第五十七章 ちょっと背負うものいってくる
水道局に到着し、俺とアズハと美影ちゃんは、とりあえず局長室へと行くように言われ、すぐに向かった。
局長室のドアを軽くノックすると、「入り給え」と既に普遍的なイメージを抱ける返答が中から帰って来た。
その声に従い、ドアノブを捻り、中へと入る。
「無事に帰還してくれて嬉しいよ。ああ、二人はもう好きにしてくれ給え。日下部くん、きみはこちらに来てくれ」
執務机に座っているが、今日は資料と睨めっこしていなかった。アズハと美影ちゃんに目配せし、解放すると、俺へと蒼黒の瞳を向け、明るい笑みを覗かせた。
局長に従い、後ろに続いていた二人は、俺に軽く会釈し、アズハが局長室の扉を閉めた。
俺は、もう定番になった局長から正面の位置にある椅子へと座り、相対する。
「ふむ……まずは、よくやってくれた、という言葉を送ろうか」
「ありがとうございます」
俺はわざと声を固くし答えた。
それに対して局長は、クククと押し殺した笑みを零す。この反応から、色々と想像がついていたようだ。いや、報告を受けているのだから、全部わかっているのだろう。
「まあ、そんな怖い顔をしないほしい。こちらにも、人材と時間が足りないという問題があってね。きみも世界が滅びるのは嫌じゃないかい?」
ずるい。相変わらずずるい。立場が変わればうまい、と言って褒めてやってもいいが、敵対するような状況の今では、ただ卑怯だと思った。
局長は悪びれた様子を見せず、余裕のスマイルを咲かせ、話を続けた。
「きみの怒りもごもっともだ。前にも言ったがね、私自身はきみを巻き込む事には反対だ。しかし、色々と能無しの役人が煩くてね。言い訳だが、しょうがないのだよ」
「寧ろ開き直りですね」
あの鋭い眼光には慣れてきた。少し対応する言葉に棘を持たせ、やり取りをする。
「おっと、日下部くんも成長したね。それはありがたいが、そろそろ無駄話は止めにしようか。実はきみに話したいことは山ほどあるのだよ。しかし、時期というものがあってね、そう多くは話す事が出来ないが、少し条件が破られた事で話が二つほどできる」
それは楽しみのようなそうじゃないような。
だが、聞く価値があるに違いない話だ。ならば、逃げていてもしょうがない。
「その話とは?」
少し関心したように局長は表情を綻ばせ、執務机の上で手を組んだ。
「察しがいい、それに決断も早い。もう焦らす必要も無いね、それでは話そうか……。
まずは、同化についてだ。これについては、忠告という形なる。既に伊久万くんの方に説明を受けていると思うが、同化には代償が付き物だ。どんな影響を及ぼすのか、それは人それぞれであり、水潔獣にもよる。
黄金狼の場合、というのがきみには気になるだろう?」
すっかりそんな事忘れていた。代償について思い出してからだと、局長の光を跳ね散らす長めの銀髪が妙に気になった。
俺の視線に気付き、局長は自分の髪を弄りながら話を続ける。
「そう、私の場合はこの髪だ。一般的に髪や瞳の色などに変化を起こす代償が多いのは確かだ。それ以外には、成長を妨げたり、記憶障害、肉体の強化など様々だ。肉体の強化のように一見すると代償という風には感じないだろう? だがね、異常なほど強化される。
つまり、強過ぎる薬は毒という事だ。人間の限界を超え、壊れてしまうのだよ」
……俺の場合は? 金髪に染まるぐらいが一番ありがたいな。
「さあ、そこで黄金狼の代償についてに戻ろう。きみの前のパートナーは、視覚や聴覚、そういった感覚を失っていき、最終的には死亡した。その前の者は、精神障害を起こし、今も専門の医者により治療を受けている」
「なっ!? それって……」
局長が狂った人格へと変貌した。あの、治療室での時と同じだ。
「そう、きみもその可能性があるという事だよ。だけど、少し安心したまえ。二つの例は、黄金狼と元々そこまで相性のよい者たちではなかった。だから、きみの代償は軽度で、長い時間を掛ける事だろう」
最終的な結果は変わらないじゃないか……。
くそぉ……また不幸のどん底ってか?
