1 放浪
「あーん、もう、こーんな森の中で落とすなんて、ツイてないんだぜ」
魔法の森の中で這いずり回りながら、霧雨魔理沙は誰ともなくボヤいた。
鬱蒼と茂る幻想郷の森の中、魔理沙はもう半時も中腰で小さな石を探している。
「ルーン文字の刻まれた石とか、こんな森の中で放っておいたら何が起こるか分かんないしなー。化け物茸が怪しく変異したりなんかしちゃったりしたら……、まあ、それはそれで興味深いけど」
上を見上げれば樹々の枝が茂り、太陽は木漏れ日の向こう側にちらちらと見えるだけ。下を見下ろせば膝まで育っている雑草に覆われ、獣道すら見当たらない。おまけに陽の光が届かない事で地面の辺りはジメジメとしており、茸などの生育にはうってつけの環境だ。ましてや、ここは幻想郷の森の中である。生えている茸もただの茸ではなく、幻覚作用のある茸であったり、化け物茸が胞子を撒き散らしたりと、まともな人間がうろつける場所ではない。
そんな場所であっても、茸の持つ力で魔力が上がるとあれば、魔法使いにとってはメリットのある場所だ。魔理沙が魔法の森の入り口に店を構えている理由の一つである。
とはいえ、歩き慣れた場所であっても探し物が容易いわけではない。
そもそも、箒に乗って移動中にルーン石を弄んでいたのがいけなかった。ツルリとした表面の石は指の間から滑り落ち、緑に覆われた森へと落ちてしまったのだ。
自分の迂闊さにほんのりと後悔しつつ、魔理沙は一心不乱にルーン石を探し続けた。
と、森の中で、自分とは違う存在が草を踏みしだく音が聞こえてきた。動きを止め、じっとしていれば、草をかき分ける音も聞こえてくる。
「妖怪か?」
森のこのあたりは霧雨魔法店から近く、厄介な妖怪が徘徊している事は少ない。この魔法の森は、妖怪にとっても過ごし易い環境ではないのだ。
だが、ごくまれに、戯れに【決闘】を求めて店に来る妖怪もいる。探し物をしている今、人間の客ならまだしも、勝っても幻想郷を守る大結界強化の足しにしかならない【決闘】などするつもりはない。身を低くしてやり過ごそうとして、魔理沙は動きも息も止めた。
しばらくの間、付近の森の中を、何物かが動く気配だけが魔理沙の周りに感じられる。
と、なにやら決闘を求める妖怪とは思えない、弱々しいボヤきが聞こえてきた。
「あー、もう、こーんな山ん中で無くすなんて、ツイてないぜ」
「は?」
さっきの自分と、まったく同じボヤきを耳にした魔理沙は、思わず立ち上がって声の主を見た。
「うわおっとぉ! 誰だ、お前っ!」
鬱蒼とした森の中でいきなり声を掛けられれば、誰だって驚くだろう。旅姿の男は、魔理沙に誰何の声を投げ返した。
「誰だというお前こそ誰だっ!」
「誰だというお前こそ誰だというお前こそ誰だっ!」
「……よせよ、兄ちゃん。そーいうのはキライじゃないないけどな」
「おっと、悪いな、黒いお嬢ちゃん。俺は旅のモンなんだが、ちょいと無くし物しちまってな。そいつを探してるところなんだ」
旅人だと自称する男を、魔理沙は上から下まで無遠慮に眺めやった。
ウェーブのかかった栗色の髪、彫りの深い顔立ち、瞳の色は鮮やかなターコイズブルー。つまり、日本人あるいは日本産まれの妖怪ではない。歳のほどは二十代で、青年と言っていい年かさだ。片手に装飾過剰な杖を持ち、小さな羽飾りのついたサンダルを履いている。
特徴的なのは男の被っている帽子だ。それはペタソスと呼ばれるつば広の旅行帽で、頭の周りを組紐がくるりと二周しており、側頭部に鳥の羽が付いている。
また、男が持っている杖の方も、中々異彩を放っていた。柄の部分に翼を広げた鳥の羽、そして棒全体を二匹の蛇がとぐろを描いて巻き付いている。簡素な旅装という全体のイメージとは裏腹に、杖の方は精緻で高価な印象を放っていた。
「こーんな森の中で無くした? 運の悪い兄ちゃんだな」
「まったくだ」
「ところで何を無くしたんだ? 私も探し物の最中だからな。なんなら一緒に探してもいいんだぜ」
「そいつは助かる。無くしたのはいくつかあるんだが……、とりあえずは自分かな」
「……は? 自分? 自分探し? ……冗談は顔だけにしとけよ、兄ちゃん」
