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アシェン・オウル

十字を描く。

その四つの頂点の、左と右に火と水、上と下に風と土を配置する。

創世神話と共に必ず習う、古くから伝わる四大魔法の模式図だ。

火と水、風と土はそれぞれ相対する概念であり、土の上を風がそよぎその間に火と水が並び立っている。

それがこの世界であり魔法であり、この図によって森羅万象あらゆる物事が説明できる、とされている。


されているが実際のところ、この図は何百年も昔から不完全であると指摘されている。

光、闇、雷の概念が含まれていないのだ。

万物を照らす昼の太陽の光。月と星を残して夜を覆う闇。雨雲から空へと轟き渡る雷。

どれも火水風土と並ぶこの世界の自然現象であり、光と闇に至っては「マナは太陽と月と星になった」と

神話にも明確に記されているのに、模式図には全く描かれていない。

これでは素人目に見ても不完全の謗りは免れない。四大魔法の関係性を示すモデルとしてはともかく、世界の理を示す図としては手落ちも良いところだ。


にも関わらず、なぜこんな不完全な模式図が未だに残っているかというと、その理由は単純。

光・闇・雷魔法を使える人間が極めて少なく、それらと世界や人間との正確な関係性を誰も把握できず、誰も新しい図を提唱できないからだ。

公式記録を確認する限り、この三魔法のいずれかが使える魔導士は、この500年で累計14人しか現れていない。不確かな伝説や伝承を合わせても2000年でおよそ50人だ。

しかもその大半は『特殊な技能を持つだけの凡庸な魔法使い』に過ぎず、わずかにいた傑出した魔導士も全てが戦闘魔導士であり、

自分の持つ魔法と世界との繋がりを探求しようとする者も、それに足る知識を持つ者も誰ひとりとしていなかった。


研究は長期間に亘る積み重ねが物を言う。

しかしこれらの分野は、その積み重ねがそもそもできない。

それこそ、何かの奇跡が起こって誰もが四大魔法と同じように光や闇を使えるようにならない限り。

さもなければ群を抜いた魔力を持つ使い手が、戦闘でなく研究の分野を志し、存命中に歴史的な発見を数多くなさない限り。

光も闇も雷も、永遠に発展しえない未知の分野、創作の中でしか活躍しない架空の魔法のまま、始まることすらなく終わり続ける。

皆そう思っていた。

いや、思い込みですらない、子供でもわかる厳然たる事実だった。


───アシェン・オウルが世に登場する、今から一年前までは。




「雷は電気であると、ある魔導士が解明した」

そんな世紀の大発見のニュースが世界を席捲したのは、およそ一年前のことだ。


帝都のある講堂で行われた自然科学の学会で、国立魔導大学のある研究者が発表したひとつの論文。

レジュメが配布された時点での反応は芳しいものではなく、有り体に言って疑わしい内容だと見向きもされなかったという。

だが実際に論文が発表され壇上で実証実験が行われると、内容を疑う者は誰ひとりとしていなくなった。

アシェン・オウル。

そう名乗った論文の執筆者が、内容を説明しながら()()()()()、準備していた蓄電瓶に電気を溜めてみせたのだ。

発表が終わった後、会場には質問も拍手もなかった。ただ、信じられないものを見たざわめきだけが満ちていた。

一同がこの論文の正しさと、現代に雷魔法が出現した事実をようやく認識するまで、短くとも数十分の時間が必要だった。


閉会後、学会どころか帝都全体が大騒動となった。

アシェン・オウルとは何者だ。

雷魔法の使い手などという歴史的にも極めて稀少な存在が、一体何処に眠っていた。

それどころか、魔法と科学を同時に100年進歩させられるかもしれない、途轍もない麒麟児だ。一体どのようにして発見し育成したというのか。

国内外の学者や報道だけではなく政府機関、それも商工省や魔法庁どころか軍警察関係者までが、魔導大学と研究室に押し寄せるようになった。

公式非公式問わない怒涛のようなアプローチに、大学は業務どころか通常授業にまで支障が出る事態にまで至り、学会から二日後、やむを得ず大学と本人の名義でその正体が公表された。


