Lesson 45 誓いの・・・
開かれた大広間の両扉の向こうは歩いてきた回廊と一転して目が痛くなるような眩しい光で溢れかえっていた。フロアの至る所で煌びやかな貴族達が楽しげに談笑する姿が目に入るとアドリアナは一瞬目を細めた。2人が入ってきた扉は大広間の階段の上の入り口でどうやら此処は王族が登場する為の扉のようだ。侍従がヴィンセントの入場を知らせるとパーティーに出席する貴族達の視線が一気に此方に注がれ一瞬怯んだアドリアナだったが、ルークに組んでいた腕をグッと引き寄せられ驚いたせいか緊張が幾分か楽になった。
「あれは南瓜か人参とでも思っていればいい...ああ、そうだな、君の好きなチョコマフィンと想像すればいいよ」
「...なにそれ>>」
この人何変な事言ってるの?...危うく吹き出しそうになったし...まあでもおかげで緊張が解れたかな?
アドリアナはメルクアース国自体初めてでメルクアースの民に会うのも初めてである。慣れない場所で値踏みされるような視線に晒され脚が震えていたがルークの言葉にふっと肩の力が抜けていった。
階段をゆっくり降りていくと待ち構えていたかのように此方を睨みつけている貴族令嬢の集団が楚々と駆け寄ってきた。華やかな令嬢達の中の先頭にいる5人は中でも一際目立つ容姿と個性のある令嬢達だった。
「初めてお目に掛かります、マレ令嬢?私は側妃候補のオフィーリアと申します」
メルクアース国特有の褐色の肌に長く美しい黒髪の神秘的な雰囲気の令嬢だ。
「同じく側妃候補のロザリンと申しますわ」
此方の令嬢は日本人に近い肌色で茶色の髪はふわふわのウェーブ、癒し系の可愛いらしい微笑みはアドリアナもドキッとさせられた。
か、可愛いっ。
「私達同じ側妃候補ですもの、仲良く致しましょう?ヴィンセント様は公平に私達を扱ってくださいませ」
褐色の肌にヴィンセントと同じ栗色の髪、5人の中では年長に見える令嬢はルークに流し目を送り唯ならぬ色香を漂わせている。
こんなに女性を侍らすなんてヴィンセント王子にそんな魅力があるとは思えないんだけど?...やっぱり地位と財力に惹かれるのかしら?
隣にいるルークをキッと睨んでしまうのはルークがヴィンセントのフリをしているせいだ。
「あら、マレ令嬢はまだそういうお相手では無さそうですわ」
「そうですわね、まだお胸も貧弱ですし...ヴィンセント様、今日は私の部屋へいらして下さいませ」
「・・・・・・」
なにコレ...見た目は綺麗なのに失礼なんだけど?...この人達私が昨日ヴィンセント王子の部屋に泊まった事知ってるんだ。
5人の貴族令嬢はアドリアナとヴィンセントを取り囲んで口々に好きな事を言っている。令嬢達のせせら笑いと不遜な態度を見るに昨夜は2人の間に何もなかったと高を括っているのだろう。...確かに間違いではないが。一応側妃候補という同じ立場である以上、アドリアナは彼女達を適当に遇らう事が出来ずなかなかこの場から立ち去ることが出来なかった。
ルシウスでは公の場でこんなあからさまな内容の会話をする事は非常識と思われる為誰もしないが、この国では許されるらしい。側妃候補の後ろで此方の会話を聴いている令嬢達は誰1人非難の目を向ける事なく周りの貴族達も素知らぬ顔で此方の様子を眺めている。
「はあ......」
側妃達も非常識だけど周りの貴族達も最低ね。メルクアース国は腐敗してるわ。
アドリアナは玉座に座るメルクアース国国王をちらりと見た。
メルクアース国のカール国王は妻は王妃1人の愛妻家だ。現国王の穏やかで優しい性格は貴族達を抑止する力がなく今は貴族達の言いなりだと聞く。次の王があのヴィンセント王子じゃあますますメルクアースの貴族達は大きな顔でメルクアースを闊歩するに違いない。
それにしても...カール国王や王妃には一度も御目通りしていないのにいきなり婚約式って...