「ところが冗談じゃないんだな。俺はここがどこなのか、さっぱり分からん」
「ああ、そういう意味か。まあ、ここに居る以上、兄ちゃんは人間じゃないんだろうな」
「……さて?」
とぼけた返答だが、幻想郷を守る【博麗大結界】がある以上、人間でないのはほぼ確実だ。おそらく、外界での存在が希薄になってしまい、結界に呼び込まれてしまったのだろう。どこぞの外国にルーツを持つ妖怪だろうか。
外国の妖怪と言えば、つい先日、紅い館の吸血鬼たちと一戦を交えたばかりである。幻想郷自体は日本のどこかにあるものの、日本以外の妖怪・怪異も意外と多く住んでいるのだ。
「他には?」
「こーんなサイズの、虹色をした玉っころだ」
そう言いながら、男は両手で人の頭くらいのサイズを示した。外界の人間が見れば、サッカーボールくらいというだろうか。
「そんなデカいモンを無くしたのか?」
「いつの間にか無くなってたんでね、どーにも途方にくれてんのよ。ところで、黒いお嬢ちゃんの探し物は?」
「私のは掌で軽く握れるくらいの石っころだぜ。碁石よりは大きいかな。碁石は分かるかい?」
「白と黒の石を使った、東洋の陣取りゲームだろ」
「自分で言っておいてなんだけど、良く知ってるな」
「こー見えて、結構長く生きてるんでな」
「あと、石には文字が一文字刻まれてる」
言いながら、魔理沙は空中に人差し指で文字を描き出した。正三角形を横にして縦棒を真下に伸ばしたような字で、角ばった「P」のような文字と言えば伝わるだろうか。
「ルーンのウィンか。縁起の良い文字だな」
「ホントに良く知ってるな」
「もしかしてなんだが……」
そう言って、思わせぶりにポケットをまさぐり始めた男は、何かを掴むと魔理沙に向かって掌を広げた。
「これかい?」
「そいつは……!」
開いた手の上に乗っていたのは、たった一つの違いを除いて、魔理沙が探していたルーン石とそっくりであった。
「ああ、いや、よく似てるけど、違うな。私のルーン石はこれじゃない」
男が取り出したのは確かにルーン文字が刻まれているが、ただの石ではなく、小さな金の塊であった。ピンポン玉くらいの大きさと言い、ルーン文字と言い、魔理沙が探している石とそっくりなのだが、魔理沙の石は金ではない。
「それじゃあ、こっちかな?」
続けて、男は反対側の手を開き、同じような銀色の塊を魔理沙に見せた。それにも同じルーンが刻まれていたが、やはり材質が違う。
「これも違うな。そいつらは随分と高そうだけど、私のはタダの石だよ」
「そうか。なら、正直者にはご褒美を上げないとな」
金と銀の塊を片手に持った男は、ピンポン玉を扱う手品師のように、二つの高価な金属の塊を手指で弄び始めた。銀の塊を握ったまま人差し指と親指で金の塊を摘まむ。再び両方の塊を握り込むと、今度は人差し指と中指で銀の塊を挟み込む。
男の手の中で金の塊と銀の塊が見え隠れし、いつの間にか男の手の中には三つの物が踊っていた。
「あああっ! それ! そいつが私のルーン石だ!」
「そいつは良かった。ほらよ」
等しくそこら辺の石ころを扱うような気軽さで、男は魔理沙に貴重なルーン石を手渡そうとした。
男の自然な動作に、魔理沙は反射的に両手を差し出す。
「でもって、ご褒美だ」
男はお椀のような形で両手を構えた魔理沙の手の上にルーン石を乗せ、同時に金と銀の塊も魔理沙に渡した。
三つとも受け取った魔理沙は、掌に乗っている自分のルーン石を摘まみ上げた。
「こーんな小さな石、良く見つけたな。助かったよ、兄ちゃん。でも、金銀は要らないぜ」
「言ったろう、正直者にご褒美だって。売っても良いし、自分で使っても良い。お嬢ちゃんの石よりは、それなりに力があると思うよ」
「そうかい? なら遠慮なく、もらおうかな」
元々、収集癖のある魔理沙である。珍しいものには目が無いのだ。くれるというのなら、遠慮する気は毛頭ない。
「それじゃ、僕はこれで失礼するよ。自分の分の探し物をしなくちゃいけない」
「そんなサイズの虹色の玉なんて、この郷でも珍しいからな。私も探すし、知り合いにも聞いてみるよ」
「頼むよ。しばらくはこの辺を探してみる事にする」
「あいよー」