Episode:72
「おやおや、話しかけられたのに黙っているとは、休みの間に礼儀まで忘れましたか?」
「――うるさいっ!」
無性に腹が立って、手に持っていたバッグを投げつける。だが彼は、軽々と受け止めてみせた。
「なんで取るんだっ!」
「なんでと言われましても」
何のことか分からない、そんな口調。
いつもそうなのだ。タシュアはいつだって、思うとおりに好きなことをして、好きなところへ出かけて。
相手に迷惑がかからなければ、好きにしていい。それがタシュアの考え方なのは分かっている。そしてたしかに、迷惑がかかったわけではない。
だが、納得できるわけもなかった。
「何を怒っているのかは知りませんが、ともかく落ち着いてはどうです」
「………」
もう何も言う気にならず、きびすを返す。本当に分かっていない。
そのまままっすぐ部屋まで行って、ドアを開けようとしたところで、人影に気づいた。
心配そうな表情のルーフェイア。
「ついてきて……くれたのか?」
上目遣いに私をみながら、この子がうなずく。きっと事の成り行きに驚きながらも、慌てて後ろから来てくれたのだろう。
「ルーフェイアは、いい子だな……」
抱き寄せて、頭を撫でる。ルーフェイアがすぐに、私に身体を預けてきた。
人を疑わないこの子に、どれだけ助けられて癒されただろう? タシュアはいろいろ言うが、この子のこういうところは、悪いものではない。
毎回自分でも同じことで呆れるが、ルーフェイアの頭を撫でているうちに、気が静まってきた。
息をひとつ吐いて、言う。
「何か、飲むか?」
「あ、そしたら、あたしが」
気を使ってくれたのだろう、この子がぱたぱたと、部屋にしつらえられた小さな水場に向かう。
「えっと、カップこれで、お茶は……」
次の瞬間、けたたましい音がした。肘でも引っ掛けたのだろう、カップと受け皿とが床に散らばる。
「あ……」
ひとつ欠けてしまって、ルーフェイアが泣きそうだ。
「手は、切らなかったか?」
「え? あ、はい」
急に違う話を持ち出されて、この子が泣きかけていたのが止まる。
「良かった。片付けは私がやろう」
慰めてやりながら、またタシュアのことを思う。
――こんなはずじゃ、なかったのに。
ただ単に二人で旅行がしてみたくて、ついでに驚かせたかっただけだ。なのに些細な食い違いから、こんなことになってしまった。
誰が悪いわけでもないのに、どうすることも出来ず、納得も出来ず。
そんな自分に、余計に嫌気がさす。
なんとなく感じ取ってくれているのだろう、黙って傍に居てくれるルーフェイアの頭を、また撫でて立ち上がった。
お茶を淹れてやり、テーブルの上にあったお菓子を並べると、この子が下を向く。