アシェン・オウル。

国立魔導大学特別研究員。

特定の学部・学科・研究室に所属しない特別研究員となっているのは、

大学に所属する研究員或いは学生ではなくとも施設・設備を利用できるようにするための措置。

正式な研究員・学生ではない理由は、帝国の学制では、高等学校を卒業していない18歳未満の国民にその資格がないため。


魔導大学特別研究員の肩書を除いた、アシェン・オウルの当時の身分は。

ウィルグ・オウル子爵とアイリア夫人の間の嫡男であり長子。

国立魔導学院、第三学年所属。


14歳。


世界は言葉を失った。





146年ぶりに現れた、世界唯一の雷魔法の使い手。

10歳にして巨岩を砂塵にした、世界最高にして最強の魔力を誇る魔導士。

その魔力を以てついに雷の正体を解き明かしてみせた、新進気鋭の天才研究者。

わずか15歳にして既に歴史に名を残す、生ける伝説。


学院での成績は異常なほど良好、どの試験でも満点以外を取ったことがなく、試しに受けた第六学年の卒業試験ですら減点ゼロ。

大学以上レベルの学力がどれだけあるかなど確かめるまでもない。歴史を変える研究論文を発表した、その事実ひとつで十分だ。

四大魔法実技も完璧で、魔力量、技術、精度、いずれも神話の域。

直径1mの風球の中に火魔法と水魔法を土魔法を流し込み、それぞれ一切触れ合わせず混ぜ合わせずに球内を二時間循環させ続けるという、狂気すら感じる自由研究を披露し学院長を唖然とさせたのは、第二学年の長期休暇明けのことだった。

その上で雷魔法まで使える。それこそ神話の時代なら、星座として天に召し上げられてもおかしくないほどの逸材だ。


教えることが何もない。それどころか、大金を積んで教えを乞う価値があるほどの少年。

そのため学院と教育省が協議した結果、アシェン・オウルは、第四学年に進級した時点で卒業までに必要な全単位を取得した扱いになった。

今後三年間、毎日登校して真面目に授業を受けるも、大学や機関で研究に没頭し全く登校しないも自由。



そのアシェン・オウルが、第四学年に進級して初めて、Aクラスの教室に現れた。

入学六日目の学院は朝からその話題で持ち切りだった。



始業前、編入生クラスの教室の窓から見える中庭に、下級生が派閥を率いて闊歩しているのが見えた。

名前は知らないが覚えのある顔。背が低く太っているから、よく目立って嫌でも記憶に残る。どこかの豪農の娘と聞いた気はするが、定かでない。

今日の彼女の取り巻きの数は、いつもより多かった。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼女はいつもより多くの取り巻きを引き連れて中庭を歩いていた。

彼女だけではない、他の学年の連中もそうだ。

派閥リーダーの中にはそれだけに飽き足らず、胸元襟元をだらしなく開いている者や、スカートの丈をわざと短くしている者、これ見よがしにアクセサリーを身に着けている者もいる。


私はようやく、この学院の女子がいつも異様な雰囲気を漂わせて、男子が我関せずでいる理由を理解した。


要するに皆、女として取り入りたいのだ。


世界最高峰の魔導士にして世界唯一の雷魔法の使い手。学業優秀どころか既に歴史的発見を成し遂げた天才科学者。

軍や警察に取り込めれば、どの現場でも使えるこの上ない戦力になるし、新魔法の開発や後進を育成にも十二分な期待ができる。

商工業に有用な新技術を発見し権利を独占できれば、それだけで巨万の富だ。それほどの頭脳なら通常業務に回しても十分以上の力を発揮するだろう。

無論、そのまま研究者としての道に進ませても良い。電気学と雷魔法学の史上最初の権威になることは、もう既に確定しているのだから。

現時点ですら計り知れない栄誉と実力を誇っているというのに、将来性までもが計り知れない存在。そのステータスはある意味で皇族すら軽く凌いでいるのだ。

その上都合の良いことに、オウル家は子爵、つまり下級貴族。

平民に必ずしも手の届かない身分ではないし、下級貴族には家格の釣り合いがとれているので遠慮はいらず、上級貴族にとっても決してどうにもならない爵位差ではない。


要するに、どういう形であれ女として深く縁が繋げれば、自分と実家の栄達は約束されたようなもの。

だから学院の女たちは、必死になって日々互いを蹴落とし合い、競争相手を減らそうとしているわけだ。

で、互いを蹴落とすための手段として派閥を作り、派閥を強固にするための手段として行列を作り貢物を捧げさせている。

教師が黙認気味なのもおそらく、皆そのおこぼれに預かっていて、隙あらば自分たちが縁を結ぼうと狙っているからだろう。自分は無理でも娘や親戚を売り込むことはできる。


わかってしまえば簡単な、非常に簡単でくだらない話だった。


つくづく、貧民街を思い出す。

上納金を強制して縄張り争いに明け暮れるギャングと、そのギャングから上納金を受け取って目こぼししながら、あわよくば成り代わって街を支配しようとする上部組織や警察の構図だ。


