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2 黄昏

「……あれは何?」

「なにが、レミィ?」


 霧の湖を望む紅魔館のテラスで、館の図書館の住人であるパチュリー・ノーレッジと黄昏時のお茶を楽しんでいたレミリア・スカーレットは、空を見上げて呟いた。パチュリーが紅魔館の主の視線を追うと、西の空に浮かぶ黒い球体が目に入った。力を無くした太陽の、弱々しい光の残滓で茜色に染まる夕空に、周囲とは相容れない違和感を持った球体が浮かんでいる。


 吸血鬼にとって陽の落ちるこの時間は、人間にとっての黎明から曙光にあたる。一日の始まりとなる清々しい一時のはずなのに、視界に入る黒い塊はレミリアの目に無粋なモノとして異質な存在感を放っていた。

 直径は十メートルほどに見えるが、材質は良く分からない。ほぼ漆黒の球体で、月の光や周囲の光をまるで反射しておらず、何やらぼんやりと滲んでいる様にも見える。厚みも感じさせない為、ともすれば空間にいきなり黒い穴が開いている様にも見えるのだ。


「目障りね……」


 紅魔館ともども幻想郷に来て日が浅いレミリアである。妖怪変化にとっての理想郷であるこの地での振る舞いには、正直まだ慣れていない。だが、自分にとっての理想郷にしようとして紅い霧を振りまいた事から分かるように、彼女は本来ワガママだ。気に入らないモノを排除するのに躊躇いは無かった。


 とはいえ、上に立つものとして、自ら軽々しく動くのも優雅ではない。テラスから門番の紅美鈴に排除を命じようとして、……だがレミリアは固まってしまった。

 門番がいないのだ。


「これはどういう事かしら? 門番が門の前にいないなんて……」

「あー、申し訳ございません、お嬢様。恐らく庭園でフラン様のお相手をしているものかと……」


 【紅霧異変】以降、引きこもっていた妹のフランドールがたびたび表に出るようになり、大抵は美鈴と一緒に館の敷地内をウロウロしている事をレミリアは思い出した。


「はあっ……、仕方ないわね。咲夜、お願い」

「かしこまりました、お嬢様」


 メイド服の各所に仕込まれたナイフを確かめ、十六夜咲夜は無造作にテラスから飛び降りた。そして何台もの馬車が来ても捌ける広い車寄せを駆け抜け、門番の居ない門を開く事なく軽く飛び越えると、紅魔館のある島の端、湖の畔へと走り抜けた。


 その黒い球体は、霧の湖の上にふよんと浮かんでいた。咲夜の居る島の端からからみて、軽く見上げる様な高さだ。

 近くまで来ても、その黒い球体は得体が知れなかった。館からかなり近付いたはずなのに、その存在がハッキリと見えないのだ。空間の中でボヤけているように見える。


 咲夜は試しに、ナイフを一本、撃ち込んでみた。まっすぐに飛んでいったナイフは、何の反応も示さず漆黒の中に消えてしまう。まるで、闇夜の谷底に放り出したかのようである。


 まったく手応えを感じなかった咲夜は、もう一本ナイフを取り出して構えた。

 その瞬間、黒い球体から二条の光が飛来した。さっき撃ち込んだ咲夜のナイフに勝るとも劣らぬ勢いで飛来した光を、咲夜は手に持ったナイフで冷静に弾き返す。金属質の澄んだ音色を二度響かせて、クルクルと二つの光が咲夜の足元に落ちてきた。


 それは、金のナイフと銀のナイフであった。意匠は咲夜が使っているナイフとよく似ていた。特に銀のナイフは、咲夜自身のナイフが元々銀製であるため、瓜二つである。違いは、鍔や柄の部分まで全て銀製なところか。


 と、咲夜が足元に落ちた金と銀のナイフに気を取られたのを見計らったように、もう一条の光が咲夜めがけて放たれた。普段ならありえないであろうが、金と銀という希少金属に意識を奪われていた咲夜の反応が一瞬遅れた。ナイフを持った手を振り上げようとしたが、間に合わない。


