第三章 ちょっと死地いってくる
「グォォォォォォォォォオオォォォォッッッ!!!!」
水害獣の耳を劈く雄叫びが戦闘開始の合図となった。
犬型の水害獣は品定めをするように俺とアズハを見比べ……注文する品を決めたようだ。
「さぁ! バッチ来ーい!!」
俺と奴との視線が激しくぶつかる。アニメとかでよくある、バチバチと火花を散らしているようなあれだ。
俺の横で杖を構えるアズハが、右手に握られた杖を天に掲げる。すると杖の先に付いている紺碧の輝きを放つ宝石から、野球ボールほどの大きさをした光の球が現れた。
ファンタジ〜……。それを見ていた俺に隙が出来たと判断した奴が飛び掛る。
「フンッ! お前もパフェ並みに甘いわ!!」
奴が飛び掛ると同時に俺は体を後ろへと倒す。その俺の真上を通り過ぎようとする奴の前足を体が倒れるモーションの中、両手でそれぞれの足を掴む。
前足二本を掴まれ、バランスを崩し空中で前屈みの姿勢になり、奴の頭が俺の正面に向く。口の横についた一対の目が俺を睨む。
体が70度ほど倒れ、地面に立とうとしていた足の仕事が無くなる。その足を体が倒れる勢いに乗せ、膝を曲げ両肩の上に来るようなイメージで引き寄せる。折りたたみきった両足を奴の歪んだ顔面を目掛けて突き出す。
俺の蹴りが奴の顔を精確に捉え、抉り込む。
ずっと掴んでいた前足から手を離し、それと同時に奴の顔面に叩き込んだ足に力を込め、奴の体を弾き飛ばす。
その一連の動作を倒れるまでの間にやり遂げた。うん、体はそこまで鈍っていない。まぁ獣相手の喧嘩は初めてだが……。
この世界の地面や壁はなぜかプニョプニョと柔らかいので地面に倒れても痛みは無く体をすぐ起こせ、次の行動が早くとれる。体勢を立て直し奴を見る。
まだ、宙に浮いていた。
グチャッ……と気味の悪い音を立て地面に倒れる。
蹴った時にわかったのだが、奴の体は柔らかい……いや、ドロドロしている。アズハの言うとおりまだ奴は体が完成していないんだ。
奴はすぐに起き上がり、俺の方を睨みつけてきた。最初の状態ですら酷い顔だったが、俺の蹴りを諸にヒットした所為で更に大変な事になっていた。
具体的に言うと……口が曲がっている。もう犬にも見えない。人間誰しも、本音は違えど建前では見た目よりも中身と言うが……これは流石に、お世辞も言えないレベル。
睨みつけてきたものの再び飛び掛かろうとはしてこない。頭部を見ると、少しずつ口の曲がりが治り始めていた。なんちゅう再生能力。どこのラスボスだよ。
「直輝さんっ! これを使って下さい!」
奴を観察する俺に対して不意にアズハの声が響く。……名前教えたっけ? いや、でもまぁ……身柄を確保しに来たぐらいなんだから名前はわかるか。
杖の先で輝いていた光の球を、杖で弾くようにして俺の方へと飛ばす。
飛んでくる光の球はさっきよりも大きくなっていて、バスケットボールぐらいあった。
両手でキャッチする。光の塊だが、ちゃんと触れる事も出来るし重さもあった。質量は本物のバスケットボールと大して変わらない。つまり、光り輝くバスケットボールを持っているのと同じだ。
「使うって……どうやって?」
俺の当然の疑問に対してアズハは桃色の髪を翻し、水害獣を指差す。
「当てるだけでいいです。方法は問いません」
……この大きさ、もちろん方法はあれしかない。メジャーなスポーツは一通りやった事がある。
奴を見る。顔の修復はすでに終盤に来ていた。
ちんたら考えている暇は無い。俺はボールを右手に持ち左手で支えた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
真っ直ぐ、奴へと突っ走る。マークは無い、ドリブルも不要、こんな簡単な条件ならいくらでも点が取れるぜ!!
