【モノガタリ】「カ」と「ケ」
【「カ」と「ケ」】
「そうですか……
私は“あの人”のために、この身を炎で焼くのですか……」
坊やの口からその事を聞いたとき、信じられなかった。
だって
これまで私は誰からも水をもらえなくなって枯れて死ぬだ、と確信していたのだから!!
パサパサに枯れて死ぬところが主人とともに焼かれて死ねることになったのだ!!
これ以上のエンディングがあろうか。
絶対にない。あるはずがない。
私はただただ嬉しかった。
私は“あの人”の葬儀を鉢から顔をのぞかせてまだか、まだか、と首を長くして待っていた。
“あの人”というのは、文江という女だ。文江は昨日、歳65にして他界した。
この時代でそこまで生きれば長生きしたといえよう。
彼女が私と紙幣を交換したのは去年の夏のころだ。
花屋前で立派に派手に咲いていた私は買われた。
『この身が枯れるまで、この人の残り人生を私の美しい黄で照らしてやろう』と張り切っていた。
それが生きがいだったが、文江の方に先に逝かれた。
私はこの家で文江と坊やとの3人で暮らしていた。
坊やは遠い親戚の家に引き取られるのだという。
つい先日“こだま”に乗れるのだと喜んで私に話しかけてきた。
――そして昨日
真剣な表情をした坊やが花瓶の前に座った。
さっきまでガラス窓越しに眺めていた夕陽の方から、坊やの方へ黄色い顔を向けた。
何があったの?と聞くことは私にはできない。
ちょっと待っていると坊やが口を開いた。
「おばあちゃんが死んじゃったんだ。」
えぇ、知っていますよ
「それでなんだけど」
えぇ。 それで?
「おばあちゃん、菊江さんの事すごい可愛がっていたから……
その……おばあちゃんの“ひつぎ”に入れたいんだ」
わ、私が? 本当に……? ……いいのかい?
「いいかな……?」
可愛がってくれた文江と一緒にあちらへ行けるなんて……!!
私は涙を流した。心の中ではなく、実際に。
葬式は明日の13時。
私はその時が来るまで、私は窓の景色を眺めているつもりだった。
一匹の蚊と一本の毛のやり取りを見ていた。
蚊。
その名をカナというらしい。
どこから来たのか分からない野良の蚊。
そして
毛。
どこから生えている毛か?
それは腕だ。それも坊やの右腕。腕から生える数えられないほどあるうちの1本。
その1本だけ他のよりも色が濃く、長い。
それがケイタだった。
私が葬儀に参加できると知ってから3時間経った、夜の8時の頃だった。
あたりはまだ少し赤かった。
すると誰かの怒りの声が聞こえた。
「カナ!!!!! なんで毎度毎度、坊やのからだに穴をあけていくんだ!!!!!!!!」
「あら、ケイタ。
仕方ないじゃない。私、蚊なんだもの」
「? 蚊だったら何なんだ」
「私たち蚊はね、血を吸わなければ生きていけないの」
「吸わなかったら死ぬのか……?」
「ええ、たぶん。 それに……」
「それに、なんだよ」
「私のお腹には赤ちゃんがいるの」
「……そうなのか」
「この子たちに栄養を取らなければいけない。だからこれまで以上に血が必要なの」
「……そうだったのか 最近あんたが腹をだるまのようにしていたのはそういうわけか」
「そういう事よ」
「旦那は何しているんだ? 血は運ばないのか?」
「2時間前に蚊取り線香にやられて死んだわ」
「……!!」
「それに血を吸うのは私たちメスだけよ」
「知らなかった……嫌がらせでここに来ているのだと思っていた」
「ふふっ、子のために必死よ」
「すまなかった」
「なんであなたが謝るのよ……
事情があるとはいえケイタの主人である坊やに迷惑かけているのだから、
謝るとしたら私よ……」
「カナはまたここ(皮膚の上)に来てくれるか」
「えぇ。すぐしたら、ここへ来るでしょうね……」
カナはどこか飛んで行ってしまった。
卵を抱えた一匹の蚊。
腕から生える1本の毛。
そのやり取りを私は陽に目もくれず、じっと見ていた。
一匹の蚊が私の自慢の花びらの前を通り過ぎた。
カナだった。
「あ、待っていたよ!」
カナが上陸するのを毛嫌いしていたはずのケイタが、
彼女が来るのを待っていたのだ。
誰から見ても嬉しそうな顔をしていた。もちろんカナから見ても。
「ふふふっ…… 血を頂戴しに来ました……」
そして2人の会話が再開する。
「あんなに警戒されていたヒトに、こんなまなざしを向けられるとはね」
「えへへ」
「…… あははっ」
「その……さ、俺はこうして身動きが取れないのだけれど何かキミのためにできることはないかな」
「うーん、そうねぇ」
「何だっていい、カナの力になりたいんだ!」
「……じゃあ」
「うん! なに?」
「じゃあ、ケイタのそのカラダをあちらに反らしてほしいな」
「? あぁ……分かった」
「もうちょっと反らせない?
