Episode:29
「もう1匹いるか?」
一匹丸ごとといっても、所詮は小魚だ。もう半匹くらいは食べられるだろう。
「え? あ、でも……」
欲しいのに言えない。どうみてもそんな様子のルーフェイアが、可愛い。
頭を撫でてやってから、立ち上がった。
「ここで待ってるんだ。もう1匹買ってくる」
先程の屋台へ行く。
「おや、どうしたんだい? まさか気に入らなかったのか?」
「いえ、あの、魚を……」
なんだか気押されながらも答える。
「魚? うちのは旨いぞ。それとも、そんなに不味いか?」
更に予期しない方向へ話が転がった。
「いえ、ですから、その……もう1匹……」
「おぉそうか! そうだろそうだろ、なんせうちのは旨いからなー」
いろいろな意味で、思い込みの激しい人のようだ。
「ほら、持ってけ持ってけ。
ん? たった1匹か? ダメだダメだ、育ち盛りなんだから、せめて1人1匹づつだろ。
え? あの子じゃ食べきれない? あーじゃぁ、この小さいのを持ってきな」
また押し付けられる。
だがさすがに、2度もタダというわけにはいかない。それをどうにか、屋台の店主にやっと伝えると、彼が笑い出した。
「律儀なお姉ちゃんだなぁ。分かったよ、こんだけ置いてきな」
言われたとおりのコインを置いて、ルーフェイアのところへと戻る。
「――? 先輩も、ですか?」
「いや……まぁ、そうだな」
いきさつを話そうかとも思ったが、そうするとまたルーフェイアが落ち込みそうな気がして、私は言葉を濁した。
「ともかく、食べないか? 熱いうちがいいだろうし」
「はい」
不思議そうな顔をしていたこの子だが、それ以上は言ってこなかった。素直に魚に口をつける。
――タシュアなら、思い切り何か突っ込んだだろうな。
彼はこういうことは、絶対に見逃さない。
瞬間、また怒りがわいた。タシュアのために、せっかくあれだけ用意したのに……。
「あ、あの、先輩?」
はっと気づくと、どこか怯えた風の、華奢な後輩が目に入った。
心持ち身をすくめ、おどおどと視線を落とすルーフェイアは、今にも泣き出しそうだ。
驚かせて、怖がらせたのだと悟る。
「――ルーフェイア」
そっと呼んで、抱き寄せた。
「悪かった。私の……個人的なことだ。ルーフェイアは悪くない」
腕の中から、安心した様子が伝わってくる。きっと自分が何かしたせいだと、勘違いしたのだろう。
可愛かった。そして可哀想だった。
あれに似た気持ちは、私も覚えがある。ずっと昔だが、今も時折心をよぎって、辛くなることがある。
息をひそめて。目立たないように、怒らせないように、追い出されないように。
そうやってただ黙って、どこかの隅で過ごす日々。
学院へ来る、ずっと前の話だ。
脅かされることのない居場所が欲しかったのだと、今ならば分かる。だが当時はそんなことは分からず、ただただ縮こまっているだけだった。
この子もまた、そうなのだろう。
――ならば、この旅行でなおさら。
楽しませてやって、笑顔が見たい。心からそう思った。