───羨ましいと思った。

皮肉じゃない。仮にアシェン・オウルの寵愛を得られたところで、自分の知識が深まって魔力が高められるわけじゃない。

それなのに彼女たちは、ひたすらに己を鍛えるべき時間を、男の尻を追いかけながらのギャングごっこに費やしている。

それが許される環境と人生が、本当に羨ましかった。



ちなみに私も、アシェン・オウルの名前は当然知っていた。

知ってはいたが興味は全くなかったし、当然顔も知らない。

報道が魔導士や研究者としての実績を取り上げたのは最初期だけ。後はずっと、どうでもいいとしか形容できないくだらない話ばかりで、


「同級生によくモテる」「子供の頃愛犬を亡くした」「この日は昼食に何を食べた」「愛用のノートは大量生産品」「枕は硬めが好き」


───これで興味を抱けと言う方がどうかしている。



**********



古本屋の書庫で勉強していた時、子供向けの自然科学のテキストに望遠鏡の仕組みが載っていた。

筒を横倒しにし、奥に焦点距離の長い薄めの凸レンズを、手前に焦点距離の短い厚めの凸レンズを置くことで、遠くのものが近くに見えるようになる、と。

早速確かめてみようと思ったが、貧民街にあるのはせいぜい虫メガネや老眼鏡ぐらいのもので、望遠鏡なんてどこにも置いてない。

なので、水魔法を使って自分でレンズを作ろうと思い立った。

円の中心を貫くライン上に正確な焦点がある、工業製品のような水レンズ。

半年かかってようやく形になった。それから透明度を高めて固体のように完全固定できるまで、更に半年。

ついに自力で望遠鏡を完成させた時の感激は今でも忘れられない。

夜になっても飽きずにレンズを覗き続けて、ベッドの上で抱いたまま眠って、朝起きても腕の中にそのままの形で望遠鏡があった時、生まれて初めて嬉しいという感情を理解できた気がした。