 もしもこの瞬間、そばで見ている者がいれば、咲夜のスタイルの良い身体にナイフが無慈悲に突き刺さる光景を幻視したであろう。

 だが、ナイフは何物にも当たる事なく地面に突き刺さった。

 咲夜は一瞬前に自分がいた位置に突き立つナイフを見ながら、油断なく黒い球体も視界に収めている。


 時間停止。

 咲夜の持つ能力である。

 鋭い速さで飛来したナイフに対し、迎撃も回避も不可能と判断した瞬間、咲夜は自分以外の時間を止め、悠然とナイフの射線から逃れたのだ。

 その能力は、第三者から見れば、テレポートのようにも見える。時間を操る程度の能力を持つと言われているが、同時に空間も操ると言われる所以である。


 地面に突き刺さったナイフを拾い上げた咲夜は、同じように金と銀のナイフも拾い上げた。


「全く同じ……。どういうコト?」


 再び黒い球体に正対した咲夜は、軽く腰を落としてフリル過剰なメイド服のスカートを跳ね上げた。魅力的な太腿が露になり、そこに仕込まれた何本ものナイフも姿を現す。

 と、咲夜の姿が消えた。そして同時に現れた無数のナイフが、黒い球体に向かって飛んでいく。その数、百七本。予備の一本を残し、身に着けた全てのナイフを同時に撃ち込んだのだ。時間停止を駆使した咲夜の持つ最大火力の攻撃は、人間であれば釘バット状態になるであろうし、そこら辺の妖怪であってもダメージを免れない。


 だが、黒い球体は何の反応も示さず、全てのナイフを飲み込んでしまった。


 そのまま黒い球体を注視していた咲夜であったが、待つこと数秒、予想通り金のナイフと銀のナイフが無数に吐き出されてきた。来ると分かっていれば避けるのは容易い。主とともに幻想郷に来て日は浅いが、この郷の【決闘】のルールは知っている。スペルカードという形で無数の弾幕を叩き込み合う【決闘】を、咲夜はすでに何度か経験しているのだ。


 百七本の金のナイフと、百七本の銀のナイフ。そして時間差で投じられてくる咲夜自身のナイフ。

 時間を操る力も駆使して、咲夜は全てを避けきった。咲夜の足元には無数のナイフが突き立っている。

 舞う様なその避け方は、見るものが見れば感嘆の溜息を洩らしたであろう。


「中々めんどくさそうなモノね」

「お嬢様!」


 咲夜の舞に誘われたわけでないであろうが、いつの間にかレミリアが黒い球体に相対する咲夜の背後に立っていた。翼を仕舞うところを見ると、普通に飛んできたようである。

 紅魔館の主の背後を見れば、パチュリーも物見遊山といった表情で、レミリアと一緒に黒い球体を見上げている。けほけほと軽くせき込んでいるところ見ると、こちらは小走りで来たのだろう。喘息持ちなのにご苦労な事である。


「何なのかしらね。けほっ。どこかで……見た事があるような気もするんだけど……」


 いつものように魔導書を片手に現れたパチュリーは、レミリアの背後から、けほけほとせき込みつつ黒い球体を睨みつける。魔法使いの彼女が得意とするのは、主に属性魔法である。だが、得意なもの以外の知識が乏しいわけではない。紅魔館の頭脳、大図書館の主の異名は伊達ではない。パチュリーは、あれが属性魔法ではないものの、何かしらの魔術的な存在であると感じていた。

 もっとも、図書館を漁れば正解に辿り着く事も出来るかもしれないが、残念ながらここは紅魔館の外である。理解しがたい存在があるのに、即座に本を読んで調べる事が出来ない状況にパチュリーは歯噛みした。


「下がりなさい。咲夜の舞をずっと見ているのもいいけれど、貴方のナイフでは埒が空かないようね」

「申し訳ございません。お手間をおかけします」


 咲夜がレミリアの背後に下がると、紅魔館の主はおもむろに足元の石を拾い上げた。石のサイズは温泉饅頭くらいで、彼女の小さな手にすっぽりと収まるくらいである。

 それを無造作に振りかぶったレミリアを見た瞬間、咲夜は主の意図を理解した。そして血の気が引いた咲夜は時間を止め、隣に立っていたパチュリーを連れて紅魔館の敷地内へと退避した。敷地内であれば、どれほどひどい破壊が行われようとも、結界で凌ぐ事が出来る。

 そして時間を再び動かした咲夜の視線の先で、島の端に立つレミリアが爆発したかのように見えた。


 吸血鬼の特徴的な能力はいくつもあるが、その内の一つに、圧倒的な身体的能力というものがある。一言で言えば力がとても強いのである。少女のような見た目の細腕なのに、一体どこから強大な力が生み出されるのか。彼女の腕には、樹齢数百年を超える大木であろうと、易々とへし折れる程度の力があるのだ。


