Episode:74
「まったくもう、あの子ったら親をなんだと思ってるのかしら」
閉まるドアを見ながらひとりごちるお母さんに、相槌を求められなくて良かった、などと思う。申し訳ないが、同意が出来ない。
「やれやれ、まぁいいわ。シルファ、だったわね? いつから学院に?」
「え? 8歳からです」
視線が合う。海の底を覗くような、ふしぎな碧の瞳だった。
「8歳からって言うと、かれこれ10年近くだわね」
お母さんの手が、すっと伸びる。
「大変だったわね」
言葉と共に、抱き寄せられた。恥ずかしくて少し抵抗してみたが、意外に力が強くて逃げられない。
あるいは私自身に、あまり逃げる気がなかったのかもしれない。
お母さんが続ける。
「辛いのに我慢して、よく頑張ったわ。いい子ね」
瞬間、何も考えられなくなった。
そんなつもりはなかったのに、涙がこぼれる。
――そう、辛かった。
両親が死んだのも、居場所がなかったのも、学院へ来たのも、私にはどうすることも出来なかった。だから、そういうものだと受け入れるしかなかった。
けれど自分でも分からないところで、やっぱり辛かったのだと気づく。
「少し、ゆっくりして行きなさい。学院のほうには、あたしから適当に言っておくから」
もし母親が生きていたら、こうなのだろうか? 甘えてはいけないと思いながらも、腕の中でほっとしている自分が居た。
頭を撫でられる。
「大丈夫、頑張りすぎて疲れただけよ。少し休めば、あなたならすぐまた、進めるから」
「……はい」
いろいろ言いながらもルーフェイアが、この人に懐いている理由が、分かった気がした。
顔を上げると、また目が合う。いたずらっぽい笑顔に、優しい瞳だった。
「さて、ずっとこうしてあげたいけど、そろそろルーフェイアが戻ってくるかしらね? 後でまた夜にでも、話を聞きに来るわ」
「……すみません」
申し訳ないのと、恥ずかしいのとで謝ると、この人がまた笑った。
「いいのよ。あなたたちがこんな思いするのも、元を正せばあたしたち大人のせい。謝るのはこっちだわ」
偽善とも取れそうな言葉。でもこの人はたぶん、そういうのをすべて承知の上で、なお言っているのだろう。
いろんな意味で、ふしぎな人だった。
「そうそう、あなたシエラの上級隊よね? そうしたらあとで、手合わせしてもらおうかしら」
突然こういうことを言い出すあたりは、困りものだが。ただ、憎めないのも確かだ。
「ルーフェでもいいんだけど、お互いクセ知ってるのがねぇ。何よりあの子、嫌がって逃げちゃうし」
それはそうだろうと内心思う。が、さすがに口にはしなかった。この人は気にはしなそうだが、あえてコトを荒立てる必要もない。