入学六日目の四時限目、入学後二回目の魔法実技の授業で、水魔法を使って何かしてみせろと言われたから、その場で水レンズを作って提出した。

拳大ほどの純度の高い水を出して、変形させて整えてから流体固定を掛け、カットで微調整を施す。

暇さえあれば何十度も何百度もやっていた手順だから、5分もあれば出来上がる。今回は念を入れたから少し時間がかかった。

担任とクラスメイトは凍りついていた。その理由は、この時の私にはわからなかった。



放課後になると中庭は、いつもより姦しい喧騒に包まれた。

ここが共学だと忘れそうになるほど、男の姿がどこにもない。見渡す限りの女、女、女。

数人ずつ塊になって其処彼処にたむろして、おしゃべりに興じながら派閥同士互いに牽制しあっている。

そして牽制しあいながら、その意識は片時も特定の教室から離さない。

その先は言わずもがな、第四学年Aクラス。

Aクラスの六時限目は科学棟での実験講義だった。だから彼女たちは、目当ての特定人物が教室に帰ってくるのを中庭で待っているのだろう。


馬鹿なのかと思った。

遠巻きに眺めたいだけならそれでいい。

でも奴らの目的は、あくまでアシェン・オウルとの距離を縮めることだ。

だというのに、大勢揃ってただ一箇所に溜まり続けるだけで、どうやって本懐を遂げようというのか。

人と同じことをしても人と同じ結果にしかならない。科学棟まで迎えに行くなり、教室までの帰り道で待ち伏せるなりした方が、よっぽど出し抜ける可能性がある。

実際中庭に集まっているのは、低学年組も高学年組も、その辺がわかっていない不出来そうな連中ばかりだ。

有力と言われる派閥はひとつもいない。いても、明らかに様子見で送り込まれた下っ端だけ。

おそらくは適当なことを吹き込まれて、自分にもチャンスがあると勘違いして駈けつけてきたのだろう。そんなことだから下っ端なんだ。


───それにしても、性欲と打算と、駆け引きになってない駆け引きの混じった女の視線は、傍から見てても本当に気持ち悪い。

まるで夜の貧民街で客を取り合う街娼のようだ。いや、生活がかかって必死な分、街娼の方がまだ好感が持てる。

さながら夜の蝶ならぬ昼の蛾。

期せずして誘蛾灯になってしまったAクラスに、私は他人事ながら同情した。




「ジルコニア・カナリー」


鞄に教科書を詰めて教室を出ようとして、聞き覚えのない声に呼び止められた。


立ち止まって顔を向けると、事務の制服をきた女性がいた。

半端に気の強そうな顔つきの、行き遅れという言葉が悪口になりそうな年と風体の女。

初対面のはずだが、いやに険のある目つきで私を睨んでいる。

その手には何も持っていない。書類か何かを渡しにきたわけではなさそうだ。


「何か?」

「ジルコニア・カナリー四年生。速やかに事務棟まで付いて来なさい」

「何故です」


有無を言わせない命令口調に、私は即座に疑問で返した。

怯んだ表情になる事務員。


「───もう一度言います。速やかに、事務棟まで付いて来なさい」

「何故です」


全く同じ命令の言葉。なので、全く同じ疑問を返す。

怯んだ表情に苛立ちの色が浮かぶ。険しい顔が更に険しくなった。

なぜ怒る。理由を言えば、それだけで済むものを。


「─────繰り返し言わせないように。速やかに、事務棟まで、私に付いて来なさい」

「上官でも親分でもないのに、用向きも言わず『顔を貸せ』でノコノコ付いて行くわけがないでしょう」


馬鹿なのか、という余計な追い打ちは飲み込んだ。


ここは上下関係が全ての軍隊でもマフィアでもない。ましてこの女は教師どころか事務員、学内の規律や秩序から外れた位置にいる人間だ。

そもそも彼女とは初対面。知らない相手から「用がある、黙ってついて来い」と言われて素直に応じる人間などいない。

そんな不用心で危険な真似、仮にも淑女がするはずがないだろうに。


思わぬ反抗を食らって余程プライドが傷ついたらしく、女は顔を真っ赤にして拳を震わせていた。

子供がやっても割とみっともないポーズだが、年増と呼んで否定できない歳の大人がやると「割と」の冠言葉が「本当に」になる。


───こんな女ばかりなのかこの学院は?


