Lesson 76 交錯する想い
ジャスパーは幼馴染で私にとっては良い友人だけど婚約のお披露目パーティーでもあるこの場でフォルティス以外の男性の腕に長く掴まっている所を見られたら、有る事無い事噂が広がるかもしれない...と、とりあえず此処は正直につまづいて転倒しそうになったところを助けて貰ったと説明しよう!
そんな事を考えながらアドリアナはバルコニーの方向へ振り向く為足にもう一度力を入れようとしたがやはりいつも通り歩けずふらりと足がもつれる。
「アドリアナっ?」
ジャスパーの支えていた手から離れていたアドリアナはバランスを崩し前に倒れそうになった...
ポフッ
ん?〝ポフッ〟?
これは...明らかに男性のシャツとタイだわ...
アドリアナは倒れそうになったが誰かの胸に顔を埋めるようにしてもたれ掛かり前に倒れずに済んだ。眼前に見えるシャツとタイが男物だと気づいたアドリアナは視線だけ上に動かして助けてくれた人物が誰なのか確認しようとする。
イヤ、誰よ?顎しか見えないし此処、薄暗いから誰かわかんない...ってあれ?この香りってまさか...
ドクンッ
アドリアナの背中に軽く回されていた手にグッと力が入り何故か身動き出来ない状況になったアドリアナは動揺する。
え!?な、なんで...?抱きしめられてるのっ?顔が見えないけどこのオリエンタルでスパイシーな香り...フォルティスよね!?...って力強くて動けないし私、さっきからフォルティスの胸元しか見えないんだけどっ!?
倒れそうになったところを受けとめた相手がルークだと知るとアドリアナはジタバタと抵抗し始めた。しかしルークにガッチリと捕まっていて無駄な抵抗に終わった。
「あー...暴れないでじっとしててくれる?浮遊も使えないくらい酒飲むって...君まだ未成年だよね?」
「...え?お...さけ!?」
頭の上から聞き慣れたフォルティスの飽きれ返ったような声が聞こえてきて呆然とする。
「やっぱりあのグラス...酒だったのか。...アドリアナ、知ってて飲んだ...わけないか」
ジャスパーはアドリアナがルークに抱きとめられたまま頭をぶんぶんと横に振っているのを見て察した。
「テオドールが飲まずに置いて行って...まさかお酒だとは...っ」
ああ〜!?何で飲んだの!?でも炭酸がシュワシュワして凄く美味しそうだったんだもん、あれは誰でも飲むでしょっ?
「はあ...まあいい、君は今日のパーティーの主役だけど婚約披露は終わってるし早々に帰らせてもらおう...ジャスパー」
「...なに?」
「それは返すのはいつでも良いから」
返す?何を訳わかんない事言ってるの?
「なんで...気づいて...っ?」
「それにはフォルティス家特有のオーラが染みついてるから...でもたいして重要な物でもない...今はマレ令嬢はこんな状態だしまた改めて話せばいい」
んん?何の事?2人は...何の話を...しているんだろう?
ルークの視線の先にはジャスパーの胸ポケットがあったが当然アドリアナには見えていない。
「ルーク...君はアドリアナの婚約者になった気でいるけどすぐに捨てられるよ?」
え?ちょっと...ジャスパー何言ってんの!?
そう声に出したかったが、再びルークにギュッと抱きしめ直されて口元がルークの胸にぶつかりそのまま身動きが取れないアドリアナにはどうにも出来そうもなかった。
「ああ...マレ令嬢がこの世界の人間じゃないからって事?」
「ム...むぐっ...!!」
ルークの思いがけない一言に動揺したアドリアナが暴れ出したがすぐにルークに押さえ込まれている。
「知ってたのか?」
「承知の上で婚約したから心配しなくてもいい。僕も同じ世界の記憶を持ってるから...マレ令嬢と同じ世界の記憶をね」
「な...嘘だ...!」
フォルティスが私と同じ日本に記憶を持ってる事、トラヴィス侯爵とジャスパー達にはまだ言ってないのに...!双子はフォルティスの事嫌ってるから言ったら余計仲悪くなりそうだったし言いづらくてつい言うのを先延ばしにしてた私のせいなんだけど...はあ、何で私の前で言うのよ〜っ!?...ていうかさっきから口がフォルティスの服で塞がれてるし声出せないし!こうやってフォルティスに抱きしめられてると...暖かくて頭がボウっとしてきて...あれ...?なんだか眠...い...
「嘘だと思うのならマレ令嬢に聞いてみるといい...僕の前世の名は...」
〝前世の名は〟?その続きを聴こうと何度も閉じそうな瞼を必死に開けようとしていたが睡魔に抗えなかったアドリアナは眠りに落ちた。
**
「...ふう」
アドリアナの部屋へ空間移動したルークは眠ってしまったアドリアナを抱き抱えたまま寝室のベッドにゆっくり降ろした。
それにしても...たった一杯で寝てしまう程酔うって...アルコールに弱いのか?
前世で亡くなった時20代で働いていたから当然酒も煙草も知っている僕はあの位の量の酒で酔う事に驚いた。女子ってそんなもんか?...それともマレ令嬢が弱いだけか?