 レミリアはその力を、投げる事のみに使用した。少女のような見た目であるため動作は可愛らしいのだが、大きく振りかぶり、石を投げる為に腕を振り下ろした瞬間、レミリアの腕の先が音速を超えた。石を握りしめたレミリアの手を中心に衝撃波が発生し、湖の水が天空に向かう大瀑布となって弾け飛ぶ。そして、一瞬遅れて水しぶきの膜を弾き飛ばしながら、超音速の石が黒い球体へと撃ち出された。霧の湖の周辺一帯にソニックブームの轟音をまき散らしつつ、ただの石が音よりも速く黒い球体に直撃した。


 だが、破壊的な超音速のベールをまとった石は、咲夜のナイフと同じように手応え無く黒い球体に吸い込まれていった。得体のしれない物体は、何事も無かったかのように浮かび続けている。


「ちっ。一体何で出来ているのかしら? どうやら簡単には壊れてくれそうにないわね」


 レミリアが黒い球体に対する警戒レベルを上げようとした瞬間、彼女は両手を前に突き出した。一瞬遅れて、先程と同じ轟音が響き渡り、レミリアを中心に再び逆立った瀑布が彼女の姿を覆い隠した。

 そして、湖畔を流れる涼し気な風がもうもうと上がる水煙を吹き払ったとき、レミリアの左腕は肩口から吹き飛んでいた。


「お嬢様っ!」

「レミィッ!」


 紅魔館の結界内からレミリアを見ていた二人は、信じられないものを目にした。レミリアが傷つくなど、ここ最近では博麗神社の巫女と戦った時と、妹のフランドールとの姉妹ゲンカの時くらいだからである。

 ふらりとよろめいたレミリアの残った右手には、黄金の塊が握られていた。おかしな事に、それはさっきレミリアが投じた路傍の石と瓜二つの形をしていた。

 レミリアは、左腕のあった場所を無表情で眺めやる。

 少女の左腕を吹き飛ばしたモノ、それはおそらく、白銀の塊であったのであろう。すなわち、音速を超えた銀の弾丸として年経た吸血鬼に傷を与えたのだ。


「ふ……ふふふ……、面白いわねっ!」


 貴金属である黄金の塊など、そこらの石ころと同じだという風に放り出し、左腕を瞬時に再生したレミリアは、背中に生えた蝙蝠様の翼を展開して飛び上がった。一瞬遅れて、レミリアが立っていた位置に最初の石が超音速で撃ち返される。


 空に上がり、黒い球体を見下ろしたレミリアの表情は、狂気の愉悦に震えていた。

 幻想郷。それは、妖怪変化にとっての理想郷。だが、【弾幕ごっこ】とも言われる【決闘】のルールは、レミリアにとって少々退屈なモノであった。かつてレミリア以前にこの地を訪れた吸血鬼は、幻想郷を支配しようとしたと言われている。レミリアも同じように、紅い霧で幻想郷を覆い隠す事で、自分にとって都合の良い環境を創り出そうとした。

 だが、【紅霧異変】と呼ばれた騒動で博麗神社の巫女に叩きのめされてから、レミリアは大人しく?この地のルールに従って過ごしている。【決闘】にしても、人間の里に出た咲夜が、ときおり通りすがりの妖怪に吹っかけられる程度である。


 とにかく、レミリアは退屈していたのである。

 そこへ、この得体の知れない黒い球体である。レミリアが全力を振るっても壊れない程度の存在。退屈しのぎには丁度いい。

 そして何より、目障りである。

 レミリアは、自らの力を解放した。


   天罰『スターオブダビデ』


 レミリアの背後に展開された魔法陣が、真昼の太陽のごとく輝いた。そして、幾何学的な光線が空を覆いつくし、無数の光弾が発生する。それらは数学的な美しさを伴った軌道を描きながら、次々と黒い球体に吸い込まれていった。

 と、黒い球体に、これまでとは違う変化が現れた。ぼんやりと滲んだかと思うと、淡い虹色の模様が浮かび上がったのだ。その姿はまるで、墨で作られたシャボン玉のようである。


「少しは堪えたのかしら?」


 だが、変化はそこまでで、球体は再び漆黒の塊となった。そして金と銀の光、さらに元の『スターオブダビデ』の光がレミリアに向かって撃ち戻されてきた。


「レミィッ! 銀の攻撃に気を付けてっ!」


 紅魔館の結界内から、パチュリーが友人へ心配する声をかける。

 先程レミリアの左腕を吹き飛ばしたのは白銀の塊、すなわち、吸血鬼の弱点である銀の弾丸と同質のものに違いない。それを見抜いたパチュリーが、悲鳴のようなアドバイスを叫んだのも当然であろう。弾丸ではないものの、レミリアに向かって撃ち返されている白銀の光弾は、吸血鬼にとって致命的な攻撃になるかもしれないのだ。

「分かっているわよ!」


   冥符『紅色の冥界』




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