異変を感じたクラスメイト達は、遠巻きにこちらを見ていた。私より主に彼女の方を、生温かい目でじっと見ている。

それに気付いて少し気を取り直したのか。彼女は顔を赤くしたまま、はあ、とわざとらしく溜め息をついてみせた。


「ジルコニア・カナリー───あなたを呼んでいる方がいます。事務棟の応接室まで来なさい」


物分りの悪い小娘に諭して聞かせてやってると言いたげな口調。


「わかりました、行きましょう」


素直にそう返事をすると、今度は一瞬呆けたような顔になって、ぎりと奥歯を噛み始めた。


私は理由を言えと言った。返ってきた理由は納得できないものではなかったから、応じた。

言葉通りにしてそちらの言い分に従っただけなのに、なぜ怒る。




第一~三学年が入る、低学年校舎。

第四~六学年が入る、高学年校舎。

実験室と図書室のある、科学棟。

射撃訓練場と体育館がある、実技棟。

そして、職員室と受付がある、事務棟。

国立魔導学院は、この五つの建物と校庭・中庭からなる。


「応接室はこの先。後はひとりで行って。私は仕事に戻るから」


それだけ言って女は、二階に上がってすぐ、私が何かを言うよりも早く、踵を返して元来た道をひとり帰っていった。

余程私が気に入らないらしい。去り際、なんでこんな女が、という呟きも聞こえた。


事務棟の応接室は二つある。

ひとつは、一階の職員室の奥にある普通の応接室。もうひとつは、二階の学院長室の手前にある賓客用の応接室。

私が呼ばれたのは後者の方だ。


二階は一階と違って人の気配がない。元から使用頻度が高くない階なのもあるだろうが、おそらく人払いをしている。

廊下の先の応接室の前には、男性がひとり立っていた。

おそらくは警護担当。姿勢が良く、スーツの上からでも体が鍛えられているのがわかるし、何より目つきが鋭い。

それも下から睨みあげるゴロツキのような目じゃない。瞼を見開いて正面を見据えることに馴れている眼光だ。間違いなくかなり腕が立つ。


つまり応接室の中にいるのは、階全体の人払いをした上でこれほどの見張りを置く必要がある重要人物、ということになる。

間違いなく、学院長や学校関係者よりも上。しかし政府高官とは考えにくい。それならもっと警備は厳重になる。

となるとどこかの省庁の幹部か、省庁幹部と気軽に面会できるクラスの豪商、或いはそれに匹敵するステータスを持つ何者か。

そんな人物に呼ばれるような覚えなど、全くない。

一体誰が、何の用で私を。


頭に疑問を巡らせながら歩を進め、私は応接室の前に立った。

見張りの男性と互いに会釈しあう。彼は扉を二度ノックし、


「ジルコニア・カナリー様がお見えになられました」


簡潔にそれだけ伝えて、返事を待たず扉を開いた。

導かれるまま私だけ応接室に入ると、そのまま扉は閉じられた。




「なんだ、これ───」


目の前に広がる光景に私は思わず、入室の挨拶も忘れて素っ頓狂な声を発していた。


向かい合わせに置かれたソファの間に、テーブル。その上に、ガラスの塊が山のように積まれていた。

比喩みたいな言い方をしたけど比喩じゃない。本当に、文字通りのガラスの山盛りだ。

掌ぐらいの径の円盤が、テーブルの上にうず高く積み上がっている。のみならず、テーブルの下にまで溢れて裾野を形成している。

光をきらきら綺麗に乱反射する様子がまるで芸術品のようだと思ったが、いかに芸術品でも場にそぐわなさすぎる。あまりにシュールだ。


不意に。

かちゃん、と山の麓で音が鳴った。

音のした方、私から見て右手を見ると、ソファに腰掛けていた男子生徒が、ガラスを一個投げ出したところだった。

少しくせ毛の茶色の髪の少年。顎に左手を置いて、悩む素振りをしている。

背中を丸めているのもあって、私の角度じゃ制服のタイの色が見えない。顔立ちが幼いから二年生か三年生だろうか。

くりっとした深緑の瞳には小動物的な愛らしさも漂っているが、表情は真剣そのものだ。

いったい何を思案しているのか、私が入室してきたことにも気づかない。ガラスの山の前でただひたすら思考に集中している。


───いや違う。

よく見たらこれ、全部ガラスじゃない。

珍妙な光景に馴れてよく目を凝らしてみたら、どれも全て魔力が通っている。否、()()()()()()()()()

四大魔法のうち、固体を生み出すことができるのは土魔法のみ。でもこんな透明な土や岩は存在しない。

ガラスの原料は数種類の砂だとどこかで聞いた覚えがあるが、それにしてもガラスを生み出す土魔法なんて聞いたこともない。

一体、どうやってこんなものを。


そんな疑問を覚えていると少年が、自分の右掌を上に向けた。

すぅっと息吸い込み、じっとその掌を見つめる。


涙ぐらいの小さな水滴が、掌に浮いた。

間を置かず、水滴は球形から円盤状へ変形する。

どちらも初歩の水魔法。

この程度の水の生成と変形なら、魔法適性さえあれば子供でもできる。

特別でも何でもない、本当に取るに足らないこと。


ただの手慰み?何かの意味があってこんなことを?


私がそう思った次の瞬間。

きぃんっ、と甲高い音と同時に、水滴が大きく膨らんで掌の上に落ちた。


大きくなった水滴は、テーブルの上で山になっている魔力塊と同じものだった。

中心部がやや膨らんだ、掌サイズの透明な円盤。彼は出来たそれをかざし、窓からの陽射しに当てた。

日光が焦点で収束され、ズボンの膝に光の点ができる。

私はようやくその正体を悟った。

()()()()だ。私が四時限目(さっき)の授業で提出したのと同じもの。


いや、同じという言い方は正しくない。

作り方が全く違う。私は十分な水を出してから成型していたが、彼は原形を一気に大きくした。

製作に掛けた時間は10分の1にも満たない。それどころか、もしかすると100分の1。

完成度の差も見てわかる。私のレンズが稚拙なわけじゃない。でも彼が作ったものは、一瞬本物のガラスと見間違えるほど硬くて純度が高く、私の遥か上を行く。


私は唖然とした。

だが彼は。


「ちがうなあ───」


何が不満なのか、顎に左手を沿えたまま残念そうに呟いて、レンズを山に放り投げた。

そのままぶつぶつと独り言を始める。


「相似拡大もダメ、土で鋳型作るのもダメ、火を入れて温度を高めてもダメ。

 同じように流体固定からカットしても上手くいかないし───何が悪いんだろ?

