Episode:32
「はい、それはもちろん!
なんとまぁ、お優しいお嬢さまで。うちのバカ息子に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいほどです」
「え、あの、それは……」
汚いと思うのだけど。
でもおじさんは真剣な顔だから、ホントにやってしまいそうだ。
「それであの、大変申し訳ないのですが、このあと予定がありまして……」
考え込んでたあたしに、おじさんがすまなそうに言う。
「その、お嬢さまさえ差し支えなければ、おいとまさせていただこうかと」
「あ、はい。こちらこそお引止めして、申し訳ありませんでした」
あたしがそう言うと、おじさんまたぺこぺこお辞儀をする一方で、息子さんを小突きながら帰っていった。
「なんだったんだ?」
「さぁ……」
先輩に訊かれたけど、答えようがない。ただひとつ分かってるのは、母さんがまた、何かとんでもないことをしたってことだ。
「巻き込んでしまいまして、申し訳ありません」
そばで様子を見てた支配人が、頭を下げた。
「ううん、元はと言えば、あたしたちだから……。ところであの人、どこの……方なの?」
「あぁ、彼ですか? この辺の裏社会の、首領ですよ」
思わず先輩と、顔を見合わせる。
叩きのめした人が息子で、あのおじさんが、そのお父さん。それが裏社会の首領だとすると……そうとは知らず、なんだか凄いところにケンカを売ってしまったらしい。
「えっと、そんな人ともめて……ホテル、だいじょうぶ?」
「ええ、大丈夫ですよ。いつものことです」
支配人さんが微笑む。
「それに、カレアナ様とグレイス様がああ言ってくださったので、当分の間はトラブルが減りそうです。ありがとうございます」
「そんな、あたしは何も……」
何かしたっていうなら、絶対母さんだ。それも、裏の首領を震え上がらせてるんだから、かなりヒドいことをしたんだろう。
――あとで謝りに行こうかな。
けどあの様子だと、かえって脅かすことにもなりそうだ。
それにしても母さん、ホントにどこで何をしでかすか分からない人だ。ああいうのを、トラブルメーカーって言うんだと思う。
なんだか疲れてため息をついてると、頭を撫でられた。
「ルーフェイアも、たいへんだな」
事情は誤解してそうだけど、そう言ってくれる先輩に、うれしくなる。
「ともかく、部屋へ戻らないか? ここに立っていても、仕方がないだろう?」
「あ、はい」
たしかに、ここにこれ以上居る意味はない。それにもういちど髪や身体を、よく洗いたかった。
「では、お荷物を」
支配人さんが荷物係の人を呼びながら、先に立って歩き出した。
ロビーを出て棟を移ると、とたんにあたりが静かになる。窓から見える夕暮れの海が、今日もきれいだった。