「残念ながら、この代償というものは『ダイバー』全員が背負うものだ。諦め給え」
突き放す言葉は特に気にしなかった。ただ、『ダイバー』全員が背負うという言葉はずっしりと重く、俺へと圧し掛かる。
そうだ……アズハや美影ちゃんも代償があるんだ。美影ちゃんはわからないが、アズハは少なくとも髪色が桃色に染まり、瞳も淡緑の輝きを出している。
隊長だって、瞳の色が変わったと言った、目の前の局長もそうだ。まだ会った事のない『清き水』の隊員達も皆、代償を背負っているんだ。
「わかってます……」
局長から目を外し、俺は床を睨みつけた。
代償、人ならざる力を使う事への罰、そして……戦いへの犠牲。
まだ何も知らない。わかっていない。だけど、この世界の命運を賭けた戦いは、もう無視できないところまでやって来ているから……。
俺は、こんな中途半端な気持ちで、次の戦場へと赴くことができるのか……?
戸高さんを間接的に守るとか、アズハや美影ちゃんも戦っているからとか……そんな、誰かを出しにした理由で、命を投げ出せるのか?
今、あの戦場へと向かうヘリに乗っていた時に言った、美影ちゃんの言葉の意味が分かった気がする。
『水害獣は、私たちがどうにかしなくてはいけない…それはわかってるんです。でも、恐怖とは違う何かで、逃げ出したくなります』
あの言葉は、この事を言っていたんじゃないだろうか。
誰かのためにとか、何かのため、そういう理由は立派だし大切な事だ。だけど、今の俺に、自分の命を投げ出してまで助けたい人があるか? 命より重い何かを抱いているか?
「日下部くん、きみはなんのために戦う?」
苦悩する俺に、局長は容赦はしない。というより、また考えてる事が筒抜けだったか……。
「わかりません」
正直に答えた。同化を成功させたのも、ただ生きたかったからだ。でも矛盾が起きてしまう。戦わなければ世界が滅び、俺も死ぬ。だけど、戦えば命を削る事になりかねない。
今の俺に……本当に守りたいものなんて無いのかもしれない、だからこその苦悩だ。
「そうか。まだ、それでも構わない。だがね、同化はただそうするだけじゃない。パートナー、つまりは黄金狼と打ち解け、より信頼し合わなければ本当の力は引き出されないのだよ。実に不可解だが、絆というものが重要なのだよ」
素っ気無い態度で、特に咎めはしてこなかった。
局長は、そこで数秒間を置き、
「では次の話をしよう。同化については、きみ自身で答えを出してくれ給え。
もう一つの話は、きみの日常を大きく歪める事になる。これを受け取って欲しい」
執務机に置かれていた迷彩柄の、薄いカードのようなものを差し出してくる。
「それは?」
「とりあえず手にとって見てくれ給え」
俺はおずおずと手を伸ばし、それを受け取った。
迷彩柄のボディが液晶の画面を囲む、超薄型な用途不明の機械だ。
「それは、水道局からの連絡を受信する端末だ。任務の時などの呼び出しに使う。常に携帯していて欲しい」
「どうして、すぐに渡さなかったんですか?」
「どういう意味かね?」
「ですから、ここに初めて訪れた時に渡せば、連絡などにそれを使えばよかったと思いますけど」
俺の言葉を受け、局長はフムと呟き、唇に指を当て、答えた。
「少し説明をしよう。きみは『水の世界』に訪れた時に、自分の持つケータイを確認したかい? いや、ケータイに限らず、何か機器を確認したかね?」
考えるまでも無く、俺はそんな悠長な事をやっている暇が無かったことを思い出す。
「いいえ」