 成型のやり方の問題じゃなくて、水の純度高めるのがかえって良くないのかな?

 鋼だって鉄以外の成分が重要で、純鉄のままじゃ実用に適さないことが多いし───」


乱暴にソファに背を預け、天井を仰いだ。


「でも水魔法で水以外の成分となると、術式や手順じゃなくオドの問題で───

 不純物が混ざるような濁ったオドをしてないから、これはもう完全に本人の特質由来───?」


そこまで言って少年は、納得したような落胆したような複雑な顔になる。


「あーあ───やっぱりダメなのか───」


男性にしては高いソプラノの声。

具体的に何に対してかはよくわからないが、彼が幾許かの悔しさを抱いていることは明らかに見て取れた。


私は、足元のレンズを拾い上げた。

ひとつだけを近くで見ると、改めてその硬さと透明さがよくわかる。

おそらく、眼鏡や望遠鏡どころかどんな専門的な用途にも堪えるだろう。

いや、宝物庫に所蔵されている芸術品と言っても、誰も疑わないかもしれない。

素晴らしいとしか評しようがない。これと同じものを作れと言われても、今の私には絶対に不可能だ。それほどの技量を以て作られたものだった。


それなのに、この少年は「ダメだ」という。


───カチンときた。


「何が駄目なんだい」


私は思わず、怒りをそのまま口に出していた。


「え?」


彼はようやく私に気づいて、ソファで仰け反ったまま顔をこちらに向けた。


「うひゃわわわわっ!?」


かと思うと、驚きのあまり、まるで弾かれたようにソファから転げ落ちた。

その拍子にテーブルにぶつかり、衝撃で山が崩れる。

その下半身は、あっという間にレンズの雪崩に埋もれた。


私が立ったまま彼を見下ろし、彼が床にへたり込んで私を見上げる形になる。


その制服のタイは私のリボンと同じ赤色、今年の第四学年の色だった。

顔に見覚えはない。


中性的な美少年。改めて見ると、本当に幼く可愛らしい顔立ちをしていた。

喉と骨格からなんとなく男だとわかる程度で、それ以外に男性的な要素は何ひとつ見られない。

グリーンのつぶらな瞳が何?何?と戸惑った上目遣いの視線をよこす様子は、「庇護欲をそそる」という言葉を強く実感させる。


───とりあえず、挨拶をしてやろう。

礼に則った丁寧な自己紹介だ。それから入れば、この状況なら簡単に主導権を握れる。


私はいつもするように顔に微笑を張り付け、右手を胸に置いて目を伏せた。



「初めまして。私は、ジル「ジルコニア・カナリー!」」



───は?


挨拶を遮って、少年が大声で私の名前を呼んだ。


下げた目線を戻して少年を見る。

先ほどまで驚いて呆けていたその顔には、いつの間にか歓喜と興奮の色が浮かんでいた。

口元は笑みを隠そうともせず、目までキラキラ輝いている。

まるで、憧れの騎士様と対面した女の子のようだ。


な、なに?なんだこの反応は?


意味がわからなくて戸惑っていると、彼はまるで子犬が跳ねるように勢いよく立ち上がった。


「うわわっ!?」


だが私へ向き直った拍子にレンズを踏み、足を滑らせて大きく後ろへ倒れこんだ。


頭を打つ───!!


私は咄嗟に風魔法を発動させた。

背中と後頭部の二箇所に、その場で空中停止する強さで。


「は!?」

「いっ!?」


だが意に反してその体は、まるで叩き出されるように私の方へ飛んできた。


彼も同じように風魔法を発動させていて、そのせいで勢いが増幅されてしまった───そう気付いた時にはもう遅く。

私たちは真正面から衝突して、悲鳴をあげる間もなく、もつれ合うように床に転がって。

気付いたら、上からのしかかられる態勢になっていた。


「あっ」


彼が小さく声をあげると、胸ポケットから何かが落ちて、私の顔の右側に転がった。

視線を動かすと、ハンカチに包まれたレンズがひとつ。


それは、彼が大量に作った山の中のひとつじゃなかった。

一目でわかる。私がさっき課題で提出したもの。私の魔力で作られたもの。

透明度も精度も申し分ないが、そこに積まれている完璧な逸品と比べると、明らかに見劣りするもの。


なぜ、こんな所に───?