「てぇぇっりゃ!!」
右足で踏み切り、高く跳ぶ。右手に掴んだボールに力を注ぎ込み、真下へと投げる。
ボールは俺に愚直なまでに従い、奴へと向かう。
光の球が奴へ…………当たった!!
その瞬間、光が世界に溢れた。というのは大袈裟だが、少なくとも俺の視界は光で一杯になった。
なんとか跳んだ時の感覚で地面に着地し、光の発生する中心へ目を向ける。
「倒せた……でしょうか」
アズハと俺は固唾を呑んでその時を待った。
やがて光は弱くなっていき、奴の姿が見え始める……。
「えっ……?」
「な、なんだと!?」
光が消え、そこに居たのは金色の毛に包まれた狼だった。
只ならぬ雰囲気を持ち、体の内側から沸々《ふつふつ》と生命力が溢れ、どこか他の生物を威圧し跪かせるような迫力と気迫を感じる。
俺は体が動かせなかった。恐怖とは違う、無意識の内に抱かれた畏敬の念がそうさせる。まるで、神と対峙しているようだ。
「……ッッ!!」
目が合った。震える体が押さえられない。
奴の顔は、雰囲気がガラッと変わったようにまったく別のものになっていた。歪んだ顔は本来の狼の顔になっていた。気品と獰猛さを同時に持ち合わせ、一国の長のような荘厳な面持ちをしている。いや、実際に一国の長、王の血筋……獣の頂点に居るのかもしれない。
「感謝する……」
「え……?」
「…………しゃ、しゃべ……」
喋った!?
「お主が私に光を与えたのか……ほう」
滑らかな口調で奴は語る。言葉の節々に上流階級のものを思わせる優雅さを感じる。
視線は俺から動かない。俺は一歩後ずさる。
「あれだけ侵食されていた私と渡り合い、さらには一撃で解放するとは……。中々見所のある若者よ」
そう言って、人間味溢れる表情で笑った。
ソッとアズハを見るが、俺と同じで奴の圧倒的な存在感に惹かれ呆然としていた。
「しかし……気に入らない。素直に力を貸す気にはなれんな……」
ご機嫌で笑っていたように思えていたが、言葉に重みを持たせ苛立ちを俺にぶつける。その時、初めてこの生物に恐れを感じた。圧倒的な力の差、そしてそれが俺に牙を剥いた時の結末……。
冷汗をかき服が背中にはっ付く。あぁ……一難去ってまた一難ってか。本当に今日は厄日だ。
「だが、何の礼もしないのでは私のプライドが傷付くというもの……」
その言葉を言い終えたか、終えていないかの時、片時も目を放さなかったはずなのに、奴は俺の目の前に移動していた。
その、ありえない事に唖然とした俺に大きな隙が出来たのを奴は見逃さなかった。
ズボッ……と体を何かに貫かれる感覚がした。
その感覚がした臍辺りを見ると、奴の腕が腹に突き刺さっていた。痛みは無い。血も流れていない。
「私の体毛を数本、お主に仕込んだ。少しは役に立つだろう……」
また、ズボッ……という感覚と共に腹部がスッキリとした。
「な、何をした……」
奴は何も答えずに俺に背を向け数歩離れた所で陽炎のように消えた。
すぐに腹を擦ってみたが特に変化は無い。何をしたんだ……奴は。
奴の出現からずっと呆けていたアズハがハッと意識が覚醒し、
「大丈夫ですかっ!?」
と俺の方に駆け寄った……。
「あれが、水害獣なのか……?」
「わかりません…。ただ……今までに遭遇した事の無いタイプです」
急に体が震え出す。今まで麻痺していた頭が正常に稼動し、本来感じるべき恐怖心を蘇らせた。
立っていることも出来ず、俺は膝から崩れ、両手でなんとか体を支え四つん這いの体勢になった。異常な量の汗が全身から噴き出す。
どこかで……平和な日常という幻想が崩れる音がした…………。
はい、不憫な主人公さんです。
これからどうなることやら……。