魔導学院、入学初日
「舎弟ゾロゾロ引き連れて肩で風切ってやってきて、立ちふさがるように広がって威圧する。
縄張りを練り歩いて実力を誇示する新興ギャングかと思ったよ。裏社会ごっこに浸りたいお年頃なのかな」
周囲の空気が目に見えて凍るのを感じた。
先頭で胸をそびやかす金髪碧眼女の顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。
怒りに歪む表情のせいで、折角の可愛らしさを強調したメイクと、それに合わせてふわふわにセットしたヘアスタイルが台無しだ。
他の取り巻きも、程度の差はあれ似たような感じだ。目を吊り上げて怒りを隠そうともせず、私に向かって一方的に敵意の視線を浴びせている。とてもとても見るに堪えない。
彼女たちは女として、今の自分の無様な顔を客観的に見れているのだろうか?
「無様っ──!?」
「おっと失礼、思ったことが口に出たみたいだ。淑女にあるまじき失態だが、そこはお互い様だなレディースギャング諸君」
私は煽るようにからからと笑ってみせた。
歯噛みする音が何人かから聞こえた。
中庭の通路。入学式を終えて講堂から校舎に入ろうとしていきなり呼び止められ、半円を描くように囲まれた。
金髪碧眼女を中心に女生徒が七人。
学院内なのでみな同じ制服を着ているが、全員、きちんと体に合っている。既製品のように袖や裾、肩回りがたぶついたり短くなったりしていない。
わざわざ仕立て屋に注文したものであり、それが可能なほど裕福な家庭、おそらくは高位貴族の息女たちと即座に理解した。
リボンの色はみな私と同学年。入学式では見なかった顔だから、全員第一学年から通っている生徒なのだろう。
生意気そうな編入生に、数に物を言わせて先輩としてマウントを取りにきた、といったところか。
この国では珍しい漆黒の髪と瞳を持ち、顔の左半分を前髪で隠している私は、嫌でも人の目に付く。
見せしめの標的としてうってつけというわけだ。
いいとこのお嬢様だろうに、本当に行動様式がギャングそのもので呆れてしまう。
「───ふん、学院も落ちたものね。こんな品のない低レベルな平民を入学させるなんて」
ボスが口を開く。
「本当にそうですわ。いくら魔導士が貴重とはいえ、そんなに生徒に困っているのかしら?」
取り巻き1が続く。
「慈善のつもりなのでしょう。国立学校ですから適性さえあればお金がなくても入れますし」
取り巻き2が重ねる。
「方針は御立派ですけど、それに付き合わされる私たちの身にもなっていただきたいものですね」
取り巻き3が追って打つ。
「ええ、ええ、本当に」
残った取り巻きが一斉に同調し、頷いた。
言ってることにもやってることにも筋は通ってないが、重要なのはそこではない。
彼女たちにとっては、私を敵に仕立てることで仲間同士で同調しあうこと、それ自体が目的なのだ。
そうして結束を高めつつ、「お前は仲間ではない」と見せつけて、私を歯噛みさせたい。ただそれだけのこと。
仲間外れを何より怖がる価値観の人間───有り体に言えば「嫌な女」の典型パターンだ。
面倒臭い。
周囲に目をやる。
遠巻きに私たちのことを見ている生徒と教師が何人もいるが、見ているだけで誰も止めようとも割り込もうともしない。
面白がっているのか、それとも巻き込まれたくないのか。彼女たちが高位貴族ならおそらく後者だろう。
家柄など知ったことかと正義感を振るえる向こう見ずな破綻者は、どうやらこの場にはいないらしい。
───ちょっと待て。教師?
今この状況を眺めている野次馬に教師がいる?
大声で呼ばなければ聞こえないぐらいの距離に確かに見える、スーツ姿の二十代の女性。
こんな時間に学校にいるスーツの若い女性が教師でないわけがない。
その女教師が、この諍いを見ていながら見ない振りをしている?
家柄に関係なく生徒を管理して、それと引き換えに報酬を貰う契約をしているはずの、女教師が?
ああ、面倒臭い。
「それで、女の子なのにお友達のひとりもいない孤独なあなたは、いったいどこのどなたなのかしら?
