Episode:75
「あー楽しみだわ。久々に面白そう。なんなら今から外へ行く?」
表情を見る限り、本気で手合わせしたいようだ。今が何時か、全く考えていない。
「あの、でも、もうそろそろ暗く……」
「あらそうだった。夜間訓練と洒落込んでもいいけど、今やることじゃないわね」
意外にもあっさりと、この人が引き下がる。どういう思考回路かは分からないが、無事に私と同じ結論に達してくれたらしい。
「んじゃ、その件は後日として。
――あんまり、思い詰めないほうがいいわよ?」
言いながらこの人が、私の額をつついた。
「はい」
その通りかもしれない、と思う。悩んでかえって出口が見えなくなるのは、よくある話だ。
私の顔を見て、ルーフェイアのお母さんは満足気に笑った。
「そうそう、そうこなくちゃね。じゃぁまた夜にでも、時間が取れたら遊びに来るわ」
ひらひらと手を振りながら、この人が部屋を出て行こうとして……ドアの前で不意に立ち止まった。
振り向いたお母さんと、視線が合う。
「それにしても、タシュアもタシュアだわね」
なぜか面白がるような口調。
「実力はともかく、女心は分かんないし、他人に何かするってこともないし。ひねくれてるし毒舌だし、好き勝手だし」
「………」
癪に触るのだが、すべて事実だから言い返せなかった。
「あなたのことも、パートナーとか言う割にはほったらかしだし。いっそ、別れたほうがいいんじゃない?」
さすがにカチンと来る。
「ああいうのと一緒になると、苦労絶えないわよ?」
からかうように言われて、もう我慢出来なかった。
「タシュアは、そういうんじゃない!」
「あらそぉ? その割には、あなたに嫌がらせばっかりじゃない。気づいてないからなお悪いわね」
悔しいが言い返せない。そして言い返せない自分が、余計に悔しい。
「何があったにしろ、それであなたにまで嫌な思いさせるくらいなら、いっそ引きこもってればいい――」
「違うっ!」
言ったときにはもう、テーブルの上の水差しを掴んでいた。
中の水がぶちまけられて、この人がずぶ濡れになる。
「タシュアは、タシュアは……」
あとの言葉が出てこない。
そんな私の前で、ルーフェイアのお母さんは笑い出した。
「かっわいいわぁ。そんなにタシュアが好きなのね?」
水をかけられたことなど、微塵も気にしていない。むしろ私のほうが、虚を突かれて思考停止する。
「あっさり挑発に乗って、ムキになっちゃって。でもまぁ、いいことだわね」
言われて、やられたと思う。この人は最初から分かっていて、あんなことを言ったのだ。
――理由は、よく分からないが。
何かを伝えたかったのかもしれないが、言動を見ていると「単に面白がった」だけの気もする。
ただお母さんには申し訳ないが、動いたせいかちょっとすっきりした感じだ。
「さて、今度こそ行くわ。
シルファ、しばらくこの屋敷に居なさい。時間が経てば、また変わってくるだろうから。もちろん、帰りたければ帰っていいしね」
「……すみません」
私の言葉に、またひらひらと手を振って、今度こそお母さんは出て行った。