本来なら婚約式と言えば何ヶ月も前から計画されるものだが、ヴィンセント王子は既に婚約式を済ませた側妃候補が5人いる為、今回のように突然決定した婚約式であっても周囲はさほど驚きはしなかったようだ。
「マレ侯爵令嬢、初めてお目に掛かれて光栄です。メルクアース国第2王子リカルドと申します。側妃様方、申し訳ありませんがもうすぐ式が始まりますので...さあ御二人共此方へ...」
側妃達に囲まれて動きが取れずにいた私達を助けてくれたのはヴィンセント王子の弟、リカルド王子だった。
**
キルケ王国王宮ーーー
「ティナっ!」
「リリ」
リリアーナに呼び止められて振り返ったティナは前を歩くアレックスとテオドールに後で追いつくから先に行って欲しい、と告げた。アレックス達は先にメルクアース国へ潜入しているルークの後を追う為の準備が終わり、ティナもアレックス達と一緒に同行する事になっていた。リリアーナも勿論同行を申し出たが、ティナに比べて戦闘用の魔法の使用に慣れていない事とリリアーナを心配するラインハルトの反対もあり泣く泣く同行を断念した。
「何もティナが行かなくても...!フォルティス卿やアルドル卿にお任せすればアドリアナはきっと助けられますわ」
「うん...でも今回は一国の王宮からアドリアナを取り返すっていう難題なミッションだから。作戦には柔軟な女子の助けも必要でしょ?」
「それはそうですけど...無理は駄目ですわよ?」
「解ってるって〜っ!...フフッ、リリは大事にされてるなあ〜?ラインハルト様...私が帰ってくる頃には進展しているといいですね!?」
にまにまと表情を弛めたティナはリリアーナの一歩後ろに佇んでいたラインハルトにバチン、とウィンクして見せた。
「ティナ!今はそんな事...」
「勿論そのつもりだ」
耳をほんのり赤く染めているラインハルトから躊躇なく返ってきた返事に満足したティナはニコッと微笑って頷いた。
うん、この方ならリリを任せても安心ね。
**
「ヴィンセント・イグニス・オブ・メルクアース其方は此処にいるアドリアナ・ステラ・マレと婚約する事を誓うか?」
アドリアナは今、この世界に来て初めて人生を左右するであろう重大な選択を迫られていた。此処はメルクアース国の王宮でメルクアース国王と王妃、数多の貴族達を前にして....この選択で〝NO〟と発する事は許されていない。だが本当にルークの言う通り〝YES〟と言って良いのだろうか?悶々と直前まで悩んでいたアドリアナだったがあっという間にその時は来てしまった。
「はい、誓います」
・・・!!ホントに誓ってる!!この人っ!?
いやフォルティスが婚約式に出るといった時点でそうだろうとは思ったけど...!
外見はヴィンセント王子だけど中身はフォルティスで...演技とは解ってるのにどうしたんだろ...?なんで〝嘘〟の婚約の誓いなんかで私...どきどきしてるの。
「アドリアナ・ステラ・マレ...其方は此処にいるヴィンセント・イグニス・オブ・メルクアースと婚約する事を誓うか?」
「・・・・・・」
ど...どうしよう?私の〝誓い〟の番だ。
ちらっと見上げると涼しい表情でルークが此方を見下ろしている。
《いいから早く》
口唇を大きくゆっくりと動かして声は出していないがそう言っているのがアドリアナには理解出来た。
こめかみから一筋、イヤな汗がゆっくりと流れてくる...
ルークの急かしているのに冷静で冷ややかな視線と誓いの言葉を導くメルクアース国の忠臣であるエルガー公の鋭い視線が此方に注がれ、ますますアドリアナの焦燥感を駆り立てた。そしてついに...
「...誓います」
と言ってしまったーーー
アドリアナが誓いの言葉をなかなか口に出さなかった為大広間に集まった招待客達はざわめき始めていたがアドリアナの言葉を聞くや否や誓いの言葉の余韻を掻き消す様な喝采がそこら中から沸き起こった。
「......は......いの.........を」
アドリアナは誓いの言葉を言ってしまった事を後悔しながら口唇をきゅっと結んで俯いていたが不意に顎に手を掛けられて顔を上げられ我に返る。気がつくと目の前にはヴィンセントの顔が迫っていた...
は...?え!?
周囲の歓声で掻き消されたエルガー公の大事な言葉をアドリアナは聴き逃していた。
『それでは〝誓いのキス〟を』
気がつけばヴィンセントの顔が私の目の前にあってそのアッシュグレイの瞳は少しずつ熱を帯びた様な赤い...ガーネットのような深い赤色...え?...なんで赤!?
すぐ目の前に見えるその瞳はあっという間に深いガーネットの様な赤色に変わっていて、ふわりと被ったターバンから少し見える明るい肌色をした額からはらりと下がるサラサラの前髪は薄紫色だった...と思う。距離が近すぎて定かではないんだけど...
アドリアナがその疑問を解決する暇も無く、ヴィンセントの...いや姿は完全に戻っていたルークの吐く息がアドリアナの口唇へ掛かった。生暖かい空気に触れてアドリアナがビクッと肩を揺らしたと同時に、それはすぐに覆うように塞がれた。
「え...ええ〜〜っ!!??やだあ〜っ!(嬉しそう)」
「な...アイツ...!!何やって...クッ...」
「あー...(やっちゃったか...それもこんな大観衆の前で)>>」
メルクアース国舞踏会に潜入中のティナとテオドールとアレックスの反応。




