Lesson 64 ハイドバーグ家上空
取り敢えずハイドバーグ卿の酒場に行くか...
リーブス令嬢はトリトン王国に勉学目的で留学している。デビュー前で大人しい性格という事からルシウスの貴族には顔が知られていない。社会勉強の為に庶民であるハイドバーグ家に居候している...という内容が僕が調べさせた限りのリーブス令嬢についての表向きの情報のようだが...
「これで騙し通せると思ったのか?...甘いな」
いくらトラヴィス侯爵の魔具でオーラを消しても僕が君のオーラに気づかない筈が無い。
確かにオーラを消す魔具をつければオーラを感知する能力を持つ者に気づかれる事は無いがルークは例外だった。至近距離内であれば魔具の有無関係なく僅かに洩れるオーラを現在のルークは感じ取る事が出来る。ましてアンカーズ帝国学院で数年間共に学んでいるアドリアナの慣れ親しんだオーラを見逃すはずが無いのだ。
この国に来た時は半径200メートル以内に全くマレ令嬢のオーラを感じなかったからまたハズレかと思ったけど...〝氷雪の女王の間〟で僕になるべく近づかないようにしていたのは僕の鑑定眼で正体がバレるのを怖れてたんだな。
「ルーク!前に竜がいるぞ」
「竜...!?」
ソーマに言われて前方を見るとハイドバーグ家が営む酒場の上に今飛び立ったばかりと思われた見覚えのある黒竜がいた。あの竜はメルクアースの王宮に現れた...
「あの魔導師の竜だ!!ソーマ追いかけろ!」
嫌な予感がする。黒竜に乗り黒いマントを羽織っているダビデの後ろ姿は確認出来るが...何故此処にいる?何が目的で...まさかマレ令嬢も一緒なのか?
ダビデはルークと銀狼が後を追っている事に気づくと紫色の瞳は不気味な光を放ちながら短髪のはずの黒髪はザワザワと伸び始め...ニヤリと不敵に微笑う姿はもはや人では無かった。ダビデと目が合ったルークはダビデの別人のように変化した姿を見て絶句した。
アイツは...まさか...!?
ルークはすぐに魔法を仕掛けようと右手を挙げたが先程頭に過ぎったある可能性に躊躇し右手を下ろす。
《この女はあの方の為の新しい器だ。あの方の忠実なる下僕の私があの方を目醒めさせた時、この女はこの世界を支配するだろう。...フフフッ楽しみにしているがいい魔導師よ》
やがてルークの頭の中に直接響いて聴こえてくるダビデの声が途切れたと同時にダビデと黒竜は跡形も無く消えた。
「ちょ、待っ...はっ...やられた...!空間移動されたらこれ以上追えないだろ...っ」
ルークは苦虫を噛み潰したような表情で何も無い夜の闇を睨みつけた。
〝この女〟って...やっぱりマレ令嬢が一緒だったのか...クソッ。僕がもう少し早かったら連れて行かれる事は無かったのに...!こんな事になるならマレ令嬢が失踪した理由を聞き出す為に泳がせるとか小細工なんて考えないでさっさとルシウス帝国へ連れて帰れば良かった。まさかトリトン王国の海賊よりタチが悪い奴に目をつけられるとは...
ルークが危惧していた事以上の出来事が現在起こりつつあった。アドリアナはトリトン王国の王権争いが原因で海賊に攫われた訳では無く、メルクアース国で会った魔導師ダビデという仮の名を持つ...
「まさか魔族に連れて行かれるとはね」
ボソッと呟いてソーマに方向転換させたルークはハイドバーグ家の酒場に向かう事にした。
先ずは情報を集めないと...ダビデ...いやあの姿は...僕の記憶が間違いで無ければアイツは〝アスタロト〟だ。フェリシティに恋焦がれていた前の僕はアスタロトに甘い言葉で誘われ...器になった。今度は器になるつもりは無いがまさかマレ令嬢が器に選ばれるなんて...?しかもアスタロトが現れるのは1年以上もまだ先のはず...時期が早過ぎる。少しづつ未来が変わっているのは解ってはいた...だが彼女だけは器になる事は絶対避けなくてはならない...彼女が器になってしまったらこの国、いや世界は終わりだ。
**
「アドリアナ!!」
バンッ
ハイドバーグの酒屋の扉が荒々しく開かれるとランチで営業中の店内にいた客達が一斉に扉の方を振り返った。其処には息を切らしたテオドールが立っていた。
「見たところどこかの騎士のようだが今はランチで見た通り忙しいんだ。...何か用ならあっちの席で待っといてくれ」
サラは昨晩リンが帰って来なかった理由をエリアスに聞いていた為か寝不足でいつもの元気は無く静かに言った。エリアスは昨晩帰って来たがリンの捜索の為にすぐ王宮へ戻っていた。
「リンは絶対連れ戻す!だからいつも通り店を空けててくれ」
リンの事が心配だがエリアスの言葉と常連客達を思い出しサラは自らを奮い立たせ働いている。