そう思った瞬間、彼の顔がまた輝きだした。


「こ、これっ!このレンズっ!どうやって作ったの!?」


───は?


「同じものが作れない!

 マナを似せても!オドを抑えても!取り込みかたと出しかたを変えても!

 成型を変えても!純度を高めても!同じ手順を繰り返して最適化してみても!

 なにをどうやっても形が似るだけ!ボクはこんなにきれいに仕上げられない!」


───はい?


「火で蒸留しても!風で空気ゼロにしても!土で濾過しても!近づけることすらできない!

 水魔法しか使ってないのはわかる!でもそれだけしかわからない!

 どうやって作ったの!?簡単なの!?複雑なの!?手順のタイミングがシビアだったりする!?」


いや、あの───


「いったい何がちがうの!?どうやったらこんなレンズが!?

 道具や器具がいる!?いやキミが道具使ってないのは知ってるけど!!

 そうでもないと他にやり方が浮かばないんだ!!何も!!何ひとつ!!」


ちょ、ちょっと───


「だれかに教わったの!?どうやって教わったの!?

 もしかして自分で一から作った!?知識ゼロ独学で!?

 たまにいるよね!!知識ないからかえって想像もつかない技術編み出しちゃう人!!

 すごいよジルコニア・カナリー!!どうやってこんな事をできるように!?」


「え、ぁ、あ───う───」


彼は。

私のレンズを手に。

大喜びとしか形容しようがない、満面の笑みを浮かべながら。

私の反応を窺うことなく。

一方的に言いたいことをまくし立てている。

───私の上に跨ったままで。


言葉が出てこない。

それ以前に思考がついていかない。


私のレンズと技術が褒められているらしいことはわかる。

わかるが、明らかに優れた技術を持つ彼が、相対的に劣る私をなぜここまで絶賛するのか、意味がわからない。


その前になぜ彼は、私に乗ったまま熱弁を奮っているのか。

この態勢になってしまったこと事故だし仕方ない。

ただ、その、何だ。押し倒した状態でいろいろ喋るよりは、普通に立ったり座ったりの方がよっぽど楽じゃないかと思うんだが。

顔も近いし。息が直に届くぐらいの距離で異性に勢いよく色々言われるのは、悪意・敵意・性欲ゼロでもかなり居心地が悪い。


───いや、そもそもの問題として。


「その前に、ひとつ、いいかな───」


どうにか少しだけ心を落ち着けて、ゆっくり言葉を発する。


「うん?うん、何?何か改めて聞きたいことが?」




「───君は、誰だ?」




彼の喜びに満ちていた目元と口元が、一気に大きく開かれていき。

あっという間に「やってしまった」と言いたげな表情になった。


───そう。

どういう経緯か彼は私のことを知っているようだが、私は彼のことを全く知らない。

見た目は小動物そのものなのに、解き放たれた大型犬のように全力で人にじゃれつくような性格。

こんな目立つ子がいたら興味がなくても間違いなく意識に入ると思うのだが、実際知らないものは仕方がない。


「───ごっ」

「ごっ?」

「ご、ごごご、ごめんなさいっ!!気付かなくてっ!!」


彼はようやく状況を把握したようで、やっと立ち上がって私から離れてくれた。

立ち上がり方がほぼ垂直で、案外体力あるんだなと変に感心してしまった。


軽く溜め息をついて体を起こす。

下から見上げると、彼は真っ赤になって心底申し訳なさそうに俯いていた。


ふと髪に手をやると、転んだせいか前髪が乱れて、左目も頬も露出していたことに今さら気づいた。

しかし彼は、私に負の感情を向けていない。傷痕を見て顔をしかめていないし、失礼なことを言う奴だと眉をひそめてもいない。意識的に感情を抑えている様子もない。

少なくとも悪人ではない、ようだ。


などと思っていたら、彼はいきなり右手を胸に置き、左手を腰に回して私の方を向き直った。


「初めまして!」


───いやちょっと待って。

お前は誰だと言われて素直に自己紹介するのはいいけど、せめて立ち上がるまで───


そう思う私に構わず、彼は大きく息を吸い。




「ボクはアシェン・オウル!

 オウル子爵ウィルグが長子、アシェンと申します!よろしくお願いいたします!」



一息にそう挨拶し、礼儀通り、目を伏せて頭を下げた。

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