いい加減名乗ってもらえない?マナーでしょう?」
「中庭を歩いていた私に蠱毒な君たちが勝手に絡んできたんだろう?名乗るならまずそちらからだ。
ああ、蠱毒と言うには君たちの毒はあまりに弱すぎるが、そこは言葉のアヤだ気にしなくていい」
凍った空気にビキッとヒビが入った。
私を睨む彼女たちの視線が更に険しくなる。
「返しが高度すぎたか?なら新聞を購読して語彙を増やすといい。
勉強すれば、君たちみたいなちっぽけな毒でも銅山の鉱毒ぐらいには成長できるかもな」
「貴女っ!」
下手な韻を踏みながら追い打ちをかけたが、返ってきたのは何のひねりもない怒りの感情だけだった。
八人がかりで雑に殴りかかっておきながら、泣き寝入りせず殴り返してやっただけでこれか。
貴族のくせに余裕も頭も足りてない。何のために親と家の金で学校に通っている。
もういい。こんな奴らに付き合うだけ時間の無駄だ。
望み通り私から自己紹介して終わらせてやる。
「失礼、言葉が過ぎた。お詫びとして、私の方から名乗らせてもらうとしよう」
私は両足を揃え───顔の左半分を覆う髪を掻き上げた。
目の前の全員の顔が強張った。
野次馬も息を呑んでいる。
ひっ、という悲鳴がどこかから聞こえた。
目の周りから頬、顎まで醜く残る火傷の痕。
眉や唇がそのままの形で残っているのが奇跡と言っていいほど大きな傷。
眼帯は外さない。瞼が千切れているせいで、覆っていないと目が乾くからだ。
それでも外せと言うなら別に構わない。えぐられて焼かれた歪な眼球を見せてやるだけのこと。
そのままマナー通り、指を揃えた右手を胸に置き、左手を背中に回す。
「初めまして。私は、ジルコニア・カナリー。
現在カナリーに当主は存在せず、成人後、カナリー男爵ジルコニアとなる予定でございます。よろしくお願いいたします」
目を伏せ、頭を下げてお辞儀をした。
誰も何も言わない。まるで時が止まったかのように静かだった。
ふた呼吸待って顔を上げる。
改めて私の顔を見た令嬢たちから、怒りの表情は完全に消えていた。そこにあったのは、得体の知れないものに怯える恐怖の色だけ。
にこりとわざとらしい笑顔を作ってみせたら、ぞぞぞぞぞ、という擬音が目の前から聞こえた。
顔色を変えた令嬢たちは一斉に逃げ出した。
私に自己紹介を返さないまま、背中を向けて一目散に。
(───ふぅ)
私は鼻から溜め息をついて、前髪で顔を覆い直した。
ようやく眼前から障害物が消えた。
バカはバカでもお行儀のいいバカで助かった。
これが本当に貧民街のギャングだったら、この顔を指さしながら嘲笑い始めて収拾がつかなくなっていたかもしれない。
最後まで名前を名乗らなかった彼女たちは無礼だが、鞄で殴って思い知らせる必要がなくなったことに免じて、なかったことにしてやろう。
(さて)
話が終わって道が開いた以上、もうここに留まっている理由はない。
私が今いるのは中庭の通路、その半ばあたり。
向かって右手に第一~第三の低学年校舎、左手に第四~第六の高学年校舎がそびえ立っている。
今日をもって第四学年に編入した私の行く先は高学年校舎、中庭奥の入口そばにある編入生クラス。
まだ遅刻するような時間ではないが、他に行く所もないし、早めに入っておこう。
校内の散策は後でもできる。差し当たりは教室とクラスメイトの様子を窺うことから───
「あなた」
そんなことを考えながら歩を進めていたら、不意に横から呼び止められた。
首だけ向けるとそこには、先ほど遠巻きに私たちを見ていた女教師。
いかにも向こう気だけは強そうな世間知らずといった顔つきだった。
「見ない顔だけど編入生かしら。いま、エミリア・ヴィンチ嬢と揉めてたわね?」
エミリア・ヴィンチ。流れからしてさっきの頭ゆるふわ金髪女のことだろう。
「それが何か」
「揉め事は慎みなさい。ここは学び舎です。入学初日ですから見逃しますが、次からは許しません。肝に銘じるように」
いつかの聖職者を思い出す高圧的な偽善者の表情で、女はそう言った。
頭が沸騰しながら凍るのを感じた。
職責を放棄して黙って見てただけのくせに。
全てが終った後で、張本人の奴らではなく、一人になった私を狙い撃つのか。
クソ女。
群れに属さない人間を待ち伏せで叩くしかできない卑怯者め。
「殺すぞ」
考えるより先に言葉が出た。
自分ではっきりわかるほど憎悪のこもった冷たい声だった。
ありきたりな脅しではない。明確な殺害予告。
握った拳に無意識に風が巻き、右目が瞳孔まで大きく見開く。
ひゅ、と息を呑んだ女の顔が、みるみる青くなる。
喧嘩を売った自覚もない上から目線の弱虫が、本気の殺意を返された時の典型的反応。
学院内で教師の立場から女生徒に物を言うなら絶対安全だと思っていたんだろう。クソ女が。
格付けは終わった。こいつは永遠に私には勝てない。
私は女を置いて、黙って校舎の入口へ向かった。
校舎に入って予鈴が鳴った後、中庭で図書館の司書教諭が過呼吸で倒れたと騒ぎになったが、どうでもよかった。
───13歳の私は、この世はどこまで行っても敵しかいないゴミ溜めだと思っていた。
今、その認識は正しいものだったと強く実感している。
衣食住にも事欠くゴミ溜めと、衣食住には困らないゴミ溜めという程度の違いがあるだけ。
人の悪意は何処にでも必ず顕れる。
私の顔と傷は、その悪意を引き付けて離してくれない。
でも。
この傷が消せなくても。
この世から悪意がなくならなくても。
悪意を押さえつけて斬り捨てることはできる。
大勢で群れないと口もきけない雑魚。
後ろ盾を持たないと何もできない盆暗。
独りで地獄から這い上がってきた私がそんなものに負けるものか。
殺せるなら殺してみろ。潰せるなら潰してみろ。
何度でも生き残ってやる。何十度でも這い上がって叩き潰してやる。
力がいる。
身を守る暴力としての魔法。
魔法をより効率的に使いこなすための実践理論。
自分を高めるための教養と学科。
まだ足りない。
貧民街から抜け出すだけの力じゃまだまだ足りない。
もう二度と踏みにじられないために。
何処に行っても自分を守れる力を。技を。武器にも防具にもなるあらゆる知識を。
私は、それを求めてここに来た。
ジルコニア・カナリー。
次期カナリー男爵。
国立魔導学院第四学年、編入生クラス所属。
それが、今の私の肩書。
15歳の春。