Episode:97
「――あなた自身の居場所を――」
「そんな話、聞きたくないっ!」
思わず叫ぶ。
何も聞きたくなくて、耳をふさぐ。言葉を振り払いたくて、頭を振る。
居場所はある。ここにある。他になんてない。
それなのに……。
「ですから、シルファ――」
タシュアが言いかけたのを無視して、立ち上がる。テーブル越しに手を伸ばし、彼の首に腕を回す。身を乗り出して、引き寄せて、しがみつく。
――離したらきっと、独りになってしまう。
どこかがカップに引っかかったのだろう、床に落ちて割れる音がした。
服越しに伝わる、体温。
タシュアがまた何か言おうとしたが、強引に唇を重ねる。
――聞きたくない。
タシュアと居られればそれでいい。他に何も要らない。将来がどうでも構わない。だから……。
タシュアの手が、私の頭を包み込んだ。
息をついたところで少しだけ離されてから、抱き寄せられる。
広い肩と胸。その中で震える。また何もかも失くしてしまうかもしれない、その恐怖から逃れられない。
「独りは、いやだ……」
答えはなくて、代わりにそっと頭を撫でられた。
彼の手が動くたびに、少しずつ不安が溶ける。小さな安心感が、徐々に広がっていく。
何度も頭を撫でられたあと、必死にしがみ付いていた腕をそっとほどかれて、座らされた。
「……少しは落ち着きましたか?」
子供に語りかけるような、やわらかい口調。
怒ったりしていないのは分かる。気を使ってくれているのも分かる。
けれどそれでも、離れると、まだ震えが収まらない。涙が止まらない。
――怖い。
置いていかれるのが、誰も居なくなるのが、独りになるのが怖い。
やっと抜け出したのに、またそうなったら……。
「言葉が過ぎましたかね……」
タシュアが言って、私の隣に席を移した。
子供のように頭を抱き寄せられて、また撫でられる。
「先に死んだりしないと、言えればよいのですけどね……できない約束に意味はありませんから」
言われて、必死に首を振る。
「意味がなくても、いい……」
言葉が欲しかった。だがタシュアは、何も言わない。
「独りに……しないでくれ……」
「シルファ、今のあなたなら、独りではないでしょう?」
やっと返ってきたのは、思っていたのとは違う答え。
「私以外にも一緒にいてくれる友人、慕ってくれる後輩……見えているのに、目を閉じていませんか?」
そうじゃない。私が欲しいのは……。
「そして何より、今まで頑張ってきた自分自身を、もっと評価――」
言葉の途中で、泣きながら抱きつく。
勢いでタシュアまでバランスを崩し、2人で椅子から落ちて、床へ倒れこんだ。私がどこもぶつけなかったのは、タシュアがかばってくれたのだろう。
いつもそうやって、気を使ってくれる。どうしても必要なときは、必要なだけ助けてくれる。
なのに、今はどうして……。
それからどのくらい、腕の中で泣いていただろう? はっと気づくと、ベッドの上だった。
――夢?
一瞬そうも思ったが、すぐ違うと思い直す。たぶんあのまま、泣きながら寝てしまったのだろう。
「おやすみなさい。私が言うのなんですが、良い夢を」。タシュアのそんな言葉を、夢うつつに聞いた気がする。
テーブルクロスには染みがあったが、割れたはずのカップはなかった。きっと、片付けてくれたのだろう。
そして代わりに、書き置きがあった
『新学期が始まるので、一足先に学院に戻ります』
丁寧に書かれた文字。
タシュアは何を思いながら、これを書いたのだろう?
『私が一言言えば、もしかしたらそれでよいのかもしれません。ただ、その時点でおそらくあなたは他の可能性を考慮しなくなるでしょう。
今回の旅行中、色々な人や土地に触れたのではありませんか? 時間をかけて、よく考えてみてください。自分のやりたいこと、そして自分の生きる道を。
あなた自身が持つもの、周りにあるもの……気づいていない何かがあるかもしれませんよ』
言葉を選んで、彼の言いたかったことが書かれている。
ただ私の心に浮かんだのは、違うことだった
――行ってしまった。
これから私は、何をどう考えてどうすればいいのだろう……。