それだと私の羽が他の毛に当たって、ケイタのもとに着地できないよ……」
「むぎぎぎぎぎ……っ!!!! これが限界……だ」
「結構、結構。 じゃあそちらに行くね」
唖然とした。
私が菊として生を受けてから、この世には“異種間での恋”なるモノがあると小耳にはさんだ。
しかし……
こんなケース誰が考えようか!!
そこでは一匹の蚊と一本の毛がまさに恋におちていたのだ!!!!
私には関係ないはずだった“恋愛”が目の前で……!!!!
独身の私は感動した。
陽の光なんてもうどうだっていい……
一瞬たりともこの恋愛を見逃さない、見逃すものか!!
「結構、結構。 じゃあそちらに行くね」
「あぁ……っ」
「こんなに近くで話すのは初めてだね」
「……そうですね」
「緊張しているの?」
「あぁ、異種とこれほどまで近いのは初めてだから……」
「私ね」
「ケイタの事が好きよ、大好き」
「……あ、あの」
「……あの人は、種の継続しか頭に無くてね」
「あの人?」
「蚊取りで死んだアイツ。私の元旦那よ」
「あの人は私に子供ができた、と分かったらすぐに家を出て行ってしまったわ」
「そんな……」
「帰ってきたらあの人が居なかった。あの人の持ち物も姿を消していたわ……
その瞬間あの人の考えがわかってしまった、理解できてしまった。
私、すごく悲しかったわ。
自分の膨れた腹を見たら、涙が止まらなかった。」
「そんな……」
「でも、あなたは違ったね。私を心配してくれた、私のためになってくれようとした……
嬉しさで胸が張り裂けそうだった」
「……」
「私、ケイタの事が好き」
「カナさん。俺も貴方のことを愛している!!!!」
「じゃあ、私が出ていく時になったらまた身体を反らしてね……
それまではこのまま一緒にいよ……」
「わかった」
文江の葬儀の日。
坊やが死んだ。
私が目覚めたのは、朝の6時だった。
ケイタが身体を反らしてカナを見送ったのが朝の4時。
寝付いたばかりの私を起こしたのは大人たちの大騒ぎする声だった。
『坊や!! おい! しっかりしろ!!』
『お医者は⁉ お医者はまだなのか!!!!!!!!!』
あぁぁぁぁーーーーーっ!!!!!!!!!
私は坊やの真っ青な顔に発狂した!
坊やには死んでもらっては困る!!
それは坊や自身にとっても、わたしにとっても、ケイタそしてカナにとっても悲劇でしかない。
医者はまだなのか!!?
数分して汗だくの医者が到着したが、医者は坊やの身体を調べて顔を伏せたまま首を横に振っただけだった。
「カナ…… ケイタも死んでしまって気の毒だったね……」
「いいえ、私はせいせいしているわ……」
「どういうこと? ……あなたとケイタのあれは偽物だったの?」
「それは正真正銘で本物よ? 私もケイタもお互いのことを愛していたわ」
「それじゃあいったい……?」
「夜中のことよ。私はケイタに会うために再びこの家に入り込んだ。
すると坊やが厠から寝床に戻っていくのとすれ違ったの」
「それで?」
「ところで、あなたのいるその机から何か見えないかしら?」
「銀色のモノ以外、他はいつもと変わらないけれど?」
「その銀色のやつ、“毛抜き”と言うらしいわ」
「まさか、まさか……。 あなた、まさか!!!!!」
「坊やはね。毛抜きでケイタを抜いたの。
私が机の表面で横たわっている彼を発見した時にはもう手遅れだった……」
「そして最愛の人を失った私はこれまでお腹の中にあったもの全て捨て、
代わりに知り合いの蚊からもらってきた毒でお腹の満たしたわ。」
「そしてブスリ」
=終=