平然としていた。
「何者かしら? 楽しく遊んでいたのに無粋な……」
「やんちゃなお嬢さん方だ。大事な【泉】が壊されるところだったよ」
その男は、光る翼に乗っている様に見えた。男の両足から月光を固めたような、さやけき光を放つ翼が生えているのだ。良く見れば、その光る翼は男のサンダルから広がっていた。そして天空を滑るように、優雅な仕草で黒い球体の上に舞い降りる。
男はペタソスと呼ばれる旅行帽のつばを跳ね上げ、恐るべき力を持った少女たちを傲岸不遜な眼差しで見下ろした。
「【泉】? それの持ち主はあなたなのかしら?」
「その通りだよ。旅の途中で、いつの間にか変なところに迷い込んだあげく、大切な【泉】を無くしてしまったんだ。まあ、【泉】は見つかったら良かったものの、壊されようとしていた。さて、僕はどうしたらいいんだろうね?」
「なによ、そんなに大切なものなら、無くす方が悪いんじゃないの」
「その通りね。私の館の前に、そのように無粋な塊を放置するなんて、そちらの方が罪だわ」
「なるほど、反省の色は無しか。ならば、罰を与えないといけないね」
男は杖を空に掲げた。その杖は先端に鳥の翼が広がり、柄には二匹の蛇がとぐろを描いて巻き付いている。見る者が見れば、それは神々の伝令士である事を示すものだと分かるはずだ。
男は、技を振るう前の気負いなどまるで感じさせない静かな声で呟いた。
占星術『指し示す光』
そして起こった現象は、異変に慣れた霊夢からみても、有り得ないものとして瞳に映った。
北天のポラリス、すなわち北極星を中心に星々が回り始め、長大な螺旋を描いて一点に収束し始めたのだ。時間も季節も関係なく、夜空に輝く星々が天の北極に集中していく。
動かない星としてポールスターとも呼ばれる北極星は、船乗りや旅人の目印として使われてきた歴史がある。だが、その輝きは二等星で、夜空で最も明るいマイナス一・四六等星のシリウスや、ゼロ等星のベガには及ばない。
その、動かないという事だけが特徴で、二等の輝きしか持たなかった天の中星が、周囲の星の光を次々と飲み込んで明るくなっていく。
「何よ……あれ……」
男がやっている事の意味に気付いて、霊夢は戦慄した。
男は、「結界の外」から力を呼び込んでいるのだ。博麗神社に仕える巫女でもない限り、結界を自由に行き来する事は出来ない。それは、どれほど力あのる妖怪であっても同じである。
だが、男の持つ力か、それとも杖の力なのか、男は飄々した表情で星の光を操っている。
やがて星々の光を束ねられた北極星は、月よりも明るく激しく輝いた。
ちなみに月の等級はおよそマイナス十二・七、太陽はおよそマイナス二十七である。
見た目の大きさは変わらないのに、月の光を超えて強く輝く北極星は、レイリー散乱によって夜空を蒼く明るく染め上げていく。
占星術『迷い子に標を』
そして、直視できないほどの強烈な輝きは、一条の光となって霊夢とレミリアに降り注いだ。
「くっ!」
光の速さで飛来するものを避けるのは、事実上不可能である。最適解は、動き続けること。そして、「運が良ければ」当たらない。
幸いな事に、ポラリスの光は地上で収束しきるまでに時間がかかるようである。霊夢は、湖に漂う霧にあてられて、破滅の射線がクッキリと浮かび上がるのを見た。普段から弾幕を避け慣れているからであろう、その射線を目にした瞬間、光が危険な力を持つ前に、霊夢はギリギリで身を躱す事が出来た。もっとも、可能であるという事は、それが簡単であるという事を意味しない。避けられると言っても、その時間はほんの僅かである。
少女の避ける様をあざ笑うかのように、北天に束ねられた星の光は、何度も何度も霊夢に降り注いだ。
さて、星の光とは何か。それはすなわち、遥か遠くにある「太陽の光」である。
天空に数多ある星の光や、太陽の反射光である月の光でレミリアがダメージを受ける事は無い。昼間に日傘で出歩いたり、太陽の沈みゆく黄昏を優雅に眺めて楽しんだりする程度には、それらの光がレミリアを害する事など出来ないのである。
だが、それらの力が束ねられたらどうなるのか。結果は分からない。何故なら、レミリアに当たっていないからである。
霊夢は言うに及ばず、レミリアも弾幕を放ちながら必死になって避け始めた。それはすなわち、星の光が危険という証なのであろう。
「ほほう、中々すばしっこいお嬢さん方だ。なら、これはどうかな?」
占星術『星降る夜』
男が再び杖を天空に掲げると、星々が幻想郷に降り始めた。
幻想郷の星空は美しい。外の世界にあるような人間の大都市など存在しないため、星々は本来の輝きをもって天空に数多光り輝いている。
それらが、降ってきた。北極星に束ねられた星々がいつの間にか元の星座に戻り、今度はそのまま降り注いできたのだ。八千穂に輝く、無数の星が。
「くっ……、なんてデタラメな力よっ!」
「……面白くないわね」
男はいったい何者なのか、博麗神社の巫女と年経た吸血鬼を同時に相手取って圧倒している。
さっきまでスペルカードの応酬を繰り広げていた二人は、全力で星を避けながら一瞬だけ視線を交わすと、同時に男と黒い球体へ向き直った。
霊符『夢想封印』
紅符『スカーレットマイスタ』