「こちらの店主か、騒ぎ立てて申し訳ない...店主の手が空くまで待たせてくれ。私は...」
「私達はルシウス帝国から来た第2騎士団の者です。店主、私達もランチをお願いしてもいいでしょうか?」
テオドールの後から入って来た黒とボルドーを基調とした騎士服を纏った女性がサラに告げると店内の客達はまたも騒めいた。
「女性の騎士様だわ〜!美人だし素敵っ!!」
「あの方だけマントが豪華ね?」
「馬鹿っ!ルシウスの第2騎士団と言えば団長は確かアルドル公爵...」
女性客達の心を虜にしてしまった騎士はテオドールの母、ディミトラだった。ディミトラは顎をくいっとして見せると後ろに居た部下達は心得たといった感じでテオドールを両側で固めて奥のテーブル席へ連れて行った。
「勿論お客なら大歓迎さ」
**
ちょうどその頃、トリトン王国王宮の庭園ではライラ王女が急遽セッティングした昼食会が開かれていた。氷雪の女王祭りの前夜祭の翌日という事もあり、遅い朝だった為皆朝食も兼ねている。招待されたティナ、リリアーナ、ラインハルトは前夜祭とは打って変わってゆったりとしたカジュアルな服装だ。
「はあ〜〜っ!?えっ、何!?じゃあ...あのリーブス令嬢がアドリアナだったってワケ!?」
ティナは素っ頓狂な高い声をあげると口に入れかけていたスコーンの欠片を思わず落とし、隣に座っていたリリアーナが落ちる寸前に小皿でキャッチすると小さく安堵の声を漏らした。
「もう...ティナ!」
「ゴメーン!...だって驚いたんだもん!...って事はあんなに近くに居たのに私達アドリアナに気づかなかったワケでしょ?魔具でオーラを消してたとはいえショックよ〜!!」
「アドリアナは私達には言えない何かの為にトリトン王国に来たのですわ。...私達に知られる訳にはいかなかったのでしょう」
「じゃあフォルティス公子の婚約者ってアドリアナだったって事よね?フォルティス公子は最初っから気づいてたっぽいのに〜〜っ!!」
本気で悔しいのかティナは持っていたフォークを目の前のキッシュに突き刺した。リリアーナは間髪入れずに「王女様の前ではしたないわよ?」とティナを叱っている。
「パラス令嬢、アイツに負けるのは仕方がない。ルークは大魔導師だからな...」
「解ってるんです...そんな事...でもっ、アドリアナの親友なのにって思ったら悔しい〜〜!!はっ、それより〝婚約者〟っていつの間に婚約してんのよ?あ!まさかっ!メルクアースでの婚約式の事言ってんの!?アドリアナ何も言って無かったし...絶対オッケーもらってないでしょ!!」
メルクアース国でセシリア皇女の姿で婚約式に参加していたティナは全てを悟った。メルクアース国のヴィンセント王子に連れ去られた時の話をアドリアナから聞いているリリアーナも何となく理解した。あれは作戦だった...とはいえ〝公の場での貴族の婚約式は有効〟...これがフォルティス公子とアドリアナに適用されたのだ、と。
「フェリシティが居なくて良かったですわね」
フェリシティは昨夜〝ルークが婚約者を送り届けに行った〟と聞いて傷心のままルシウス帝国に帰っていた。元々フェリシティはアルフレッドに頼まれてパーティーに参加していた為今日帰国予定だった。
「フォルティス公子...ちゃんとフェリシティに説明してないわよね?婚約者がアドリアナだと判った時の修羅場が想像するだけでコワイ...」
ティナとリリアーナ、ラインハルトの話を聞いていたライラは少し寂しそうに微笑んだ。
「まあ、リンったらこんなに仲が良い令嬢達がいたなんて私知らなかったわ。私はリンの友人だと思っているのだけど...私も貴女達の友人になれるかしら?」
「勿論っ!!ライラ王女様もお友達ですっ!」
「え...」
ティナがライラの両手を包み込むように握り断言するとリリアーナは「畏れ多いですわ...」と呟いた。
「それにしてもルークがリーブス令嬢...いやマレ令嬢を追いかけた後戻って来ていないが...何かあったのか?氷雪の女王祭りで忙しいせいもあるがなんだか王宮内がバタバタしているような...」
「あ...実はその事で皆様を昼食会に招待しましたの。...私は詳しく教えて頂いておりませんがリオ殿下が通信用の魔具でフォルティス公子から受けた報告によると...リンは魔族に連れ去られたようなのです」
「テオドール、もっと冷静に行動しないと...すぐに表情に出るところは父親にそっくりね」
「父上に似てる?俺が?」
心外だ...アルドル公爵家の跡継ぎであった母上と結婚した父上は剣を取る事は無く...筆を取り、アルドル公爵家が代々騎士の家系である事から母上が公爵となった。俺が尊敬しているのは母上だけだ。
うーん...テオドールの家複雑だったんですね...




