Episode:109
ただ彼女の行く末は、心配していなかった。
シュマーの象徴的存在で、トップに君臨するルーフェイア。
そしてその母で、実質的な統治者のカレアナ。
シルファはその二人がバックに着いた状態で、シュマーの施設に居るのだ。逆らって手を出す輩がいるとは思えない。ある意味、学院に居るより安全だろう。
加えてカレアナは、あのとおりのおせっかいだ。シルファに何かあれば、全力で面倒を見るに違いない。
(まぁあのシュマーの総領も、利用されていることには気づいているでしょうが)
それでもなお面倒を見る姿勢には、呆れるしかなかった。とはいえ有用なのは確かだし、だからこそあれほどのことを言えたのだ。
この件を機に、シルファが学院から離れた道を選ぶのも、いいだろうと思う。その場合、シルファとはこれきりになるかもしれないが、それも構わなかった。
だがそういった思いの奥に、もっと昏く歪んだものがあることにも、タシュアは気づいていた。
――これで潰れるなら、その程度のこと、と。
こちらが常軌を逸した状態にあるのは、シルファも分かっているのだ。それでもなお、自身のトラウマを埋める代償行為として関わり続けるのは、自滅の道でしかない。
なにしろこちらは、傷つけ、壊し、滅ぼすことしか出来ないのだから。
恐れ、慄き、怯え。学院に入学してから、自分に向けられた視線。
誰もが自分に向けて、同じ言葉を言った。
(狂っている……ですか)
自嘲する。当然のことだ、と。
そんなことは学院に来る前からのことだ。戦場で命を刈り取るたび、敵からも味方からも言われた。
そして最後、身内と呼べる存在をあんな形であっけなく失ったとき、かろうじて残っていた何かも壊れたのだろう。
いずれにせよあの時、どんな状況になろうとも、自分は生き続けていくと決めた。そのためには味方を見殺しにしても、だ。
今も変わらない。仮に誰か一人しか生き残れないとなれば、シルファさえもためらいなく、この手にかける。
自分が一番よくわかっている。こんなことを考え、それを迷いもなく受けて入れてしまうのだ。正常のはずがない。
だが常軌を逸した自分に、シルファは恐れも怯えもなく近づいてきた。
真っ直ぐな紫の瞳で、偏見や先入観なしに手を差し出し、自分に異なる世界を垣間見せてくれた。
――だから。
時間がかかってもいい、何か見出してくれれば、自分で見出した道を進んでくれれば、と思う。
少なくとも彼女には、可能性があるのだから……そんなことを考えているうち、意識が眠りに沈んだ。
それからどれほど眠ったのか。ふと、人の近づいてくる気配に目が覚めた。
(……シルファ?)
だがいつもと少し違う。どこか怯えたような気配が感じられない。
薄目を開けて視線をめぐらすと、歩いてくる彼女の姿が目に入った。
(これはまた珍しいですこと)
胸元が大きく開いた水色のキャミソールに、丈の短い白のタイトスカート。そこへ無造作に、やはり白いジャケットを羽織っている。形のいい長い足はむき出しで、白いサンダルが涼しげだ。
そして足首では見覚えのあるアンクレットが、午後の陽を反射させていた。
(何があったのやら……)
こんな格好のシルファは正直、初めてだった。
その彼女がすぐ脇まで来て、立ち止まる。
「すまない。寝ていたのか?」
「いえ」
初めて見る、華が綻ぶような笑み。あの自信のなさは、どこにも見当たらない。
「おかえりなさい、シルファ」
「ああ、ただいま。ついさっき戻った」
自己に裏打ちされた、ごく自然な表情を見て思う。
――大丈夫だと。
例え自分に何かがあっても、今度は彼女は、きっと乗り越えていけるだろう。
そしてこうも思う。
また1つ、死ねない理由が出来た、と。
そんなことを思いながらも、どこかでほっとしたのだろう。抗えない眠気に、タシュアはまた目を閉じた。