「そうか……。では、説明しようか。まず始めに、『水の世界』では私たちの作った機械は使用できない。無線などの連絡手段も断たれるわけだ。だが、この端末は使用可能だのだよ。それは何故か、というとね実のところは私もわからない。水潔獣がこの世界へと訪れた時に共にもたらした道具なのでね……」
「つまりは、それは水潔獣のオーバーテクノロジーが宿っているって事で、量産は不可であり重要な物で、『ダイバー』と完全に判明したから、俺に渡すって事ですよね?」
局長はわざとらしい大仰な身振りで、感嘆の意を示した。
「賢くて助かるね。日下部くんの言う通りだよ。『ダイビング』の出来ない者に渡したところで宝の持ち腐れだからね。きみが同化をさせた事でこれを受け取る資格を持てた訳だ。
使用方法の説明だが、ただ持っていればいいのだよ。指示があれば、その本体が嫌でも気付かせてくれるからね」
可笑しそうに笑っているものの、こっちからしたら奇妙でならない。嫌でも気付くね……どんな素晴らしい機能なんでしょう。
「この端末は、『受信端末』と呼ばれている。まあ、通称は、『受信端末』だ。
これを戦場での指令にも使う。メッセージを受信するだけのものなので、会話は不可だがね、これに頼るしかないのだよ……」
局長が一瞬だけ苦々しい顔をしたが、すぐに表情を柔らかくし、微笑む。
「さて、その『受信端末』だけどね、任務の時にしらせるが、その任務のタイミングの方が問題なのだよ。水害獣は我々の都合などお構い無しだからね。たとえきみが、学校で授業を受けていても、休息をとっていても、出現する時は出現する。
そこで、だ。どんなものよりこちらの指示を優先してもらいたい。その意味がもちろん理解できるね?」
そういうことか……。日常が大きく歪められるっていうのは、学校にいようがなんだろうが……戦場へと駆り出される。
「その暗い顔だと理解できているみたいだね。……私からの話は以上だ。もう、好きにして構わないよ。ああ、それと、日曜日は変わらずここに来てほしい。主に水害獣との戦いの為の訓練を行う予定だ。それじゃあ、気を付けて帰り給え」
そう喋りながら、局長は奥の部屋へと消えていった。所長室に取り残された俺は、頭の中がごちゃごちゃし落ち着かなかったが、ここに長居する気も無いので、帰ることにした。
部屋から出た廊下に、アズハと美影ちゃんは居なかった。水道局から出るまでに出会わなかったので、特に挨拶を交わす必要性を感じなかったので、そのまま駅まで歩いていった。
頭を出来るだけ働かせないようにした。何も考えたくない。
俺の中には……いつも決定的な何かがないように思う。いや、俺という人間を形成する上で、いつも大切なものは、短い時間で失っている。たかだか16年しか生きていない若造だが、それでも……世界を背負わなければならないのだ。
空虚だ…………。
俺は、駅のホームで数分程待ち、やってきた電車に乗り、時間帯的にまだ空いていて助かったなぁとかボンヤリと考え、家から近い駅に下り、のんびり家まで歩いた。
久し振りに我が家も見た時、急に泣きたくなった。
帰ってきた。そう実感できる。でも、それはまやかしのように思えた。
あの、『受信端末』が水害獣の接近を告げれば……簡単に壊れてしまう……そんな日常。
どこまで俺の人生は狂わされるのだろう……。
ちょっと時間が遅くなりました。
さて、日常編に入るにあたって絶望的なスタートですね。
もう打ち壊しまくりな感じですが、直輝なら明るく生きてくれると期待してます。
更新スピードが落ち、読者数が減ってきましたが、頑張って書きます。
次回予告?
帰って来た筈なのに、そこはやはり戦場だった。
そう、安い食材を手にするのは誰だ!?
(あれ? なんか……いえ、何も)