ルークも成人前だが今年に入ってアルフレッドと時々酒を飲む事があった。
アルフレッドは〝成人になる前の練習だ〟と言っていたが...練習しなくてもあいつは強かったな...
「どっちにしろ危険だな...パーティーでは気をつけるように言わないと」
マレ令嬢とダンスを終えた後僕はディアス卿に話しかけられ、彼女はマレ侯爵とダンスをする事になりそれからはそれぞれでパーティーの出席者達への挨拶をしていた。今日は第2騎士団の護衛が彼女にはついていたから放っておいてもいいかと思ったが次に彼女を見かけた時にはアルドル卿と2人でバルコニーへ出ていく姿だった。まさか婚約披露のパーティーで従兄弟とはいえ人気の無い場所へ連れ出すとは...非常識な奴だと思いながらマレ令嬢が好意を持つアルドル卿に注意する事はマレ令嬢にとっては余計なお世話だろうと考えると足が前に出なかった。僕達はお互い利害関係が一致する気持ちのない婚約をしたからだ。だが...アルドル卿と入れ替わるようにしてジャスパーがバルコニーへ入っていくところを目撃した時はこれ以上放って置けなくて...まあ行って正解だったけど。
眠っているアドリアナを覗き込むと丁度カーテンの隙間から月明かりが差し込みアドリアナの寝顔が月に照らされるとルークの心臓がドクッと大きな音を鳴らす。パーティーで侍女達もほとんどいないこの屋敷の一角からは足音すら聞こえてこない。ルークの心臓の音は普段より大きく聴こえて止まらず速くなっていく。
は?なんで...寝顔くらいで鼓動が速くなるんだ?これは...僕じゃない。僕がマレ令嬢を見てそんな事考えるはずが...そうだこれは...
「真尋...?」
眠っているはずの彼女が僕のすぐ目の前でその大きな瞳を開けてジイッと見ていた。至近距離で聴こえた彼女の声に驚いて思わず後ろに飛び退くと僕の心臓の鼓動は先程より大きく聴こえた。な...寝てたんじゃなかったのか?それに今...
「真尋...大丈夫、私も居るから...ほら」
「え...ちょ...」
もしかして寝惚けてるのか?
それ程離れていなかったのか僕の方へ伸ばされた白くてかよわく見える手が僕の手を掴んだ。掴んだその手を思いのほか強く引っ張られた僕はマレ令嬢の上に被さるように倒れた。
「フフッ...これで...真尋は寂しくないね?」
寝ている時は加減が出来ないらしく僕は今、かなりな力で背中を腕で捕獲されている。
「マレ令嬢?よく見ろ!僕は真尋じゃない...いや真尋は結局僕だけど...」
いやそんな事より重くないのか?僕の全体重乗っかってるぞ?
がっしりと背中に腕を回されているから身体を横にずらすには少々骨が折れたが抱きつかれている状態は変わっていない。彼女は眠っているからいいかもしれないが僕はこの状況から抜け出したいのに抜け出せないでいる...風の魔法が使えればマレ令嬢を押し除けるのは簡単だが...
「んん...」
背中に回された腕に再びギュウッと力が入るとマレ令嬢のターコイズブルーの柔らかい髪が僕の首元をくすぐってきた。髪から香るフローラル系の甘い匂いにクラクラした僕は何故かマレ令嬢の背に腕を回しそうになってはた、と気付く。
「はー...風の魔法が使えたとしても...殆どの男はこの状況を甘んじて受けるだろうな...」
ここ数日の忙しさも祟ったのか僕はマレ令嬢の心地良い暖かさに包まれたまま睡魔に襲われ目を閉じた...
「...え...っと?この状況って…ど、どういう事なのかなあ?」
翌朝早く目が覚めたアドリアナは背中に何かがずっしり乗っている重みを不思議に感じて身じろいだ。アドリアナが動くと耳の後ろに生暖かい空気が掛かってきて一瞬固まってしまったが恐る恐るその生暖かい空気の正体を確認したアドリアナの頭の中は混乱した。
何で...フォルティスが此処で寝てるのよ!?しかも...後ろから抱きしめられてるって...!?はあ〜...朝からキツいわよ?この状況!!
「く...っ!う...ん...はあっ、だ、ダメだわ...」
何とかフォルティスの腕から抜け出そうとしてみたけど...お腹全体に腕がしっかりと回されてて少しもビクともしないし!はあ...疲れた...
「...っ!?」
アドリアナが疲れて力を抜いた途端、アドリアナの身体は半転して気がつけば目の前にルークの顔が目の前にあった。アドリアナがもぞもぞと動いたせいでどうやら寝心地が悪かったのかルークは態勢を立て直す拍子にアドリアナを引き寄せたのだった。
力...強いっ...どうしよう...ドキドキが止まらないんですけど...!!ちょっと心臓!うるさいから静かにしてっ!!フォルティスが今起きたら...
「...ん」
駄目...今はまだ起きないで〜〜っ!!
しかしアドリアナの願いは無情にも裏切られた...




