跳ねる雫
小学生の頃のことだ。四年生か五年生だったと思う。
その日の午後の授業科目は覚えていない。
つまらなかったことは確かだ。
だから、僕は授業の間、ずっと窓から空を見ていた。
窓から見える空一面に雲が広がっていった。
そこに、暗い灰色の雲が大量に流れてきて、あっという間に空を覆ってしまった。
授業が終わる頃には、大粒の雨が落ち始めていた。
低学年の教室の前はいつも、牛乳の匂いがこもっているが、児童用の玄関には、湿ったカビ臭さが満ちていた。それが雨でさらに強くなっていた。
玄関の外のコンクリート製の階段では、雨樋から流れ出た雨水が滝のようになって落ちていた。
祖母が持たせてくれた傘が役に立った。
朝、家を出る時、邪魔なので置いてこようとしたのだ。
それに気づいた祖母が小走りに追いかけてきて、手渡された。
それで仕方なく持ってきたのだ。
傘をさして外に出た。傘は、足元が濡れるのを防いではくれなかった。
靴がすぐにずぶ濡れになり、靴下と足の間にも水が溜まった。
家までの道は、途中でアスファルトの舗装が途切れていた。
その先は砂利道になっていて、ところどころ大きな水溜りが出来ていた。
水溜りの表面で大粒の雨が波紋を残しながら跳ねていた。
学校と家とのちょうど中間辺りに灌漑溝があり、コンクリート製の橋が架かっていた。
橋に近づくと、水が流れる大きな音が聞こえた。
夏の時期には、農業用の水が流されているが、それが大雨で増水しているようだった。
橋の手前には、池のような大きな水溜りがあった。
周囲の草むらからも水が流れ込んでいるようだった。
不意に、風景が真っ白になった。
その光が消えると、前よりもさらに暗い風景が戻ってきた。
そして、重い雷鳴。思わず傘に隠れるようにしゃがみこんだ。
雨はさらに強くなった。
橋の前の水溜りでは、無数の雨粒が表面を叩き、跳ね返り、細い棘が何本も生えているように見えた。
その棘が、風に吹かれて揺れていた。
よく見ると、その棘はゆっくりと群をつくり、揺れながら移動していた。
棘は、移動を続けながら少しずつ太くなっているようだった。
また、強い光。そして、暗闇。
鼻に、ツンとくる匂い。
網膜に、不思議な残像が残った。
太くなった棘の先端に、なにか丸いものが膨らんでいたようだった。
稲光。その時、丸い何かが開いたように見えた。
それは、小さな手のひらだった。
その手のひらが、無数の手のひらが、ゆらゆらと揺れていた。
僕は傘の柄を握りしめたまましゃがみこみ、その不思議な光景を見続けていた。
冷たく、強い風が吹いた。
揺れていた無数の手のひらが潰されるようにして、水溜りに消えた。
雨が弱くなったようだ。
僕は水溜りの縁を通り、灌漑溝の橋を渡った。
そして、小走りに家に向かった。
その背中を、灌漑溝を流れる水の音が、どこまでもついてくるようだった。